知りたくないことを知る必要性

知りたくないことを知る必要性

誰でも、自分に興味のないことは、触れようともしないし考えようともしないものです。

歴史認識を得意とする人は経済に触れず、経済を得意とする人はビジネスに触れず、ビジネスを得意とする人は歴史には触れないと言ったようなことはままあることです。


私自身、基本的には興味のないことは知りたいと思わないし、興味がない分野や知識がそれ故にわからなかったりします。

しかし、知識というものは思考のための源泉、栄養と言ってよく、新たに知識を得ようとしなければ、いとも簡単に「思考停止」は訪れます。

また、その思考停止は自分では氣づきにくいもので、それまで知識を得て考えてきたという自負が、自分を過信に追い込みます。


このように知識がアップデートされないままの状態を維持すると自分の心が淀んでいきます。

なぜなら、知識、思考の枠の中に囚えられ、思考と結論のループから抜け出せなくなり、心が堕ちていくからです。

一方で、専門家という立場の人達はひとつのことを追求し、1万時間以上を費やしているから、専門家としてビジネスができるのでしょうが、「ひとつのことしか知らない」状態はビジネスでは良いものの社会を観る上ではむしろ危険と言えます。

専門家や権威はなぜ間違えるのか?〜”専門的には”の罠〜

複合的に思考できない専門家という人達


日本という国は、教育、マスメディアを中心に国民に「思考すること」を事実上禁じました。

それは、ご存知の通り、敗戦後の占領政策に端を発します。


B層が多数派に付きますから、今後の行く末はC層にかかっています。そのC層が思考停止から闇堕ちや本来どうでもいいことで仲間割れをするようなことになれば、日本民族をはじめ、日本に住む外国人の方々、世界中の人々の未来は暗くなります。

そうならない為にも知識のアップデートは必要なのです。


興味のないことが興味のあることと繋がることがある

経済に興味がある人は、基本的にお金の流れについて興味がある人が多いかと思いますが、例えば、関連も薄そうな医療について調べてみると意外にも関連することがあります。

経済は産業の血液のようなものですから、関連して当たり前ではあるのですが、それだけでは不十分で、その上で、哲学、古典、人文学などの知識を得ると、違うものが視えてきたりするのです。


経済はお金の流れを小難しく語るものですが、売った買ったには、お金に「人間の心」が入ることを人文学では教えてくれます。

学問としての経済と現実の経済は必ずしも一致しません。

それはこのブログでも説明してきた通りです。

主流派経済学は世界レベルの「嘘」を生産している


この場合、医療と経済と人文学を観ることで、「だから医療はこのようになっているのか」みたいなある種の氣づきを与えてくれるのです。

このような状態に私は何度もなりました。

興味のないことを調べるのは最初のうち非常に苦痛ですが、慣れてくると、自分の知識との、関連性や疑問などが出てくるのですそれが、新しい思考の入口になったりします。


自分の世界が拡がる

思考の入り口が見つかると、それに関わる疑問を調べ始めます。調べれば調べるほど、新しいことが見つかっていき、興味のない知識を得る前の段階では全く違う世界にいるような感覚になります。

これは、自分で経験してその時の感情を、自身で観察するしかわからないと思います。


最初は苦痛ですが試してみてください。

全く違う世界にいるような感覚になるということは、「自分の世界が拡がる」ということです。

世界というのは詰まるところ、自分自身の「認識」の問題です。


知らないことは、無いのと同じといったことですが、知らないままでは自分の世界は拡がらず、無知な人間と無知ではない人間が同じ結論になったとしても、それは同じようで同じではないのです。

自分の世界が拡がるということは裏を返せば、「選択肢が増えること」でもありますし、「情報を多角的に考えることができる」ことでもあります。


眼が鍛えられる

結果として、自分の「脳で観る眼」、いわゆる第三の眼が鍛えられ、磨きがかかるのです。

情報というものは人間が扱うものですし、最近ではAIも作れるようなので情報とは基本的に「あやふやなもの」です。

情報の正確性などは最終的には権威などではなく、自身の思考、もっと言えば「魂」です。


自分自身の魂と情報の正確性には一見なんの関連性もありません。

ですが、あらゆる情報にはエビデンス、根拠なるものが必要とされますが、その根拠自体に疑念がある、それを担保する権威の信用がない場合には自分で考えるしかありません。

その時、思考の材料となる知識が貧困であれば「誰かについていく、先生が言ったことを信じる」とならざるを得ません。


そうならない為には、日々の積み重ね、氣の遠くなるような行動、実践をする必要があります。

氣の遠くなるような行動と言いましたが、別に目標を設定する必要などなく、「ただ地道に繰り返し楽しんでやる」だけです。

必要なものは好奇心で十分です。


体力と氣力

その好奇心の源泉は健康であることと楽しめる意識です。

何事も楽しむ工夫をすることで見つかるものも多くなりますし、それをするには体力が必要です。

頭が良い悪いは何の関係もありません。


そもそも、何が良い何が悪いなど元々存在しないものです。

頭が良いという概念にしても、この社会で形成された共通認識として単なる「価値観」に過ぎません。

氣をつけていただきたいことは「周りの目」という物差しはネガティブに受け取るのではなく、観察してそれすら思考の材料するといった意識が重要です。

自分で物事を考える人間には冷たい社会ですが、それはそれで利用すれば割と活用できるものです。

孤独になる必要はなく、この社会で孤独でない人を見つけるほうが難しいことです。


様々な人間の営みで人類の歴史も現在の社会も連綿と続いてきわけですから、逆に言えば孤独な人など存在しないとも言えます。


まとめ

興味のない知識も一度触れてみることが重要です。

「興味のないことが興味のあることと繋がることがある」

「自分の世界が拡がる」

「眼が鍛えられる」

「体力と氣力」

巷ではコロナウィルスが猛威を奮っているとのことですが、その裏では種苗法改定、汚染水放出が行われるそうです。

汚染水の海洋放出案 経産相「心配も理解」 知事ら反対で

【主張】遺伝資源 知的財産の保護が急務だ

このような狂気に打ち勝つには見方を変え、自分自身が変わるしかありません。

いらんお世話のような記事かもしれませんが、参考になれば幸いです。

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