大東亜戦争〜戦争の本質〜


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「平和とは戦争と戦争との間の騙し合いの期間」

悪魔の辞典の著者アンブローズ・ビアスの言葉です。

平和が大事と言いながら何故人類はは戦争を繰り返すんでしょうか?

あの戦争は、本当に日本の侵略戦争だったのか?

戦勝国は敗戦国にどのような仕打ちをするのか?

戦争を考える上で、様々な視点がありますが、特にこの記事では大東亜戦争(太平洋戦争)を分析してみたいと思います。


大東亜戦争までの経緯

大東亜戦争というのは当時、支那事変を戦っていた日本と蒋介石の率いる中国国民党(中華民国であって現在の中国共産党ではない)とアメリカ、イギリス、オランダの連合国と1941年12月8日に始まったとされています。

何故、私が「太平洋戦争」と言わずに「大東亜戦争」という言葉を使うのか不思議に思ったかもしれませんが、本当は大東亜戦争が正式な呼び方であるからです。

何故なら、当時の東条英機内閣が「閣議決定」で大東亜戦争と呼びましょうとなったからです。

因みにでは、何故私達は、本来正式である言葉を使わずに太平洋戦争という言葉を使うのでしょうか?

ついでに「日中戦争」も本来は、「支那事変(日華事変)」です。

戦争は宣戦布告によって始まりますので、宣戦布告のなかった支那事変はあくまで「事変」なのです。

実は太平洋戦争という言葉は連合国軍総司令部(GHQ)が占領政策の一環として我が国に押し付けた言葉なのです。

以前の記事でGHQの占領政策について簡単に説明しましたのでそちらを参考にしてください。



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話を戻し、少し遡って考えてみます。

大東亜戦争が始まる前に盧溝橋事件(ろこうきょう)という事件がありました。

この事件が、支那事変(日中戦争)を始める切っ掛けになったと言っても過言ではないのです。

盧溝橋事件にも誤解が多いのですが、日本が先に発砲したということになっています。

ところが事実は、盧溝橋で軍事演習を行っていた日本に中国側が発砲したのです。

当然、演習を行うことも中国側に通知されていました。

もちろん演習であったので日本軍は空砲を使っていたのです。

そうしたら、中国側が実弾を撃ってきたのです。

それが始まりだったのです。

実は当時、ソ連は中国共産党の毛沢東とがっちり組んでおり、国民党率いる蒋介石は中国共産党を相手にすべきか、日本を相手にすべきか迷っている時期でした。

そのタイミングで発生した盧溝橋事件で、毛沢東としては棚からぼた餅の事件だったのです。

私が毛沢東の立場だったら蒋介石の意識が日本に向くこのような事件が起こった

なら相当にありがたい事件だと感じることでしょう。

盧溝橋事件は第二九軍の偶発的射撃によって始まったということになっていますが、

実はその当時盧溝橋にはイギリス軍、アメリカ軍、フランス軍、イタリア軍も駐留していました。

なんだか、突発的に起こった事件ではないだろうなという感覚はあります。

ここから一気に日本軍の暴走によって中国全土に戦火が広まったということに、”教科書”的にはなっていますが、実際は和平交渉を行い、和平寸前まで到達していたのです。

ところが、二つの重大な事件が起きました。

盧溝橋事件の22日後の1937年7月29日に通州事件という事件が起きました。

中国の保安隊が通州に住んでいた日本人の居留民を襲撃し、猟奇的にまた残虐な殺し方で日本人を虐殺したという事件です。

この事件が起こり、日本側の国内世論が沸騰しました。

1937年8月13日、第二次上海事変という事件が起こりました。

当時はこれらの事件以外にも多くの事件がありましたが、この二つの事件が決定的となり、後に本格的に支那事変が始まったということなのです。

この第二次上海事変の時に、上海軍を指導していたのがドイツ軍でした。

なので相当強かったようです。

時系列をまとめると概ね以下のようになります。

1937年(昭和12年)7月7日盧溝橋事件が起きて一旦落ち着いた

1937年7月29日に通州事件

1937年8月13日第二次上海事変

支那事変(日中戦争)

1941年12月8日大東亜戦争

かなり教科書とは違いますが、これが事実です。


支那事変の時点でアメリカとイギリスは日本への敵対行動をしていた

蒋介石率いる国民党軍は支那事変当時アメリカとイギリスから軍需物資の支援を受けていました。

これは、簡単に言えば、「中国頑張れ!」っていう応援と同時に「日本への敵対行動」です。

しかし、本来は日本が中国との戦争中にアメリカ、イギリスは軍需物資を支援してはいけない法律になっていましたが、あくまで「事変」なので支援しまくっていたということなのです。

