主流派経済学は世界レベルの「嘘」を生産している


以前にこういった記事を書きました。

経済学者は嘘をつく〜経済学の真実〜

経済学者は嘘をつくという話ですが、厳密には経済学者は経済学というドグマ(教義)に嘘をつかされているという意味です。


とは言え、経済学の欠陥は勉強すれば誰でもおかしいと理解できるほど明確なものです。

必ず途中で気付くはずなのです。

気付いていても、自分の立場を悪くしたくないとか、仕事が減るとかそのようなスケベ心がその経済学者の中に醸成されていくのでしょう。

そして、”経済学的には正しい”という言葉で自己正当化を始めるのです。




また経済学的には自由貿易が正しいとする見解が一般的です。

ところが経済学の世界では「輸送費がタダ」という前提でモデルが作られている場合があります。




考えられますか?



そのような前提で自由貿易が善と言える経済学は、果たしてデフレを20年以上続けた我が国の何の役に立っているのでしょうか?

この記事では、この経済学のおかしな前提をつまびらかにし、経済学者という嘘つきがどのように作られるのかを考えてみたいと思います。

主流派経済学の非現実的な前提

我が国はこの主流派経済学の教義に従い、構造改革、規制緩和と新自由主義的な政策をしてきました。

法人税の減税、消費増税もついでに行い、結果はご存知の通り「長期停滞」となりました。

しかし、この主流派経済学の中身を観てみると長期停滞とはなるべくしてなっているということがわかります。




経済学の有名な概念に、「リカードの比較優位論」というものがあります。

リカードの比較優位論とは、

「二国が自由貿易を行い、相対的に得意とする産業分野に特化することで、両国とも経済厚生を高めることができる」

 

というものです。



大抵の経済学の基本書にはこのように書いてあります。

これを経済学者は信じ切っています。

これだけを読むと、互いの長所を伸ばしていけば結果は良くなるんじゃないか?といった”雰囲気”はありますが、ところが、これまた経済学の基本書には大抵書いてありますが、以下の仮定を置いた上で成立するとされているのです。

「世界には二国、二財、ひとつの生産要素(労働)が存在する」

「輸送費用はかからない」

「労働者は国内を自由に移動できる」

「労働者は完全雇用されている」

「生産の規模に関する収穫は不変(生産要素の投入量をn倍にしたとき、生産量もn倍になる)」




リカードの比較優位論は以上のような仮定を置いた上で成立するというのです。

いわゆるセイの法則です。




ひとつひとつ観ていきます。

「世界には二国、ニ財、ひとつの生産要素(労働)が存在する」

これに関しては、単なる理論構築の為に必要とされた仮定にしか私には見えません。

なぜなら、世界には190ヶ国以上もありますし、生産の要素として労働以外にもコンピューターや不動産の権利収入の様に労働によらない生産活動も存在します。


「運送費用はかからない」

バカかよとしか思えません。

誰がタダで物を運んでくれるというのでしょうか?

そんな人間がいたとしたらその人は奴隷、パシリですし船やトラックを作る為の費用はどうなるのか、その運送設備を動かすための資源はどうなるのか、更に、運ぶ人間は物を運ぶという”ボランティア”をやり続けてどうやって生きていけるのか、さっぱりわかりません。

現在の運送業に対する社会のイメージを作った一端のような気がします。





運送業は底辺がやる仕事、努力してこなかった人が仕方なしにやる仕事、誰でも出来る仕事、といったイメージが社会には未だに存在しますが、リストラに喘いで高学歴の人が運送という仕事を”仕方なく”やることになった時に呟いた言葉を私は一生忘れることは無いでしょう。

其の方はこう言っておられました。




「かつてこの仕事を底辺だと思っていた自分を非常に恥ずかしく思う。僕はこの仕事に支えてもらっていたんだと改めて感じた」




どういう意味ですか?と私が聞いたところ以下のように言っていました。

 

「今まで自分がバカにしていた仕事をやることになって最初は恥ずかしいという気持ちだったけど、この仕事ほど社会に貢献できる仕事はないし、まして誰でも出来る仕事とも言えない。

時間には追われるし、体力はいるし、客先とのコミュニケーション能力も必要だし、いかに効率を良くすることを考えながらやらないと、自分が壊れる。しかしこれほど荷主が高圧的な態度だとは思わなかった」




といったものでした。

私はこの言葉を忘れられません。

余談ではありますが、現状、国交省も公正取引委員会も過剰サービスの見直しや荷主に対し物流業者に適正運賃を支払うように要請していると聞いていますが、まだまだ現実は厳しいところでしょう。

「労働者は国内を自由に移動できる」

お金と時間があり、必要があれば移動できますが果たして現実問題、自由に移動出来る人がどのくらいいるでしょうか?

