”知る”とは”する”ことが前提である〜知行合一の意味〜


知行合一”このブログのタイトルに使わせていただいている言葉です。

ちこうごういつ”、”ちぎょうごういつ”と読みます。

この言葉は、中国、明の時代の儒学者・王陽明が始めた

陽明学」の命題のひとつが「知行合一」です。

孔子の”論語”の中の「先ず其の言を行い、而して後にこれに従う」という教えが元になっているとのことですが、私は、「義を見てせざるは勇なきなり」の方が本質的なのではないかと考えています。


知行合一の意味

この言葉の意味とは、

知識を得たら、知っただけで満足せず、その知ったことを実践に移し、そこから学び、工夫し、修練を重ねてこそ、真の知恵になる

ということです。

書くことは簡単ですが、これは非常に難しいことです。

 

 

 

現代は、有益な情報は、本を買わなくても、インターネットで検索するだけで得られる時代です。

もちろん書籍は”言論の最後の砦”だと私は思っていますし、情報のほぼ最上位に位置していると考えています。

無料の情報なんて大した情報ではないという意見もあるかと思いますが、ではなぜ、

Googleが”検索ユーザーにとって有益なコンテンツ”を上位にするのでしょうか?

 

 

また、無料の情報でも、例えばお金儲けをするヒントはいくらでもウェブ上に散見されます。

ノウハウコレクターという言葉があるように、得た知識を実践、行動に移すことは難しいことなのです。

知識をインプットしても、アウトプットしなければ身に付かないことと同じように、

実践することで「知る」が完成に近づきます。

ですがなぜ多くの人が実践まで行わないのでしょうか?

 

 

それは得た知識を実践することには「勇気」が必要だからです。

自分がそれまで知らなかったことを知り、実践すること、

つまり知ったことを「試す」という作業です。

 

 

 

試すこと」に勇気が必要というのは、言わば、

もし自分が、その知識を実践しても結果が出ない可能性があること」を覚悟することです。

 

 

 

結果が出なかった時には、「なぜ結果が出なかったのか」を考え、「もしかしたら結果が出るかもしれないこと」を試し、それでも結果が出なければ、また工夫し、試行錯誤を繰り返すということが「試す」ということになるのです。

 

 

しかし、その段階において、大抵の場合このように考えてしまいがちです。

「自分がやらなくても他の人が実践して実績が出ているのだからわざわざ自分が試す(実践する)必要はない

と。

「結果の見えないことを継続すること」

は、非常に苦痛なのです。

苦痛は誰でも避けたいものです。

 

だからこそ実践は難しく、またすることそれ自体が「尊い」行いでもあるのです。

マネジメントで使われるいわゆるPDCAサイクルにも、似たような性質があるように思えます。

計画してやってみて、チェックして、修正する。

これを繰り返すことがPDCAサイクルですが、こちらは計画する段階で一定のゴールが見えるので、知行合一を実践するためのツールになります。

 

 

試す段階での、「失敗」は付き物です。

その「失敗」をあなた自身がどう捉えるかが非常に重要になります。

その失敗を、エジソンのように「うまくいかない方法を見つけることに成功した」とするのか、

うまくいかない。めんどくさい。もういいや」とするのかです。

 

 

もういいやとなれば「活きた知恵」は習得できないことになります。

そういった苦痛と闘いながら、「活きた知恵」を習得する。

活きた知恵を習得することが、本来の「学ぶ」ということだと私は考えています。

知行合一から義命合一へ

知行合一を心がけていくことで、自分にしか見えないモノの見方や、考え方、つまり自分だけの世界が構築されていきます。

その自分だけの世界で、人と違うことを恐れず、どう生きていくか、何が自分にとって正しい生き方なのかの取捨選択を行い、自分という存在が確立します。

自己が確立された状態で、今ある「現実」と向き合い、自己の理想を体現していく。

自分が「正しい」と思っている生き方を実践することで、綺麗事ではないプラグマティックな考え方と理想とのバランスが必要となります。

あなたの正しいは「信念」となりますが、その信念から観た社会というのは、真逆に向かっているように感じることでしょう。

しかし、逆らい難い世の中の情勢に対して、負けると理解していても、大勢に逆らってでも、我が道を行こうと訴え続けることが義命合一の””です。

義を貫こうと最大限の努力をした結果、負けることもありますが、その場合にはその結果を粛々と受け止めること、これが「」です。

 

 

義命合一とは伊藤仁斎の教えですが、はっきりいって知った当初は意味がわかりませんでした。

この、

「人事を尽くして天命を待つ」

と同じだと当時の私は解釈してしまいました。

似てはいますが同じではありません。

人事を尽くして天命を待つというのは、人間として出来得る限りの努力を行い、後は運命に任せるということですが、「人間として」と言っても、人間にはそれぞれレベルがあります。

知行合一を行い自己のレベルを上げることで、「人事」のレベルも当然変わります。

つまり知行合一を前提に、義命合一は達成されるということです。

これまでの人類の歴史の中で多数の意見というのは、正しいか間違っているかは別にしても、「勇気」を
持った一人の人間から創られたのだと私は理解しています。

このことから、知行合一の先には義命合一があり、義命合一を完成させるには「勇気という強さ」が必要だということです。

 

 

本当に強くなりたいものです。

吉田松陰先生は言ったそうです。「諸君、狂いたまえ」と。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

スポンサーリンク

   
   

SNSでもご購読できます。

ソーシャル

にほんブログ村

コメントを残す