改めて規制緩和とは?


規制緩和」という言葉。

どのようなイメージをお持ちでしょうか?

”規制”を”緩和”する=縛りを無くす=自由になる

実際、このようなイメージではないでしょうか?

規制と言えばなにか、堅いものに縛られていてそれを無くして自由にすれば色んなことが上手くいくといったような「イメージ」です。

ですがよくよく考えてみると20年前の金融ビッグバンぐらいから規制緩和は行われ続けていますが、なにかうまくいったことはあるのでしょうか?

この記事ではその辺りを考えてみたいと思います。


規制は安定を作るもの

企業を運営している経営者であれば、何か事業を始めるにあたって「法律の規制」は鬱陶しいものでしかないと思います。

例えば、インターネットで薬を売ってはいけないとか、一定以上の広さを持つ事務所でなければいけないとか、正社員は何名以上とか、資本金はいくら以上とか様々あるわけです。

経営者としては非常に邪魔でなければいいのにと思うことではあります。

ところがその規制があることのメリットを考えたことのある経営者はごく少数ではないでしょうか?

個人的な経験からすると今のところ”0”です。




規制があることによって回り回って「自分が守られている」という認識を持つことも経営者としては重要なことです。

説明します。

例えば、運輸サービスを提供している企業は、様々な規制があることで、他社の新規参入や事業拡大を防ぐことが出来ます。

これは既に大きな企業の論理だろうと思われると思いますが、それは一側面でしかなく、一番大きなメリットは「過度の競争」を防ぐことにあります。






考えてみればわかると思いますが、運輸業やガス、電気、水道などの人々の生活に欠かせないインフラの利用料金が過度の市場競争で乱高下したり、倒産によるサービスの提供ができなくなったり、市場競争の結果、大資本が市場を寡占化され好き放題されたりとそうしたことを防ぐ役割が「規制」にはあるのです。

つまり、規制を無くすことで「公の安定」が失われることがあるということです。

個人主義的に考えればそんなことどうでもいいとなるのでしょうが、ところがあなたのサービスを買う人も”人間である”ということです。

自社にとって利益になれば良いということは、裏を返せばライバル他社はどうなってもよい、むしろ倒産してくれた方が良いという結論になります。





基本的に所得とは労働か投資によって生まれます。

人間が消費をするには事前に所得を得ていなければいけません。

それを奪う、あるいは無くす、ライバル他者に関わる人達も消費をすると考えれば、経営者としては、「生かさず殺さず」がベストの選択になります。

表現がエグいですが企業経営理論の骨子はこの言葉が一番しっくりくるところもあるのです。





しかし、規制が無いという前提であれば必ずまた新たなライバルが次から次へと出現していくことになります。

その度に四苦八苦して競争して疲弊してとなれば、企業そのものの体力(ヒト・モノ・カネ)が、削られ、縮小していくことにもなります。

エンドレスに続く生きるか死ぬかのバトルロイヤルに拍車を掛けるのが「規制緩和」なのです。





このような過度な競争を防ぐことが規制の役割であって、鬱陶しい規制を突破した経営者だけが規制の恩恵を受けることができるのです。

政府が「これくらいの試練を突破できない経営者は、いずれにせよ成功しないから最初から諦めろ」と暗に言ってくれるものだと考えれば、モチベーションも上がるというものです。

過度な市場競争よりライバルと切磋琢磨し互いに磨きあった方が私的にも公的にも有益であると私は考えます。


規制緩和は供給能力を増加させる政策

ここまで説明してきた通りですが、規制緩和とは新規参入をやりやすくし、事業拡大もやりやすくします。

新規参入が増えれば全体の供給能力は上がることは想像に難しくないと思いますし、また、新規参入が増えれば競争も激しくなります。

全体の需要が変わらない状態で企業は限られたパイを奪い合うという構図になっていくのです。

これを一言で言えば「弱肉強食の世界」と言います。

問題は新古典派経済学の言う

「供給を増やせば需要も増えるのか?」

ということです。

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GDPは三面等価の原則という生産、支出、分配が必ず一致するという原則があります。

考えればそりゃそうだろうと思うと思います。

新古典派経済学の供給の経済学によれば規制緩和し、民営化などのいわゆる構造改革をすれば成長するということですが、ご覧の通り成長しているとは言い難い状況です。





この結果に対して、我が国は「構造改革が足らないからだ」とか、また「長期的には成長する」などと言ってきたのです。

ケインズの言葉を借りれば本当に長期的なんてことを言ってたらみんな死んじゃうだろって話です。

デフレは供給過剰であり相対的に需要が不足しているということを貨幣現象であると認識し、その貨幣の定義をマネタリーベースとしていたことで量的緩和をしてもデフレ脱却とは至らなかったのです。




需要が足りないなら需要を増やせば良いのですが、需要を増やすというのは政府が国債を発行して市中から資金を集め、何かしらの公共投資をするということになります。

しかし、我が国には社会通念として昇華した嘘、いわゆる国の借金問題が需要創出を阻んでいるのです。


規制緩和をインフレ時に行えばどうなるのか?

健全にインフレ率が上がっている状態では、徐々に全体の所得も増え、物価が上がっています。

また、需要が供給能力を上回っている状態でもあります。

その大きな需要に対応するために供給能力を上げることが求められます。

その際の方策が「規制緩和」なのです。





経営者が需要があると判断すれば(儲かると判断すれば)投資のために銀行からお金を借りるでしょう。

その投資は、GDPを作り出しますし、その投資で生まれた商品やサービスの量が増えていくことで需要に対応していくのです。

つまり、規制緩和という手段はデフレ脱却のためではなく、インフレを抑制するための手段であると言えるのです。

デフレ下で行えば現在の我が国のような状態になるということです。


競争を全否定すれば共産主義になる

私は、競争がダメだと言っているのではありません。

”過度な”競争がダメだと言っているのです。

過度の定義は正に全体の需要が増えていない状態で供給能力が増え全体のパイを奪い合うという状況です。





競争、あるいは切磋琢磨を否定すれば技術も進歩しなければ人間の生活も豊かにはなりません。

一切の競争のない世界は貴族階級を除いて99%が奴隷のような世界に近い状態になるはずです。

言論も統制され、大衆への監視が進み、毎月ギリギリの生活を強いられる。これが共産主義であり、グローバリズムの一面です。

グローバリズムは帝国主義、共産主義と親和性が高いイデオロギーでしょう。




私はこの状態を「極端」と判断しています。

何事もバランスが大事です。

孔子の言う「過ぎたるは及ばざるが如し」、「中庸の徳」のことです。

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