政治にも選挙にも希望は”いらない”

狂ったような猛暑、日本列島をなぞるようにしかこない台風、サル痘蔓延の準備、唐突な通信障害、増やす感染者数(陽性者数)、図々しい節電依頼などショック・ドクトリン目白押しですが、いかがお過ごしでしょうか。

毎度、国政選挙前になると有名人が逮捕されたり、大きな事件が勃発しますがあからさま過ぎて、薄ら寒い気持ちになってきます。

選挙とは「民主主義が存在していると思い込ませるための儀式」であり、制度自体がでっち上げのようなものです。

また大衆が民主主義の存在、選挙の公正性を信じ込むことで成立する幻想です。

大衆に民主主義が存在していると思い込ませるためにはどうすれば良いのか?

政治家は日米合同委員会の台本を読む役者であり、票を数えるのは利害関係のある株式会社やどこぞの宗教団体の息のかかった組織だったりします。

だからこそ野党は必ず勝てる選挙でも、「合意されている事項」には触れずに、いい塩梅で当選してまた利権漁りをするという構図になるのです。

今回の選挙における「合意されている事項」を考えてみると以下のものです。

・コロナワクチンの薬害

・コロナ予算使途不明金16兆円の追求

・ウクライナ政府が実はネオナチであり、東方のロジア系住民を虐殺したこと。そんなのに支援金を送金したこと。

・改憲のファシズム的性格

が大きいものでしょう。

例によって、日米合同委員会や自由貿易協定の問題には言うまでもなく誰一人触れません。

https://twitter.com/shizukanakurash/status/1543287195687321600?s=20&t=RG203zTjWBwepFxx9aFwgw



このような現実があるなら、選挙に行くなんてまるっきり無駄なことじゃないかという話になりそうですが、そうでもありません。

仮に私が、大衆の正確な世論を知りたいと思ったら、複数の匿名掲示板やSNS、そして「選挙」です。

誰一人選挙に行かないことは理想的で最も良い方法なのですが、現実問題、統一教会や創価学会、生長の家、幸福の科学、立正佼成会などの信者は絶対に行きます。

そもそも、金と愛と宗教の折り合いもつけられないのが人間ですから、投票者ゼロはまず無理なのです。


この世界は両建て、弁証法的な策略で動いています。

つまり、支配層が大衆の考えや方向性を見極める上で選挙は最も正確な材料ですから、不正は行いつつも、今後の大衆に対する攻め方を決定する材料となっている可能性もあるのです。

平たく言えば、「実際の投票では改憲は無理そう。ここで強引に国民投票で改憲しても暴動が起きかねない。それなら別のもっと綿密なプランで大衆を騙すネタを用意して誘導しよう」といったイメージです。



繰り返しになりますが弁証法、両建てで社会運営がおこなわれていますから民意と真逆のことは支配層もしないですし、できないのです。

これだけひどい政治がまかり通っているのは、もちろん国民のレベルが低いからです。

政治家がゴミなのも、CIAの回し者ばかりなのも、それに声を上げない国民がそれを許しているのです。

彼らには、建前だけで最初からやる気なんてないんだという前提で政治家を観なきゃいけません。

政治に、選挙に希望などもってはいけません。

政治の世界は裏で絵を描く人間がいて、それを儲け話として乗っかり、利権が生まれ、ある者は騙され、ある者は消え、いつも儲かるのは同じ奴といった世界です。ドブのような世界です。

誰もが絵を描いた人間の代理人として、自分が何をしているかもわからないまま、誰もがただ「仕事として」自らの利益を図り、社会を悪くしていきます。

自分に言い訳をして、自らの行いを正当化し、それまで働いた悪事を忘れて、イチ抜けたなんてのはできません。



因みに賄賂もいくらでも合法的にできます。巧妙化しているに過ぎません。

例えば、昔から美術品なども使われていますが、賄賂専門のリサイクルショップと鑑定師が使われたりします。

所有権を二転三転させれば賄賂と証明できませんからいくらでもできるのです。

法人を作ったり、団体を作ったり、協会を作ったり、枚挙に暇がありません。

そんなことをしている人達は、「昔はやりたい放題だったが今はできない」とか「そんな時代じゃない」と平気で言ったりします。

現代ほど、金だけで動く政治家や官僚がいた時代はないでしょう。

そんな奴らが「改憲」を行おうとしています。

徴兵ができます。強制ワクチンが可能になります。警察や自衛隊が個人宅を訪問し、注射することができます。

政府が個人の資産を接収することができます。

「そんなことするわけないじゃん」

と思うでしょう。

では、するはずがないのなら、なぜ変える必要があるのでしょうか。

するしないではありません。

それができないようになっているのが現在の日本国憲法です。

人間が作ったものである故に完全ではありませんが、しかしコロナ茶番の医療ファシズム化がこの程度で済んだのは、日本国憲法の存在があるからです。

コロナ特措法のようなどう考えても憲法違反の法律が制定されたものの、運用は限定的と言えるほど莫大な数字にはなっていません。

マスクも注射も自粛も強制ではありません。

接種した人は従順な人や騙された人ばかりです。普通は騙されます。


そのギリギリの自由を確保しているのが憲法です。



七夕が近いですが、私はもう汚染された天の川を見るのは御免こうむりたいところです。

うんざりして耳をふさぎたくなる気持ちもわかりますが、そのせいで私達は分断されます。

知った以上は、沈黙は許されません。なぜなら沈黙が自分の命を奪う時代だからです。

そして現代における、沈黙は「共犯者」です。人を辞めたに等しい振る舞いになります。



この炎天下でもマスクを着用している人間はすでに尊厳を奪われてしまったのでしょうか。

そもそもマスクをしていないと人目が気になる事自体、他人軸で生きているということですから、そんなんで自分を生きていると言えるのでしょうかね。私にはとても無理です。

尊厳などなければ、晴れてムーンショット計画そしてメタバースの世界に行けますが、それこそそこは、「自由の檻」ではないでしょうか。

せめて、泥の中に咲く蓮のような生き方をしたいところです。

人間に関することに安定などないことを忘れてはならない。それゆえに、繁栄している時には過度の喜びを避け、逆境にある時には過度の落ち込みを避けなさい。~ソクラテス~



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