逃げれば必ず堕ちていく

フランス大統領選挙に決着が付き、国民戦線のルペン氏とマクロン氏の対決はマクロン氏に軍配が上がりました。

これからフランスはこれまで通りの新自由主義路線でいくのかなと思います。

フランス全体の失業率が10%前後、若年層失業率は26%あたりだと考えると、恐ろしいことになるのではないかと感じます。

イギリスを覇権国とする第一次グローバリズムは「戦争」で是正されたように、民主主義的ではない方法で是正されていくのか、あるいは全く是正されないのか、少しだけ是正されるのかわかりませんが、少なくとも反グローバリズムという「行き過ぎたグローバリゼーション」を主張する人達の影響力が強くなっていっていることは確実のようです。

そもそも”国境が無い”共通通貨ユーロ加盟国は、”各国”という呼び方すらできなくなりつつあると私は考えています。

何故なら、ヒト・モノ・カネが自由に行き来し、独立した財政政策や金融政策が打てないというのは、「国家の主権」が無いのと同じことです。

国家の定義は「主権、領土、国民」と言われていますが、まだ地球上の各国は貨幣経済の国が大半ですので、ここに「通貨」も入るべきでしょう。

しかし、言語の違いや宗教の違い、大本の文化の違いなどはこのグローバリズムという価値観では想定されておらず、国家を徐々に破壊していく秩序であることは、既に明らかになっています。

グローバリゼーションを成功させるには、移民には強制的に移民先の国の言語を強制し、その国に忠誠を誓わせるしかありません。

この方法で成功したのが「アメリカ」なのです。

元々、移民国家であるアメリカはナショナリズムの育ちにくい国です。

アメリカ政府としても移民に対しアメリカに対する忠誠を期待することはしてないし、むしろできないのです。

移民というのは、自国で何かしらの問題があって他国に移民するというのが大半です。

そういう人間に移民先のルールや忠誠、文化、常識などを自然に守れるとは考えにくいことは想像に難しくありません。

だからこそアメリカはアメリカ英語の強制と星条旗に忠誠を誓わせるのです。

このようにナショナリズムの要素に「言語」があります。

具体的にはその国の「標準語」とか「共通語」と言われるものです。

現地語や方言は話すものの、その国の国民なら99%通じるであろう言語です。

これは日本にいるとあまり感じませんが、海外に初めて行き、その時言葉が通じず困ったときに、

日本人がきたら」非常に安心するはずです。

これがナショナリズムの一側面です。

この心理を利用して、現地で日本人を騙す日本人も存在しますので、海外に行った際の

やたらと親切な日本人」には気を付けてください。

言葉が通じるということで安心感が得られる最も代表的な例です。

即ちそれは「言語が通じることによる仲間意識」です。

この”仲間”、コミュニティの規模の一番小さいものが家族、最大のものが国家となります。

まだ”地球市民”と言えるほど人類は優れていないのです。

お前は神様かと言われそうな視点で話していますが、私自身未熟者でございますから、そんな地球市民だとか世界平和とか、人権とか武力放棄とか大層なことは言えないのです。

これらの言葉を使える人はさぞかし精神が菩薩レベルなのでしょう。私には無理です。

では本題に入りたいと思います。

この記事では、「逃げれば必ず堕ちていく」ということをお話したいと思います。

逃げることとは何か?

社会では「辛いなら逃げること」「死ぬくらいなら逃げろ」と教えられます。

最近ではブラック企業問題もあり従業員が自ら命を断つなんてことや鬱など精神を患うことも多くなっているようですが、そこで何か問題があった時、経営者はこのように思います。

「根性がない」「最近の若い者は精神が弱い」「何が不満だというんだ」

とまあ極端な例だとこんな感じです。

「ちょっと厳しすぎたかな」「自分のやり方が間違っているかもしれない」「従業員に愛されない会社ではダメだ」

と思われている経営者も実は多いです。

むしろ、大半です。

多くの経営者は従業員の給料を上げたいと思ってるし、出来る限り良い環境を作ってあげたいと思っています。

しかし、社会で目立つのは「極端な方」です。

社会では冒頭でも言ったように「辞めればいい」とか「死ぬぐらいなら逃げろ」とコメンテーターがドヤ顔で語ります。

しかし、簡単に「逃げる」ということを言っていますが、「逃げる」というのはそんなに簡単ではありません。

逃げること自体が恥ずかしいことであるという風潮は未だありますし、逃げるという選択肢を選べないように環境を作られているケースもあるのです。

企業の研修や教育でもはや洗脳とかマインドコントロールと言っていいほどの精神状況に仕上げられたケースもあるはずです。

以前の記事で洗脳について書きましたので是非参考にしてみてください。

洗脳が行われる意味

北九州監禁殺人事件での被害者は、松永に洗脳されきって逃げるという選択肢を封じられています。

つまり、逃げることそれ自体ができない場合があるということでしょう。

そういった背景があった場合にただ闇雲に「逃げれば良い」というのはいささか無責任だと私は感じるわけです。

そもそも逃げるとは何を指すのか?

自分が辛かったらバックレる」ということでしょうか?

