なぜ日本は”経済第一”なのか?

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経済とは、経世済民、つまり国民を豊かにすることです。

戦後、デフレになった国は我が国だけです。

しかし、我が国は約20年デフレ経済を維持しています。

これは我が国の経済政策が間違っていることを意味します。

しかし、これだけ長い間デフレ経済を長引かせていても我が国は常に「経済第一」です。

国民第一ではありません。

そして、我が国で”経済”という時は基本的にビジネスのことを指しています。

なぜ、我が国が国民は二の次で経済を優先するようになったのか?

これは非常に根深い問題であると思っています。

この記事の中で、その原因を考えてみたいと思います。


日本が経済第一になった理由

一言で言えば、

「戦争に負けたから」

だと言えます。

なぜ戦争に負けると経済第一になるのか?

「誇りを失ったから」

誇りとは精神的なものです。

我が国は戦後、精神的なものを排除してきました。

そして、神様仏様も否定したのです。

肯定したものは、「金」、「物質」です。

GHQは戦後、農地改革を施し寺の土地は実質没収という政策を施し、それまでの「寺社領」という寺と小作人の共存共栄の仕組みが破壊しました。

それまであった「墾田永年私財の法」がなくなったのです。

そして、GHQは”公民館”を各地に作っていきました。

戦前は学校で今で言う道徳ですが「修身」を教えられ、子どもたちは寺や神社に行き、宮司や住職、近所の大人から躾をされていたのです。

ですが、公民館が作られたことによってそこでは、3S政策よろしく映画が上映され、寺や神社と子どもの関係はすっぱり切れてしまったのです。

他人が子どもを叱らなくなったのも時代の流れではないのです。

GHQがこのような政策をやるからにはそれなりの理由があるでしょう。

私が考えるに、この政策の目的は、日本人の精神から「」を無くすことであると考えられます。

GHQはなぜ日本人の精神から神をなくさなければいけなかったのか?

神風特別攻撃隊の方の有名な言葉で

「靖国で会おう」

と言って、旅立って言ったのは有名な話です。

しかし、「靖国で会おう」という言葉の前提には、「死後の世界」が存在しています。

死んだら無」と考えていればまずこういったことは言えないはずです。

アメリカ軍が日本人の戦いぶりに相当な恐怖を感じたということでアメリカ人兵士の手記に書かれていました。

特に、硫黄島の戦いは今で言うPTSDをアメリカ軍兵士に量産し、精神的トラウマになった兵士は多いとのことです。


こういった事実や、3R5D3S政策、WGIP、パネルDジャパンなどのGHQの政策の骨子を考えると、日本人の精神から神を無くすことは、アメリカにとって重要な位置づけになることは想像に難しくありません。

GHQの政策の根本は「日本人を骨抜き」にする目的で行ったことは有名な話です。

現代では、「宗教と政治の話題はタブー」ということになってあたかもそれが常識のようになっていますが、ある目的からそういった意識付けがなされたという事実が”ある”ということは理解しておかなければいけません。

精神的なものを失った日本人は、戦後の混乱期をアメリカの援助や朝鮮戦争の特需などを理由とした

経済成長」で乗り越えました。

問題はこの経済成長を「日本人の誇り」とこの時代を生きた日本人が認識していることにあります。

日本列島が分断されることもなく、軍事安全保障はアメリカに委ね、本来軍事に行くべきリソースは民生品に周り、朝鮮戦争の特需があり、GATTの交渉でも日本に有利な条件で貿易ができたという「事実」が「日本人の誇り」となれば、日本人が「」を宗教にしてしまうことも不思議ではありません。

私は戦後の混乱期を乗り越えたことや死ぬほど働いたことそれ自体は認めますが、「需要」を作ったのは誰なのかということを見落とすべきではないと考えています。

この時代を過ごした年代の方に多いですが、この時代の成長を「日本人の努力だけで達成した」と認識し、それを「日本人の誇り」とまで言い切るのは、いささか自惚れが過ぎると思いますし、もっと言えば勘違いも甚だしいと私は思っています。

お隣の国とは言え、同じ民族同士で殺し合いをして多くの人間が死んでるのでそれを「誇り」とするのは、いち日本人としては「無礼千万」ではないでしょうか?

そして冷戦が終結し90年代から、日米構造協議が始まり、バブル崩壊で疲弊したところに、橋本政権の金融ビッグバンと緊縮財政からデフレ経済に突入し、現在まで新古典派経済学に教義に沿った、規制緩和、民営化、自由化、グローバリズムなど新自由主義的な政策によって、「失われた20年」が完成したのです。

これらの政策の影響で自殺者も増えました。

警察発表によるとグラフの通りですが、しかし遺書がない場合は「変死扱い」となるので実際はもっと多いと思います。

また見つかってないという場合もあるでしょうから正確とは言い切れません。

失業率や実質賃金なども以下のとおりです。

これほど、日本国民は苦しめられているのにも関わらず、「経済第一」なのです。

とても「経済第一」と標榜してる政府の実績がこれでは話にもなりません。

現政権もデフレ脱却を標榜してできた政権ですが、多分もう忘れてると思います。

ですが、不思議に思いませんか?

