自由な資本主義は民主主義と両立しない

私は経営コンサルタントです。

多くの企業に所属しているコンサルタントは基本的に「グローバリズム」と「自由市場」、「自由な資本主義」を疑うことはしません。

また、疑ってみたところでコンサルタントの役割は果たせず「コンサルタントの利益」にはならないでしょう。

コンサルタントの役割は企業を

「儲けさせること」

企業を儲けさせるためには、資本主義を前提として、

「自由な市場」「グローバリズム」

を必要とします。

なぜ、これら二つの”価値観”を必要とするのか?

それは

「儲けさせるためには選択肢が多い(市場が広い)方が良いから」

だからこそ、選択肢が少なくなる「規制」を悪とするのです。

また中小企業診断士もMBAでも「経済学」を学びます。

その経済学は新古典派経済学です。

経済学者は嘘をつく

つまり、コンサルタントになる過程で経済学を学ぶものですから、その経済学は正しいと信じてしまいますし、経済学という学問そのものを疑うことはしません。

なにせ学問として確立しているように見えますから、仕方ないと言えば仕方ないのです。

しかし、仕方ないと言ってコンサルタント達が企業の収益を上げ、その裏で多くの一般国民が、犠牲になるというのもおかしな話ですし、また間違っていることだと私は思っています。

経営コンサルタントは基本的に社会的地位の高い職業です。

詐欺師も多いですが、大手コンサルティング会社に所属しているコンサルタントは収入も高く、地位も高いし、能力も高い。

その素晴らしい能力を持ったコンサルタント達が、クライアント企業の収益を上げる一方で、国民の格差を広げ、奪い合いを促し、時には間接的に人の命まで奪っていると私は確信しているのです。

かつてエンロン事件といった問題がありました。

気になる方は是非調べてみてください。

この事件では、主にコーポレートガバナンスの問題や粉飾決算など表面的な言わば「経営」に関わることや、経済への影響が語られていますが、一般市民の生活がどうなったのかといった観点がすっぽり抜け落ちてます。

しかし、私のような経営コンサルタント風情が何故こんなことを言うのか不思議に思う方もいるかもしれません。

際、自分の立場を悪くするような記事を書いていることは承知しています。

現在はクライアントとの契約上、今はまだ鮮明な顔をWebに載せることは出来ません。

ですが私も経営コンサルタントの端くれです。

コンサルタントである前に日本人です。

日本人の経営コンサルタントなら、

特定の企業を儲けさせる」よりも「産業を儲けさせる

といった公の利益の方が大事であることです。

産業全体が儲かればそこで働く個人も儲かるということに繋がり、また、社会そのものが現在の過度な競争で限られたパイを奪い合い企業も個人も疲弊して、勝ち組と負け組が分離するという社会よりは

「マシ」だと思うからです。

この記事では、企業の変遷とそれがもたらした我が国への影響を考えてみたいと思います。

企業はここ30年でどう変わったのか?

1980年代以前の企業のあり方は、高度成長期もあり、企業が儲かれば自然と従業員の賃金も上がっていました。

また、所有と経営の分離という概念は基本的になく、総会屋も活躍していたので経営者は株主からの要求は現在ほど実現されていませんでした。

その為、企業側は中長期の投資を実行しやすく、技術開発に予算を多く投じること、

従業員の技術向上にも投資が出来ていたのです。

しかし、1980年台の中頃からアメリカをはじめとする「新自由主義」が台頭し、

またバブル崩壊もあり、

「企業は金融資産のひとつ」

といったみなされ方となりました。

バブル崩壊と、消費増税と金融ビッグバンなどの規制緩和で一気にデフレに突入した日本は、

デフレにより相対的にカネの価値が上昇したため、「拝金主義」「金銭至上主義」の価値観が広まっていったのです。

生き残った企業としては、バブル時代に浮かれていたものの

「バブル崩壊があっても生き残ったという自信」

「バブル経済に恐怖する」

といった感情も芽生え、「新自由主義」の自己責任論に傾倒していく土壌になっていたという事実もあります。

1980年台の中頃からのアメリカは新自由主義のイデオロギーに沿った構造改革を行い、金融市場や労働市場の規制緩和を行い、また、外国人労働者も受け入れたために労働コストも抑えられるようになったのです。

このような経緯があり、「株主資本主義」という、

「株主利益を最大限に追求しなくてはいけない」

といった価値観が蔓延していったのです。

今でも、企業が求めることは利益の増加とコストカットが多くを占めます。

非常に嘆かわしいことなのは、現在の企業は過去に先人達が戦後、

多くの投資によりインフラ形成や技術の向上によって、

豊かな環境を享受しているのにも関わらず、その恩恵を忘れ、今いる株主達のみを利する経営しかできないということです。

この時点で企業経営の目的は「株価の最大化」となり、アウトソーシングやオフショアリングを多用し、技術開発投資は短期的には株価が下がるという理由とデフレ経済といった環境も後押して、企業はいわゆるアニマルスピリットを無くしていきました。

