事実と真実の違い〜自分を信じる〜


事実」とは何なのか?

真実」とは何なのか?

「みんな”違う”真実語ってない?」

一体何が”正しい”情報なの?となってしまうかと思います。


過去にこのような記事も書きました。

何を信じればいいのかわからなくなった時に


この記事の中で、「最終的には自分の良心に従って結論を出す」ということを話しています。

ですが、そもそも真実とは何かについては書いていなかったと私自身思いましたので、今回の記事では少しブレイクダウンをしたものを書いてみたいと思います。


事実とは何なのか?

「事実」とは

「過去、現在に実際に発生したこと」

です。

そりゃそうなんですが、「事実」の根幹は嘘をつかない限り誰が観ても「発生した」という人の認識のことです。

ここに「」が入りこむからややこしいことになって「歴史認識」という言葉などで翻弄されてしまうのです。

 

 

例えば、いわゆる南京事件について、私は「この事実は無かった」と「認識」しているわけですが、中国政府の「嘘」を根拠としたプロパガンダによって、その影響を受けた誰かにとっては「事実」とされているわけです。

本来は実際に起こったことを事実というのにも関わらず、「認識」という表現をしているのはこのためです。

 

 

タイムマシンがない限り、過去に遡ってその事実を「確認」することはできません。

技術的に今は事実の確認ができないので、確認方法は「記録」しかありません。

その記録は、政府機関が正式に作成したものが「信憑性が高い」とされます。

そこに嘘が無いとは言い切れないのですが「政府」が出した情報以上に、信頼できる情報は今のところないので、仕方のないことです。

私はいずれ更に信頼できるソースが生まれるような気がしていますが。

したがって、「事実は曲げられることを前提に考える必要がある」ということです。


真実とは何か?

真実とは、

「その人の思い込み」

であるということです。

主観的なものであるとも言えます。

また「真実」とは多くの場合、「」が伝えるものです。

例えば先ほどの例で言えば、いわゆる南京事件を”事実”として認識していれば、その人にとってはその時点で”真実”です。

あくまで”その時点で”が重要です。

 

 

 

南京事件について、結論ありきの調査でないことを前提に、徹底的に調べてそれに関わる様々な情報を得たとします。

その情報を得た人は、知る前と知った後では認識が変化します。

したがって、”その時点の情報量で”結論を出すことになります。

平たく言えばその人の中では、「この時点の情報量では真実です」となるのです。

更にそれらの情報に、担保(信頼性)を付けることでより一層正確な情報を得ることができ、

「正確な真実」に近づくことができるのです。

この正確な真実を出すためには圧倒的な情報量とその情報の信頼性を確保しなければいけません。

 

 

 

ある分野について「知らないことはない」レベルに近づいていかなければならないのということです。

しかし、「知らないことがない」ことをどのように証明できるというのでしょうか?

これは、ないことを証明することはできない「悪魔の証明」です。

だからこそ、「真実」とは「思い込み」であるということ、その人のレベルによって真実が変わるという主観的なものであると言えるのです。



真実を辞書で引くと、「嘘や偽りのない本当のこと」となりますが、現実には嘘や偽りのないことを証明することはできません。

大学教授や官僚、政治家、弁護士など立派な肩書で堂々と嘘を連中もいるわけですから、「本当のこと」など自分で見つけ出すしかないのです。

こういった現実を踏まえると、真実が「その人の思い込み」とならざるを得ないのです。


では、真実はどうすれば見つけられるのか?

コンサルタントらしいことを言えなくて恐縮ではありますが、

分野を主義思想に偏らせずに学ぶこと

調べること

自分の良心にしたがって結論を出すこと

自分を信じること

しか”今のところ”ありません。

最後は信じるという行為が必要なのです。

 

 

科学を突き詰めた人の多くが、「神」や「宗教」にたどり着くのはその為なのかもしれません。

例えば、アインシュタイン博士やニュートン、エジソン辺りは有名ですが、ハーバード大学神経科学者のアイベン・アレクサンダー博士や神経生理学者のジョン・C・エクレス博士、量子力学創始者であるノーベル物理学賞受賞者マックス・プランク博士、マサチューセッツ州工科大学工学部のクレン・ブイ教授など一般的に科学と宗教は対立するものと思われがちですが、そんなこともなさそうです。

試しにひとつの事柄を突き詰めて調べてみると面白いものですよ。

なんで?を繰り返していくと最後は必ず「神」に行きつくことは多いものですから。




とは言え、神に行き着いたからとて、思考停止になってしまってはそれはあなたの

限界」、「底が知れた」ということになります。

そこが自分と闘うタイミングだと思い、諦めずに真実を見つけようとすればいつの間にかとんでもない情報量になることでしょう。


まとめ

事実とは「過去、現在に実際に発生したこと」また事実は曲げられることを前提に考える必要がある」

真実とは、「その人の思い込み」であること

真実を知るためには、

分野を主義思想を偏らせずに学ぶこと

調べること

自分の良心にしたがって結論を出すこと

自分を信じること

ということです。

非常に難しいことですが、私には私の「想い」があるのでその想いに正直に生きていくためには、これらを実行するしかありませんでした。

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