企業の英語化は日本を復活させるのか?


先日、資生堂が本社部門を英語化するとの報道がありました。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ20IVU_Q7A220C1TJC000/

他の企業では楽天やファーストリテイリングを始め、アサヒビール、SHARP、ソフトバンク、日本電産、武田薬品工業、三井住友銀行、三井不動産、三菱地所、三菱商事、日立製作所などが英語公用語化を発表しています。

理由は、

グローバル化に伴う時代の流れは必然であり、日本は少子高齢化で衰退するから外需を取り込み、外に打って出なければならない」

といった理由や、

現代はグローバル化でボーダレスになる。この時代の流れに対応するためには、人材やカネを海外から積極的に呼び込まなければならない。

そのためには英語でビジネスを出来るようにすべきだ。」

と、こういった理由が支配的です。




これだけを聞くとなんとなくそうかもしれないような気になるかもしれません。

しかし、英語化で経済が復活するのであれば他の英語が公用語の国も”復活”するのでしょうか?

この記事では英語化が我が国を弱体化させるということを説明したいと思います。


企業の英語化に対する反論

楽天の三木谷浩史氏は著作の中で以下のように述べています。

「たかが英語!」

日本が第二公用語を英語にしたら、巨大なシンガポールになって、それこそ日本の経済は超強くなると思いますよ」

と語っています。

またこのようにも語っています。

1つ目は、優秀な人材を獲得できるからです。

世界には、日本語はできなくとも優秀な人がたくさんいます。

世界一になるために、多様で優秀な人材は欠かせないと考えます。

2つ目は、グローバル規模での情報共有と意思疎通を迅速にできるという点です。

ビジネスをグローバルに展開する上で、海外のグループ社員やパートナーと一緒に仕事をしていくことは必然となります。

英語は一体感を構築するための不可欠なコミュニケーション手段となるでしょう。

また、こちらが日本語で話したことを英語に通訳するプロセスで発生するコミュニケーションロスや時間ロスを解消できます。

3つ目は、そもそもインターネットビジネスの最新情報は英語で発信されるからです。翻訳されるのを待っているようでは、グローバル市場で勝てない。私どもも、日本語ではなく、英語で世界に発信していく必要があると考えます。」

これは本当でしょうか?




英語を第二公用語とすることで日本国民ひとりひとりの所得も上がり、日本人が英語を話すことで1億人以上の国民が幸福になるのでしょうか。

私はむしろ弱くなると考えています。

巨大なシンガポールになって日本経済は超強くなるとのことですが、シンガポールは移民国家です。

また日本から見ればタックスヘイブンでもあります。




そもそもですが外資や外需、海外の人材を取り込むことが何故「強い」とされるのか、このことの方が問題です。

これは重商主義であって帝国主義的な発想です。

グローバリストは時代の流れとよく言う割には、グローバル化それ自体が過去の過ちであることすら知らないのです。以下の記事で詳しく書いていますので参考にしてみてください。

グローバリストにとって「保護主義」とは「自由貿易」のことである

おそらく三木谷浩史氏の言う超強い日本経済とは

自社にとって稼ぎやすい下地」のことを指しているのだと思われます。




また、優秀な人材を獲得できるからということですが、これは逆に「英語ができなくても優秀な日本人の人材はいる」ということにもなります。

二つ目の情報共有云々の話もそんなものはテクノロジーで解消されます。

現在はドラえもんの「翻訳こんにゃく」のようにタイムラグも無く、例えばこちらが日本語で話し、一瞬でロシア語に変換して相手に伝える技術はすでにあるのです。

スラングにも対応しているし、翻訳機でよくあった意味不明な文章になるといったような問題も全くありません。

中にはとても実用性のない翻訳機もありますが、私の会社で取り扱っている商品は非常に実用性の高いモノです。

話が逸れましたが、そもそもIT企業であればこのような実用的なテクノロジーを開発、投資をして、日本語でも英語圏の人と高度なコミュニケーションが取れる商品なり、技術を開発すべきではないのかと思います。





三つ目の理由も上で説明したように、テクノロジーで解消されます。

情報発信を英語でしたければすればいいのですが、その情報を日本から発信するという発想があるのであれば、その情報を伝える人間は、母国語で思考することで最大の力を発揮できるはずです。

日本人なら日本語で、アメリカ人ならアメリカ英語で、韓国人なら韓国語でというように、幼少期に覚えた言語(国語)で思考することが最大のパフォーマンスに結びつきます。

これは想像に難しくないと思います。

このように少し考えれば、また多少の情報を知っていればすぐにわかることですが、こういった言説を主張するということは英語化することに、主張していない他の目的がある可能性を考えてしまいます。





しかし三木谷氏が産業競争力会議の議員を辞任されたことは立派だと思います。

竹中平蔵氏のように民間議員として、政府に影響力を発揮し自己の係る会社に利益誘導をするようなことはあってはならないことです。

http://www.huffingtonpost.jp/2013/11/07/rakuten-mikitani-skkkaigi_n_4236645.html


森有礼の日本語廃止論

実は明治初期に「英語公用語化」が議論されていました。

森有礼は近代化のために日本語を廃止し、欧米列強に負けない国造りをと考え、そのような過激な主張をしていたようです。

森有礼

ところが、ある外国人から「英語公用語化」反対論が出されたのです。

その外国人というのがイェール大学教授のウィリアムDホイットニーです。





森有礼は書簡でウィリアムDホイットニーにこのような主張をしました。

日本語は文法的に不十分な言語である。語彙も少なく、知的な概念は、中国語の助けを借りなければ論じるとことができない。したがって日本語は近代化を成し遂げるには向かない不完全な言語である」

