韓国政府のずるさがリフレ派とそっくりです


文在寅氏があの例の10億円を支払ったとされる日韓合意「国民が情緒的に受け入れない」 といった報道がありました。

ついでに、”国連”が「補償や名誉回復が不十分だ」と合意の見直しを勧告する報告書をまとめたとのことです。

http://www.sankei.com/world/news/170513/wor1705130007-n1.html

国連機構図

 

拷問禁止委員会」というのはどうやら国連とは独立した機関のようですので正確には国連がとは言えませんが、問題は”国連が”勧告したかのような「空気」が作られたことです。

普通に見れば、国連が口を挟んできたと一般的には思うでしょうし、これを報道した産経新聞は独自に取材したわけでもなく適当に海外のから輸入した記事を載せた可能性が高く、非常に問題だということです。

自称保守の連中が大好きな産経新聞が韓国の肩を持ったという格好になったということになります。


戦争が弱い国は外交が強い

こういうのを見ると本当に韓国は「戦争が弱い国だけのことはある」と感じます。

戦争が弱いというのは、裏を返せば戦争が弱いことを自覚し、いかに戦争にならないように、自国の利益を追求できるかという手法に長けているということです。

万年属国の国でもあるし、現在の韓国世論では

北朝鮮と韓国が統一したら、韓国は”核保有国になれる”」という世論があります。

このような卑屈な主張が生まれるという背景には韓国の歴史的な歩みがそうさせているのでしょう。

だからこそ、朴前大統領の中国への寄り付きも、それが国益でないと分かれば恥も外聞もなく、日本、アメリカにすり寄ってくるということが平気でできるのです。

日本人の感覚としてはダサいことではあるでしょうが、韓国の国益のみを考えたら正しい選択となるのです。



こういった姿勢はある意味我が国も見習う点ではあります。

あくまでも”姿勢”であり、その姿勢で我が国の国益を日本のやり方(アングロサクソンの交渉や韓国のロビー活動等を踏まえた上で)で国益を追求すべきなのです。

今では、軍艦島の件で岸田外務大臣が行ったほとんど第二の河野談話となる譲歩をしたことで京都に

”強制徴用の像”なるものが出来るそうです。

韓国二大労組 強制徴用労働者像を京都とソウルに建設へ


また日本人の多くが日韓合意の際に

そんな合意をする意味なんてない。どうせまた反故にしてくるに決まっている」

と思ったことでしょう。

私が日韓合意の当時感じていたのは、自称保守の人達よりも政治に興味のない層が、内容もよくわからないまま、上記のような主張をしていた人が多くいたことに驚愕したものです。

日本人の恐ろしさというものはこういったところにあるのです。

アメリカが戦後、我が国に三段構えの愚民化政策を施した理由もよくわかります。

それでいても、「感覚」や「感性」、「常識」で的確な判断をしているとはちょこっと政治を知った気になっている自称保守の連中よりよっぽどマシであると感じます。

因みに、日韓合意の際に自称保守の連中は、「たった10億円で韓国を引き下がらせた」と大喜びしていました。海外では”10億ドル”と思われているようですが。

情けなくて忘れられません。

いい加減、単なる反左翼、反社会主義、反韓、嫌韓はやめにしていただきたいと感じます。

その辺りを利用されて、新自由主義的な政策が推し進められ日本国民は貧困化しているのです。





ヘイトスピーチ防止法案なんか典型です。

とは言え、この韓国のずるさは耐え難いものがあることも事実です。

私も、初めて知った時は怒りに震えたことを覚えています。

和夫事件」や「戦後の混乱期における横暴」はどうやら事実のようですから。

一方でこの戦後の混乱時に横暴を繰り返していた半島出身者を「任侠団体」の人達が抑えてくれたり、任侠映画を流行らせたりということもあって必要悪という部分が戦後日本人の心に出来上がったのでしょう。


金融政策だけでデフレを脱却できるんじゃなかったのか

韓国のように約束は破り、嘘をつき続け、後に話を蒸し返したり、言い訳がましいという日本人の感覚から言えば「卑怯」という言葉がぴったりかと思いますが、我が国で言うこの卑怯者というのは、主流派の経済学者や、リフレ派と言われる人達です。





最近では保守に多いいわゆるリフレ派の人達がよく悪あがきをしているのをよく見かけます。

デフレは貨幣現象」と言い浜田宏一氏を始め、日銀副総裁の岩田規久男教授などが、「貨幣」をマネタリーベースと定義し、量的緩和政策をすれば、期待インフレ率が上がって、実質金利が下がって、投資が増え、失業率が下がると言うように主張していたはずです。



因みに「デフレは貨幣現象」とした場合の”貨幣”の定義は3つ考えられます。

ひとつはマネタリーベース。

マネタリーベースというのは、日銀当座預金+現金+硬貨のことです。

それ自体を増やそうというのが今回の金融政策だったということになります。





2つめはマネーストック。

マネーストックは預金です。

なぜ預金なのかと言えば、主に現実の決済は銀行預金を振り込むという形で行われるので”預金”と片付けます。

正確には、企業、個人、地方公共団体などの通貨保有主体が保有する流通通貨量の残高を集計したものとされます。





3つ目は、「物やサービスの購入に使われたお金

これは単に名目GDPとなります。

貨幣の定義が名目GDPなら、=デフレは総需要の不足となるのでスティグリッツやクルーグマンなどと言っていることは同じになります。

貨幣の定義をリフレ派の人達はマネタリーベースとしたということです。

通貨供給量を増やせばデフレ脱却できるとしていました。

これらがリフレ派の主張する金融政策で失業率が改善するという過程です。





ですが、実際はどうなのか?