ですが、自分が辛いだけでそこから毎回逃げてたら、その人自身もろくな人間にはなりません。

そんな人が社会で信用されるのでしょうか。

まずされません。

私だったら自分が辛いからという理由でそこから逃げ出してしまう人を信用できません。

大抵の人がそう思うのではないでしょうか?

そんな社会なのに「逃げれば良い」と言うのもどうなのかと私が思うのはそのためです。

逃げれば良いという人達は別に自分がその人の面倒を見るわけじゃないから無責任なことを言えるのでしょう。

逃げることは現実問題として自分にさらなる災難が降りかかる可能性があるということです。

逃げるくらいなら戦え

私は逃げるくらいなら戦うべきだと思っています。

しかし、日本の義務教育では戦うということを教えてはいけないようです。

ある小学校教師から聞いたのですが教員が生徒に「人生は戦いだ

みたいなことを教えることは憚られるというのです。

人生がほとんど戦いなんてのは生きてれば誰でも気付きそうなものですが、それを教えてはいけないという教育の方がどうかしています。

それでは強い人間など育ちようがありません。

私は、「目の前のことから逃げることで受けるデメリット」があると思っています。

例えば、

逃げたということによる「自己嫌悪感」を感じる場合があります。

自己嫌悪を感じることで自分のセルフイメージは下がっていきます。

自分はダメな人間だ、何をやってもうまくいかないなどと考え始め、次第に鬱になっていきます。

また逃げることで自己嫌悪感を感じなくなってしまい、更に逃げることが「」になってしまうことがあります。

逃げ癖」がつくと非常に厄介です。

本当に何をしても続かないし、何をしても辛いし、何もしないことが標準化されていくのです。

こういった事があるので安易に逃げれば良いとは私は言えないのです。

また、だからこそ「逃げるくらいなら戦う」ことを選べと言うのです。

戦うという選択は、逃げたいと思っている時にもう一つできる選択となりますが、戦うことを選択することでこれだけのメリットがあるのです。

「前に進む」という挑戦する経験

恐怖」へ挑戦することでその恐怖を克服することができる。

「戦い方」を学び、勝つことの喜びを知ることができる。

何よりも「勇気」が醸成されることです。

一見すると子どもっぽいことを書いているような気がしないでもありませんが、「逃げる」という選択ではこれらのメリットは享受できません。

別にこれらのことを享受出来なくても金を稼げればそれで良いという人もいるでしょうし、そういう人はそうやって生きていけば良いです。

ですがそんな風に生きていくことが許されない人もいるので、そんな人達に何か参考になるようなことが書ければと思っただけです。

私は小さい頃いじめられた経験があります。

何度も何度も嫌がらせを受け、泣いていたところ兄に気付かれ「今からやり返してこい」と言われビビりながらひとりで一軒一軒やり返していきました。

すると不思議なもので次の日にイジメっ子達から謝られたのです。

それからは仲良く遊べるようになりました。

今時「やられたらやり返せ」なんて教える家庭も少ないかと思いますが、兄はその時教えたかったことは、「逃げたら一生逃げっぱなしの人生を送ることになる」ということを教えたかったのではないかと今になって思うのです。

それからも目の前のことから私が逃げようとする度に兄は何度も逃げないように諭してくれ、勇気を私にくれました。

私はこういった経験をしてまたこういった教育を受けて良かったと心から思っています。

いくらいじめられても、「先に手を出したほうが悪い」という考え方は、真珠湾攻撃を根拠とした戦後にできた考え方と知ることもできました。

今でも同じです。

どうやら私は社会不適合者とまではいきませんが、社会の少数派のようですし、少数派は常に多かれ少なかれ迫害を受ける構造になっています。

自由、平等という欺瞞の言葉を教えられ、それが現実には存在しないことを目の当たりにする人間は非常に多いかと思います。

私は「何かの奴隷」ではありますがその鎖を断ち切るために戦っていきたいと考えているところです。

奴隷の鎖自慢」だけはしたくないですね。

逃げるなら再び挑戦することを前提に逃げるべき

私は逃げることを全否定するわけではありません。

どうにもならないことは現実にはままあります。

そんな時に前に進むことはただただ危険であるばかりか再浮上のチャンスも逃しかねません。

そういった時は「一旦引く」ということも必要です。

誤解しないでほしいのですが、一旦引くとは逃げることを目的として逃げるのではなく、勝つことを目的に逃げることです。

猪突猛進であればいいかと言えばそうではなく、引き際を見極め引くところは引き、その後一気に押し返すことも戦術としてあるということです。

「逃げるなら勝つために」

「負けない為に逃げる」

これなら精神衛生上の心配もただ逃げるよりかはマシですし、何より前向きな逃げです。

怖いから逃げる、面倒だから逃げる、辛いから逃げるでなければ私は良いと思います。

まとめ

逃げ方を間違えるとその場所以上に居心地の悪いところに堕ちていきます。

そこからもまた逃げ出します。

結局、前に進まなければ逃げても、現状維持でも堕ちていくということです。

人生は戦いなんだと割り切れば少しは楽になるはずです。

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