我が国はデフレ経済を過去に経験しています。

その当時は高橋是清という大蔵大臣がデフレを脱却させました。

ならその時と同じことをすればいいじゃないかと考える人は多いのではないかと思うのですが、なぜ当時と同じ政策をしないのでしょうか。

前回のデフレ経済と今のデフレ経済の違いは、

「戦後」と「戦前」であるということです。


戦前と戦後の大きな違い

日本人に誇りがなくなったことと、国家観がなくなったことが大きな原因であると私は考えています。

結局のところ、現在の我が国は戦後アメリカの庇護の下で存在してきたので、自国で判断をするということができないのです。

戦後、ちゃんとした独立国家を作ろうとした総理大臣は田中角栄元総理ぐらいではないでしょうか。

キッシンジャーにハメられてしまいましたが。

戦後の日本というのは自国に対しての自信がありません

その理由は占領政策による洗脳と、東京裁判史観です。

また、戦後アメリカのための政策が行われてきたということです。

ご存知の通り、我が国の戦後の歴代総理大臣にはスパイもいます。我が国の戦後復興もアメリカの国益のためです。

政治家は経済の話になると大抵、「外に打って出る」とのたまいますが、この言葉は内需はもう成長しないと言っているに等しいわけです。

最初からデフレ脱却など諦めてるんです。

外に打って出るということはグローバル化を推めるということです。

グローバル化が進めば、国内の供給力が増えるということです。

デフレ経済とは供給過剰の状態ですから本来すべきことと逆のことを進めてきたわけです。

それが新自由主義的には正しいことなのです。

供給が増えたことで企業は熾烈な市場競争を戦い、その競争に負けた企業は自己責任と一蹴します。

企業は、コストカットに走らざるを得ません。

国民の所得が減ります。消費が減ります。更にデフレが加速します。

これで、「日本はもうダメ」という空気になり、更に経済学者という売国奴連中が活躍していることもあり、全くと言っていいほど経済成長しないのです。

一方、戦前の高橋是清の時代はどうだったのかと言えば、当時は欧米列強と熾烈な争いをしていたこともありましたし、当時の日本人やアジア人などの有色人種は白人からしてみれば「猿」と同じです。

その当時の背景からすると、欧米列強からいかに自国を守るかということにリソースが割かれていたわけですから、正しい経済政策を自国で判断し、実行できたのです。

更に、「国家観」は、教育によって大多数の国民に共有されていたので、現在のような保身が第一という官僚は今よりも少なかったのです。

そりゃそうです。

保身を考えても、国が滅ぶかもしれないという瀬戸際なわけですから、もし国が滅べば保身もへったくれもありません。

簡単に言えば、「自国を守り切る」という気概が官僚や政治家にあったということです。

でなければ、226事件など将校によるクーデター事件など起こりません。高橋是清は226事件で命を落としますが、それ以前に正しい経済政策を行い、インフレ率が上がった為、軍事支出の削減をしたことで軍部に恨みを買ったのだと思います。

そこからシナ事変などに突入してしまいました。

話はそれましたが、このように「自国を自国で守るという気概」を持った日本人が多くいたのです。

逆に言えば、「軍事安全保障」を他国に依存するということはその他国の言いなりにならざるを得ないのです。

軍事安全保障を70年以上に渡って他国に依存した国など我が国だけです。

常識で考えれば、軍事安全保障を依存している国など国と言えるのか?ということになってしまいます。


まとめ

まとめると我が国が「経済第一」になった原因は、

日本人が「誇り」と「神」を失い、金と物質を宗教とした

自国に誇りがないので価値基準が金しかなくなった

戦前は国家観も誇りも気概も国民にあったので、間違った政策をすれば命取りである時代背景があった

ということになります。

国民の生命よりも経済優先ですから本当にとんでもない状態になっているということはご理解いただきたいと心に思います。

経済優先と言っても、仮に経済成長したからとて日本国民が豊かになるとは限りません。

むしろこのままいけば更に貧困化すると私は見ています。

我が国が経済第一になった理由は、細かいところも挙げれば他にもありますが、大きな原因はここにあると私は考えています。

そもそも、お金が人の命よりも上位に位置するなど本来あってはいけません。

カイジの利根川じゃありませんが、「金は命よりも重い」というのは、デフレだからです。

物と通貨は価値が互いにバランスしています。

インフレであれば物の価値が高く、デフレであれば通貨の価値が高くなります。

でもその言葉が正しいと認識されるということは、日本全体がデフレマインドに侵されていることの裏返しでもあります。

このあたりはまた別の機会にもっと詳しく書きたいと思います。

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