いわゆる勝ち組の人なら国内を自由に移動できるでしょうが、そんな人間ばかりでないことは明白です。

主流派経済学で登場する”個人”は勝ち組だけなのでしょうか。

だとしたら、その勝ち組にとっての社会づくりをする上では経済学は非常に有用な学問と言えます。

私には優生主義的な学問に見えます。

 

主流派経済学、新自由主義的な論に従えば以下のリンクの議論にあるような意見になります。

地方のインフラ老朽化でホリエモン×ひろゆきがバッサリ!「便利な暮らしがしたいなら都会に住めばいい」

 

「労働者は完全雇用されている」

最近、我が国の失業率は低水準ではありますが、単純にデフレによって少子高齢化が長く続いたために若い労働者が少なくなっただけでしょう。

量的緩和政策と失業率は一定の相関関係はあると言われていますが、だとしたら介護や医療の就業者数が増えるのはどういうことなのかという話になります。

20年ぶりの低失業率はアベノミクスの成果?

完全雇用が常に達成されている状態などあり得ません。




しかし、彼らはこう言います。

どんなに失業率が高水準であっても、



「長期的には完全雇用は成立している」



と。

開いた口が塞がらないとは正にこのことです。


「生産の規模に関する収穫は不変(生産要素の投入量をn倍にしたとき、生産量もn倍になる)」

これも非常におかしい話です。

企業経営理論に「規模の経済」というものがあります。

規模の経済とは、簡単に言えば、

「生産規模を2倍にすれば生産量は2倍以上になる」

という意味です。



これにプラスして経験曲線効果というものもあるので生産にかかるコストが減少していったりもします。

現実の企業活動では収穫逓増(ていぞう)となることが通例です。





更に、企業活動には「範囲の経済」というものもあります。

範囲の経済とは「事業を多角化させたり大量に生産した場合に、1単位当たりのコストを削減できる」といったものです。




したがって、収穫は不変とは現実には全く成立しないということになります。




これらを理解しているはずの経済学者が、「リカードの定理は現実に通用する」と自信満々に言えてしまう根拠は一体何なのでしょうか?

通常は、事物というものは前提が変われば結果も変わり、立場が変われば事情も変わるといった、その時その時の「前提」が結論や答え、行動を決するのに重要な要素になるはずです。

しかし、主流派経済学にはそういった柔軟性や社会科学としての学問を追求する姿勢が一切皆無なのです。





ということは、主流派経済学というものは社会科学ではなく控えめに言って人文学、もっと的確に表現するなら「宗教」であると言えるのです。だからこそ「神の見えざる手」なのです。




この世に「絶対」のものなどそれほど多くありません。

しかし、これまでの人類の歴史が証明するように絶対とは宗教です。

宗教、神の名において戦争も、虐殺も、侵略も、略奪も正当化されてきたのです。(マニフェスト・デスティニー)

とんでもないことですが人類のあまりの愚かしさに神様も開いた口が塞がらないのではないかと感じてしまいます。


”神の”見えざる手に存在する経済学者の欺瞞

そして極めつけはアダム・スミスの国富論から引用されたいわゆる「神の見えざる手」という言葉です。

実はこの神の見えざる手という言葉には元々、「神」という言葉は使われていなかったのです。

原文のどこを読んでも「神の」見えざる手とは書いていないのです。

もちろん、「見えざる手」という言葉はあります。




詳しくは、過去に記事を書いたので参考にしてください。

自由競争、市場原理主義は強者の為に作られた概念

神とは欧米人の大多数にとっては「絶対」の価値観です。

学問、それも社会科学に「宗教」を持ち込んだ主流派経済学の罪は計り知れません。


CGEモデルの欠陥

そして、人間による数字の嘘とも言うべき応用一般均衡モデル(CGEモデル)というものがあります。

これは、政府や国際機関、大学等が貿易自由化による経済効果を試算するために用いる経済モデルです。

CGE 分析入門 第1章:企業と消費者の行動

CGE 分析入門 第2章:一般均衡モデル






上記のリンクが一般的なCGEモデルと一般均衡モデルについて解説しているテキスト形式のPDFです。

ご覧いただければ分かるように、テキストの序盤で「仮定を置く」といった一文が書かれています。

この仮定を置いた上で計算された経済効果を試算しているのです。




こんな小難しいことを大学で教えている上に現実の経済の問題はろくに解決できないという学問が経済学であるということです。

因みにTPPの経済効果を算出した手法もこの経済モデルによって行われTPPは正当化されました。

この仮定を置くということは「完全雇用」も過程に置いているので、つまりセイの法則が大前提にあるということとなります。




簡単に言えば、例えばTPPによって製造業の雇用が失われたとしても、その失われた雇用はまたすぐに別の産業に「置き換わる」という前提だということです。





労働者が産業間を移動すれば、それまでその仕事をしたことがないわけですから、企業単位で見れば経験や知識、技術などが失われ、生産性が落ちることは避けられません。

労働者がある会社に勤めたら、大抵の場合研修なり見習いなりの過程を経て、実際の業務につくことになるはずです。

その間、企業は労働者の活動から得られるものはありません。

この場合、研修等の人材開発投資となるのでその投資の回収は概ね1~3年は先となります。




このように所詮、主流派経済学の理論は「交換価値の理論」に過ぎないのです。

信じられるでしょうか?