インフレ率は上がっていません。2016年は-0.3%です。

しかし、失業率は2.8%でかなり下がりましたが、よくよく中身を見てみると介護業界の正規雇用が増えていますが、製造業は減っています。

出典:総務省統計局

介護労働の現況 出典:厚労省

なんでアベノミクスの金融政策で”介護”の雇用が増えるんですか?って誰が答えられるんでしょうか。

消費増税やプライマリーバランスの赤字幅が減らすという緊縮財政は確かに致命的ではありました。

ですが、デフレ脱却をするには金融政策だけでは不十分だったとなぜ言えないんですか?って素直にそう思う人は多いのではないでしょうか。

そもそもデフレが貨幣現象なら、緊縮財政をしてもデフレは脱却できるという論理だったはずです。


主流派経済学の困るところは、どんな理由も後からこじつけられるところが問題なのです。

残念ながらインフレ率と失業率がトレードオフの関係にあることを示すフィリップス曲線は成り立ってない状況なのです。我が国はインフレ率は上がらずに失業率が下がるというあまり例のない状態です。

金融政策で円安になり株価が上がれば、「景気が良い」と錯覚し、景気が良いのだから増税だと財務省は利用したことでしょう。

今となっては、失業率が低いことを利用され、「失業率が2.8%ということは完全雇用です。緊縮財政しましょう」と政治家に働きかけています。

浜田宏一氏はまだ良いです。

シムズ理論で考えを改めるという態度は私は立派だと思いますから。

浜田宏一教授は素晴らしい経済学者だった



一応ですが、別に私は浜田宏一教授が経済学者として素晴らしいとは言っていません。

素晴らしいに掛かる部分は”潔さ”一点のみです。

ポール・クルーグマンもジョゼフ・スティグリッツもあのイケイケグローバリストだったローレンス・サマーズまでもが財政出動をすべきと言っていますが、当然だと思います。

過去のデフレを脱却するために施した経済政策は財政出動と金融緩和政策を同時にしたことです。

それでだめならまた考えればよいのです。


政策はイデオロギーに支配されてはいけない

これまでの我が国は新自由主義的な政策をデフレ下で行ってきました。

グローバル化、緊縮財政、規制緩和、構造改革、自由化、民営化という「供給を増やす」政策です。

供給を増やす政策は「供給が少ないタイミングで行う」ことが普通に考えてもそう思うはずです。

なぜ、そんな小学生でもわかることをエリート集団である連中が出来なかったのか。

これは政策決定がイデオロギーに支配されているからです。



今日まで「新自由主義」という新古典派経済学をベースに置いたイデオロギーで政策を施してきました。

新古典派経済学は「供給側の経済学」です。

一方ケインズ派と言われるのは「需要側の経済学」となります。

これは、「私が”箸を作った”からお金を貰えるのだ」というのが供給側の経済学で、「私が作った箸が”売れた”からお金を貰えるのだ」というのが需要側の経済学です。

というのも新古典派経済学というのは供給すれば必ず売れるというセイの法則を前提に理論を構築するので、供給を増やせば景気は良くなると主張できます。

インフレ期というタイミングであれば、セイの法則は成立している可能性は高いので良いと思いますが、残念ながら現在の我が国は”デフレ期”です。

物やサービスが売れないという需要不足が原因です。

なぜ物やサービスが売れないのかと言えば、バブル崩壊以降、”借金を返す”人が溢れ、消費や投資に回らなくなったのです。


因みに借金を返すという行為は消費にも投資にもなりません。

借金を返した時に、信用創造で作り出されたお金は”消えます”

ミルトン・フリードマンを始めとする新自由主義を拡めたかった連中の自己の利益という意図が働き、結果「痛みに耐えろ」と20年間国民をボコボコにしてきたのが新自由主義、ひいては新古典派経済学というイデオロギーでしたというオチになります。

今私が財政出動を行うべきというのは、今が「デフレ期」だからです。

インフレ率が高まり毎年5%の上昇率とかなったら、財政出動をやめろと言うでしょう。

緊縮財政をしろとも言います。財政健全化しろとも言います。

規制緩和しろとも言います。

何故ならそのタイミングで有効に働く政策だからです。

カードゲームでもカードを切るタイミングでそのカードの価値は上下します。

タイミングを計ることはそれほど難しいことではないのです。

特に現在は多くの経済指標がありますから、インフレ率を見ればデフレかそうでないかなど見当がつけられます。





こういうことを言うと、「経済政策はインフレ率だけを見ればいいのではない」という反論をされますが、だとしたらこれまでインフレ率”だけは”見なかったということですか?という話にもなりますし、またインフレ率だけを見ろとも私は言ってません。

消費者物価指数でも”総合”もあれば、コアCPI、コアコアCPI、GDPデフレータもあるのですから、適切な指標を見れば良いだけです。

また財政出動をしろと言えば、「社会主義者」とレッテルを貼られます。

我が国だけではないのかもしれませんが、政策とイデオロギーが一致してなきゃなにか納得いかない人が多いみたいなのです。

非常にバカバカしい話ではありますが、現実でございます。

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