概ねこのように主張を展開しました。

この主張に対し、ホイットニーは以下のように森をたしなめました。

母国語を棄て、外国語によって近代化を図った国で成功したものなどほとんどなく、簡易化された英語を用いるというのでは、英語圏の政治や社会、文学などの文明の成果を獲得する手段として覚束ない。

そもそも、英語を日本語の「国語」として採用すれば、まず新しい言葉を覚え、それから学問をすることになってしまい、時間に余裕のない大多数の人々が、実質的に学問をすることが難しくなってしまう。

その結果、英語学習に割く時間のふんだんにあるごく少数の特権階級だけが全ての文化を独占することになり、一般大衆との間に大きな格差と断絶が生じてしまうだろう」

更に、ホイットニーは次のように述べて日本語による近代化を進めています。

たとえ完全に整った国民教育体系をもってしても、多数の国民に新奇な言語を教え、彼らを相当高いレベルに引き上げるにはたいへん長い時間を要するでしょう。

もし、大衆を啓蒙しようというのであれば、主として、母国語を通じて行わなければなりません。」




ホイットニーの言うことは、多くの人が肌感覚でわかっていることだと思います。

私としても考えるまでもないぐらい当然だろうと感じることです。

ホイットニーの言ったことを要約すれば、

「まず母国語を豊かにして長い時間をかければ自ずと発展できる」

ということでしょう。

これまで具体的に説明されないことやこういった歴史があったことを教えない教育に問題があるのです。





我が国はこういった歴史があるのにも関わらず、また明治の頃の政権中枢にいた人間達と同じ系統なのに、また同じことを議論しているのです。

しかし、明治の頃よりも現代の方は具体的に政策が決められていきましたし、「グローバル人材の育成」というスローガンの基、授業の英語化をすることで大学の補助金が増額されたり、義務教育で国語もまだ覚束ない子供達に英語の授業をさせるということになっています。

これらを観ていると本当に人間は進歩しないんだと感じます。このまま進んでいけば日本語は単なる「現地語」となるでしょうし、フィリピンのように英語を話せなければ良い職にありつけないという国になることでしょう。


グローバリズム信仰は企業も国も滅ぼす

現在の企業の多くはグローバリズムを標榜しています。

しかし、今日のグローバリズム(新自由主義、新古典派経済学)の論理で企業経営や国家運営を行っていった結果どのようなことが起こったのでしょうか。

以前にグローバリズムの危険性を指摘した記事を書いていますので参考にしてみてください。

グローバリズムの果てに民主主義が破壊される

帝国主義とグローバリズムは根がひとつ



企業は株主資本主義となり、株主の配当を第一に優先した経営を行います。

国家はギリシャが典型ですが財政破綻にまで追い込まれました。財政破綻をしていないという認識の方もいるかもしれませんが、「デフォルト」の定義は利払いが出来なくなること、国債の償還ができなることですので破綻したと私は判断します。

企業は株主資本主義の行き過ぎで投資家の配当を優先するため、従業員の給料はコストとしか見ません。

その結果、アウトソーシングと非正規雇用が増えていき、全体の所得が下がっていき、格差が生まれていくのです。




そして、格差が生まれることで消費が抑えられデフレを助長していきます。

更に、デフレという状態ですので経営者はこの先儲かるといった想定ができないので、設備投資や人材開発投資、技術開発投資などの中長期的な投資はすることができません。

この場合に行う企業のオペレーションとしては、「コストカット」が正解となります。

そして非正規雇用が増え、正社員の待遇が徐々に悪くなっていき最後はおそらく非正規も正規も同じ待遇、条件となることでしょう。




それが、竹中平蔵氏がよく使う「労働市場の流動化」という言葉に隠された目的です。

この状態で良いサービスや商品を作れるかと言えば普通は無理です。

投資家は企業にコストカットを要求し絞れるだけ絞ったら、株を売って、「お疲れ!さようなら!」が出来ますが企業はボロボロになった会社を再構築しなくてはいけなくなるのです。

国家についても同じことが言え、要は「国家も企業も個人も必ず勝ち組と負け組に分かれる」ということです。




国家限定で言えば安全保障を考える場合には致命的な欠陥を持つシステムがグローバリズムということになります。

グローバリズムは新古典派経済学の論理が前提としてありますから、安全保障も通貨も民族もありません。

自己の利益を最大化することを目的とする「経済人」という個人しかないのです。


日本企業が英語化をしても英語圏から見ればダサい

当たり前のことですが英語圏の企業が英語を話すことは普通のことです。

逆に日本企業が日本語を話すことも普通のことです。

英語圏の有能な人材(エリート)は他国に来ればその国の言語で伝えます。それが「有能」ということです。




日本人が他言語の地域を訪れる場合はその地域の言語を最低限勉強して訪れるべきで、またそれが礼儀であり、他国の人間への尊重だと思うのです。

中国に弾圧されているチベット人達の中には焼身自殺を以って言語を奪うなと抗議しています。

本来、母国語というのは民族のアイデンティティなので奪われたら死も同然という感覚が日本人以外にはあるのです。

言ってみれば、「母国語に対する誇り」でしょうか。

フランス人がフランス語に誇りを強く持っていることは有名ですね。イギリス人も英語に対する意識はたいへん強いことで有名です。





外国人は自国の言語に誇りを持っていない人間や自国の歴史を知らない人間を軽蔑します。

我が国の政府や企業の英語化への動機、目的は

ビジネス」「カネ」なのです。

これに対し批判するメディアもありません。

これはもうほとんど病気なんじゃないかというぐらい




一億総拝金主義」あるいは「お金という宗教」という雰囲気が我が国にはあるのではないかと感じるのです。

金のためなら言語なんてどうでもいい、言語をコミュニケーションツールという意識しかない日本企業は先が見えているので投資しても損するだけなのでお気をつけください。

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