こういった現実にはおよそ考えられない前提で算出する経済効果がこのCGEモデルによって作られているのです。

これは正に、数字に嘘をつかせているのと変わりません。

さらに、CGEモデルを使う人間にというのは何かしら権威を持つ人物である傾向がありますから、心理学で言うハロー効果も重なり、経済学という学問とその専門家という権威を背景に、現実にこの経済モデルを当てはめ、社会を変革しようとするのです。


御用学者が日本を壊す

衆院選が終わりましたが、財務省が医療費を削減するたばこ税を上げる、もちろん消費税、出国税などやたらと増税策を打ち出し、畳み掛けてきているといった状況になりました。

『財務省、たばこ増税を検討 「加熱式たばこ」も

「出国税」、1000円軸に…政府が検討

会社員の給与所得控除見直し議論 政府税調




これに乗っかり日本国民を犠牲、生贄にして自らの立場を安泰に保とうとしている人間が財務省の

御用経済学者”です。

トップ3が竹中平蔵、伊藤元重、土居丈朗の3人です。




厳密には竹中平蔵はパソナグループの取締役会長なので御用学者とはまた違いますが、日本国民を貧困化させて自己の利益を確定しているということでは、「売国奴認定」が出来ますので入れておきます。

御用学者の一覧

東大教授でも慶應義塾大学教授でも、「お金と出世」には目がないようです。

彼らがまともに、いわゆる国の借金だとかPB黒字化目標とか無意味なものに取り組み、倫理観を持った人間であったとしたらとっくにデフレは脱却しているはずです。





浜田宏一系のリフレ派の珍説もデフレ脱却阻止にわずかながら貢献していると考えればこの系統の連中も含まれるかもしれません。

韓国政府のずるさがリフレ派とそっくりです




この経済学者というのは、この記事の冒頭で書いたように、いくらこのように現実にそ沿ぐわない理論であっても「経済学的には~」という言葉でいくらでも自己正当化できるのです。

前提が違うことを突っ込めば、そりゃ結果も変わりますよと平気で言います。

このように経済学者という者達の「経済」に対する判断基準は、現実や事実よりも「均衡理論」を選び、学会の権威が判断する理論なのです。




したがって現実、事実を正確に理解することを放棄した経済学という学問は「科学」とは言えず、「学問」でもありません。

国の借金の「嘘」を嘘で塗り固める御用学者〜いい加減にしろ〜


まとめ

新古典派経済学という主流派経済学は、権威だけはあります。

権威というものは倫理を亡くした時点で、プロパガンダになるという側面をもっています。





この場合の倫理とは、「大多数の国民の利益を実現すること」です。

経済学の立場での倫理とは、「少数1%程度の利益を実現すること」です。

ですが実態は、現実を説明できない机上の空論であって、実は格差を拡大するための優生主義的な学問だということになります。





現代は、「嘘をつく人間が得をする」時代です。

嘘をつく人間が得をする」時代とは、我が国に限って言えば過半数の国民が「嘘はいけない」と建前でも思っていないということです。



戦後アメリカによって、国民が政治家や為政者の嘘をなんとも思わなくなり、簡単に許すあるいは忘れてしまうという人間に改造されたということなのでしょう。

特定の政党を一生懸命SNSや動画サイト等でポジティブな宣伝をしている人も多くいますが、その投稿者は単なる党員であり宣伝している政党の嘘や欺瞞を絶対に言いません。





また我が国においてもっとも罪深い「嘘」はいわゆる「国の借金問題」でしょう。

この財務省の「国民貧困化キャンペーン」を終わらせなければ、現在の緊縮財政路線は中国の属国になるその日まで終わりません。

やっぱりうまい財務省〜プロパガンダの知恵〜





前回の記事で「国民はまた、「身を切る改革」という言葉に惑わされ、自分の身を切ることになるでしょう。」と書きました。

嘘はバレるまでは「技術」である





本当になりそうです。

政府は支出を増やしませんが生産性と賃金を上げろと企業に迫ります。




更に以下のような記事がありました。

「財政規律はどうなる? 来春までに日銀は出口を」





この小宮一慶という人は、公認会計士で個別の企業のコンサルタントとしては良いのですが、どうやら主流派経済学に洗脳されているか財務省の犬に成り果ててしまったようです。

言っていることがめちゃくちゃなので、多分後者だと私は思っています。

量的質的金融緩和をやめさせないと、ハイパーインフレにもならず財政破綻にもならず、国債も暴落しないということが、現実に証明されてしまうということになりますから、さっさとやめさせたいのでしょう。

でも「経済学的には」正しいんですね。

とにかくがっかりな人間でした。






経済学の嘘が社会、全世界に蔓延し強い権威をもつことで、嘘の生産ラインが出来上がってしまったのです。

政治家やエリートにはもうなにも期待できないので、日本を滅ぼしたくない、未来と過去の日本人に責任を持ち、属国ではない日本を残したいと願う、日本国民の「民意」だけです。

民意は、憲法よりも強いのです。

裁判官は自由心証主義とは言うものの「世論」を非常に気にします。

騙されない日本国民が一人でも増えることを祈ります。

「虚偽が蔓延る時代に真実を言うことは革命的行為である」

ジョージ・オーウェル

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