資本主義とグローバリズム

以上で説明した企業の変化に「新自由主義」、「グローバリズム」、「新古典派経済学」、「自由競争」、「規制緩和」「構造改革」「自由貿易」などのイデオロギーががっちりと融合したのです。

この時点で企業の使命は「株価の最大化」、「利益至上主義」となっています。

また政治もこれらイデオロギーに即した政策が施行されていきます。

大企業の株主達は外国人投資家で溢れ、現在では株式市場の取引額の7割が外国人投資家です。

これら外国人投資家は自己の利益しか興味ありませんので経営陣にコストカットを要求し、人件費の削減が行われ、失業者が増えていきます。

また技術開発投資も行われないので、技術者も育たなくなり、商品やサービスの質も落ちていきます。

また企業は安い人件費を求め海外に拠点を移したり、経団連を通じて外国移民の受け入れを主張するようになるのです。

この安い人件費を求めて世界中を駆け回る行為を経済学では「底辺への競争」と言われ重大な問題となっています。

新自由主義者はグローバリズムはこの底辺への競争によって貧しい人々の生活水準がそれまでより向上すると主張するのですが、実際にはしていません。

仮にしているとしても、それまで中間層として生きていた人間は、下層に落ちていってしまっているという現実は、

「その中間層だった人間を企業の論理で犠牲にして下層に落とし、企業は利益を出す」

という意味にもなるのです。

しかし、新自由主義者はこの中間層の人間を「自己責任」と断じて切り捨てるのです。これが新自由主義というイデオロギーです。

このような弱肉強食とグローバリズムを前提とした言わば「独裁資本主義」がまかり通れば、

民主主義は企業によって破壊されてしまうということになってしまうのです。

現に企業は、政府に対し法人税を引き下げなければ日本から出ていくと言っています。

その代わりに消費税が上がるのです。

消費税が上がってもグローバル企業の市場は”世界”ですから日本国民が貧しくなろうが知ったことではありません。

もうお解りかと思いますが、グローバリズムとは企業が国を選べ、企業と国民の利益が一致せず、政府より企業が上位になるのです。

グローバリズムとはヒト・モノ・カネの自由な移動を最大限に認めようという考え方です。

グローバリズムは新古典派経済学の市場原理主義を前提としています。

しかし、当然ですが市場原理主義と言えどもルールがあります。

そのルールはグローバルスタンダードを基準にすると言いますがその

「グローバルスタンダードを前提としたルールは誰が決め、何によって決まる」

のでしょうか?

結局これは各国の政治力で決まるのです。

厳密に言えば、

「軍事力と生産能力を背景とした政治力」

です。

現時点ではアメリカが決めるということです。

厳密にはアメリカの政治を動かしている、企業やその企業に投資している個人です。

1%対99%とよく言われますがその1%の方のことです。

TPPの中身が公開されない理由はなんなのでしょうか?

大手メディアは企業が広告料や出資という形で支配し、現状の我が国で起きている深刻な問題は「報道しない自由」として報道しません。

報道されなければ国民はそのグローバリズムの問題に気付くことは自ら積極的に情報を求めない限りできないのです。

メディアが流したい情報を流しそれを見た国民は、メディア側の意図する情報を丸飲みに洗脳されていくのです。

洗脳はエンターテイメントの顔を持つ

実質的にアメリカになっていく日本

ルールがアメリカの政治力で決まってしまうのであれば、日本国民は一体どこの国の国民なんでしょうか?

TPPはラチェット規定で後からルールを元に戻すことはできず政府が産業の規制を強化しようものならISD条項によって訴えられることになるでしょう。

NAFTAや米韓FTAで行われたことがTPPで起こらないとはまったくもって言えません。

TPPが前提の法律になれば日本人の選挙権など何も意味をなさず、日本人は日本の法律を決められないことになるのです。

条約は国内法より上位にありますので、いくら法律を変えようとしても無駄です。

仮に変わったとしても、日本政府がISD条項によってTPP参加国の企業に訴えられ、世界銀行参加の国際投資紛争解決センターで、判例に拘束されない恣意的な密室の裁判が行われ、日本政府は賠償金を支払うということの繰り返しとなることでしょう。

これは民主主義の崩壊です。

いよいよ我が国は亡国となるのです。

天皇陛下が君臨していようと体裁的に民主主義が保たれようと、実質的に亡国となってしまっては、我が国の先人達に申し訳ないという気持ちになります。

私達コンサルタントもその責任の一端があるのでここに書かせていただきました。

出来る限りの多くの方が拝見してくださることを祈っています。

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