企業の本質と社会的要請は両立しない

企業の本質と社会的要請は両立しない

なんだか堅いタイトルですが、”そもそもという視点で企業という”人”を見つめることは、本質や自己の役割や生き方まで考えることができることです。

企業がサービスや物を生産し、販売して、利益を得るという活動はすべての企業が行うことですが、業種の違いによる考え方の違い、慣習の違い、互いの役割など企業同士は互いに密接な関係を持って、社会に対して「豊かさ」を与えています。

その豊かさを社会に与えその見返りにお金をいただき利益を出し、その売上、利益を原資として、更に豊かさを多くの人に与え、企業は維持され成長していきます。

これが企業の活動です。

しかし、この20年私は多くの企業がこの原則に則り活動をしてきたと信じていたのですが、どうも現実はそうではありません。

大手の企業の方がそうではないために中小企業もこの原則を実行していても生き残れないと考え、東芝の粉飾決算で有名になった言葉「当期利益至上主義」になってしまったのではないかと私は理解しています。

かつては終身雇用、年功序列制で従業員の生活は基本的には保証されていました。

現在は非正規が増え正規雇用が減っていっている状況です。

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総務省統計局http://www.stat.go.jp/info/today/097.htm#k1

企業はこの20年でどのように変わっていったのか。

企業の存在意義や本質、本来の社会的要請とは何なのかを考えてみたいと思います。

デフレとグローバリズムが企業を利己的にした

企業はデフレ経済によって需要がないという時代を20年間経験しました。

その為に、いかに限られたパイを取るか、無駄を省き効率化していくかを強いられてしまいました。

バブルの時はいかに利益処分をするかに重点が置かれていたのが、バブル崩壊後はいかに経費削減をし利益を維持するかに傾倒したのです。

経費削減サービスを提供する企業が増えた、あるいはスポットライトを浴びるようになったのはデフレになったとされる96年以降です。

端的に言えば売れないから経費削減をして利益を維持することが求められたのです。

更にグローバル化が進んだことにより、安い商品が海外から入ってくるようになったために物価は上がらず、消費者も1円でも安いものを考え、購買活動をしてきたのです。

企業は安い人件費を求め海外に生産拠点を移し、現地の雇用は増えましたが、その分我が国の雇用は減ります。

その安い人件費で作られた商品が逆輸入という形で、日本に入りその安い商品を消費者が購入することで更にデフレに拍車をかける事態となったのです。

グローバリズムは資本移動の自由を推奨し、現在の日本の株式市場の7割(取引)は外国人投資家です。

投資家は企業に経費削減と短期の業績アップを要求し、自己の配当を増やそうと活動します。

資本主義ですから株主にそう言われたら経営者はその要求を突っぱねることは簡単にはできません。

すると経営者は短期的に利益を増やす為にできることを考えます。

そして、人件費の削減を始めとする経費削減、技術データの改竄、粉飾決算などの不正に手を染めざるを得なくなったのです。

日本全体がこのような風潮、空気になれば現在の結果は納得がいきます。

善悪は当然ありますが、企業としては生き残るために必死に活動し、生き残るための手段が不正や経費削減だったということでしょう。

デフレは企業の性格を変えた

冒頭でも書きましたがかつては企業に終身雇用、年功序列制がありました。

当時はこのシステムが当然だと思っていたし、多少の問題はあれど、ある程度社会全体の利益に奉仕していました。

しかしその制度は完全にとは言えないものの崩壊しているといった状況でしょう。

成果主義、実力主義」といった言葉が踊りだしたのはいつごろからでしょうか?

成果主義であれば企業は成果に応じて賃金が出費されるだけなので非常にありがたいシステムです。

逆に言えば、年功序列制は多くの結果を出している人にとっては不公平なシステムと言えるでしょう。

しかし、全体のメリットを考えるからこそ年功序列制、終身雇用は有益であると言えるのです。

つまり成果主義も経費削減も根本にあるのは「利己主義」「個人主義」であるということです。

グローバリズムも成果主義も必ず勝ち組と負け組とに分かれます。

勝ち組は良いですが負け組はどうすればいいのでしょうか。

負けたんだから勝ち組に従えとなるのでしょうか。

実際になっているのが日本並びに日本企業の風潮であると感じているのです。

勝ち組の立場では自己責任論やグローバリズムなどの新自由主義的な考え方に親和性を覚えるでしょう。

なにせ勝ち組ですから。

勝ち組は自分の論理は正しいと考えるでしょうし、それで良い思うはずです。

しかしそれは全体を犠牲にし、自己の利益を優先した利己主義であるという側面を無視していると社会が証明してしまっているのです。

元々、企業は社会の公器であり、社会に豊かさを提供することは全ての企業の社会的責任です。

ところが長年続くデフレの中で、企業も個人も利己主義的な活動をしていったことで企業の論理は「市場で勝つこと」、個人では「金銭的所得で勝つこと」が唯一の目的という性格になっていったのです。

企業の本質は「利益追求」のみ

企業は「法人」と言われますが、法人とは、「法的に認められた人」ということです。

民法と会社法に共通点が多いことや会社法の理解に民法の理解が必須と言われるのはこのためです。

企業を「人」として考えたらどういう人なのでしょうか。

ある事業に集中し、追求していくことで商品やサービスを生み出し販売して利益を出す。

冒頭でも書きましたが企業はこれが全てです。

企業を人として考えたら「サイコパス」と言えるほどの性格を持っていると言えるかもしれません。

そんな「人」が社会的要請、CSRとも言いますが、それを考えたところで、お茶を濁した程度に当局や社会から追求されないような行動しか取らないと普通に考えれば思います。

CSR、企業コンプライアンスの目的は「社会に叩かれないようにする」ことであり、その手段は「いかに社会に良いイメージをもってもらうか」を考えることなのです。

もちろん現場レベルではそんなことはありません。

一生懸命業務に従事されている方が大勢います。

そうではなく本質的に企業はCSRや企業コンプライアンスを真に貫くことと利益至上主義は両立し得ないということです。

企業がこの二つのどちらを選択するかは言うまでもないことです。

まとめ

企業はデフレ経済とグローバリズムの影響で利己主義になった。

デフレは企業の性格を変え個人の考え方も変えた。

企業の本質は利益追求である。

要点だけ絞ればこういったことではありますが、かなり端折ってる部分も多々あるので別の機会に更に細かい部分を説明したいと思います。

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