当然、日本側としては国民党軍の軍需物資の供給を断ち切りたいという戦略がありました。

その供給を潰せない限り、支那事変は終わらないということになります。

逆に言えば、その供給を断ち切れれば終わるのです。

そして、1941年12月8日、真珠湾攻撃を皮切りに大東亜戦争が始まりました。

これも、ということになっていますと言わざるを得ません。

実は、日本軍の真珠湾攻撃(パールハーバー)の前には既に日本軍はマレー半島にてイギリス軍と戦闘をしていたのです。

因みにルーズベルト元大統領はパールハーバーも暗号解読によって事前に知っており、わざとハワイの軍事基地を攻撃させたということです。

そこで、なくなったアメリカ兵の遺族から訴訟を起こされています。

このように敗戦国で教えられる歴史というのは、戦勝国にとって都合のいい歴史を教えられてしまうのです。

一般的なイメージでは戦争は発砲した時点とか攻撃した時点で始まるというイメージがありますが、そうではなく、「戦争の準備」をしている時点で始まっているのです。

よく「戦いは戦う前から始まっている」と言いますが、本当にその通りです。

では何故、パールハーバーから戦争が始まったと世界に広まっているのか?

それは、アメリカがどうしても戦争をする理由が欲しかったからです。

しかし、ルーズベルトは戦争をしないということで大統領になったので戦争しますとは中々言えるはずもありません。

また、アメリカは移民国家であるために、国民の一体感、つまりナショナリズムが醸成されにくい特性を持っています。

では、どうするか?

アメリカ人の共通の価値観はフェアとジャスティスです。

アメリカ人の共通の価値観に訴えるため「プロパガンダ」を遂行したのです。

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アメリカはなぜ戦争をしたかったのか?

1929年にウォール街大暴落を切っ掛けとして世界恐慌が発生しました。

この時に起こったことは超デフレーションです。

当時のアメリカの失業率は1933年の時点で24.9%までいきました。

ドイツは、 1932年の時点で、43.3%の失業率で労働人口の4割強が失業者となっていました。

ドイツはまだしもアメリカに社会保障はありません。

これではとても生きてけません。

一方、我が国は積極的な財政政策と金融政策一番早くデフレから脱却しています。

ドイツはナチス政権でシャハトが正しい経済政策を打ち、5年後には完全雇用になりました。

アメリカはニューディール政策によって、14.3%まで失業率を下げましたが、

そこで、また緊縮財政を始めてしまったので完全にはデフレ脱却というわけにはいきませんでした。

この時点でアメリカには失業者が多いため供給能力は余っています。

一方日本、ドイツの失業者は完全雇用になったため供給能力を余裕がありません。


戦争をすれば経済が復活する

失業率がまだ高いままのアメリカは、戦争によって経済を復活させようと考えたのか、失業率を高いままにして戦争をすれば勝てると思ったのかそれはわかりませんが、少なくともアメリカは戦争を通して、アメリカ経済を復活させようとしたという側面があるのです。

そこでかの有名なハル・ノートが日本側に提出されいわゆる「満州国の権益を放棄せよ」という最後通牒ということですが、これはアメリカからしてみればフェアな提案だったようです。

ハル・ノートは形式的には「提案、要請」だったのですが、実質的に「命令」となっていました。

因みにハル・ノートを書いたのはソ連のスパイであるハリー・ホワイトが作製したものでした。

日本がハル・ノートを受け取った時点では既に、日本の生命線である石油が輸入できなくなってたので(いわゆるABCD包囲網)、この”要請”を受け入れざるを得ません。

これは、日本からしてみれば「卑怯な真似をしやがって」という発想になると思いますが、アメリカからしてみれば国益を追求した結果そうなったということでしかないのです。

外堀を埋めるという言葉がありますが、アメリカのしたことは”戦略的には”大正解なのです。

またこの時点でも、フィリピン(当時アメリカ)のクラーク海軍基地では、アメリカの戦艦が日本に照準を合わせて待ち構えていました。

このような状況でハル・ノートを突っぱねることは通常できないと考えられます。

このアメリカの外堀を埋めるという行為は、現在でも我が国に対して行っています。

TPPでアメリカが要求していることは全て、商工会議所やUSTRなどで公表されています。

この行為はある意味フェアと言えます。

その結果、我が国の食料安全保障や医療、軍事、物流、安全などが崩壊したとしてこれは誰が悪いのでしょうか?

WGIPを日本国民に施し、政治に興味を向けさせないようにした上で、行っている乗っ取り行為とも言えると思います。

しかし、公表もされて言論の自由がある我が国では知ろうとすれば知ることが出来るのですから、自分に危険が迫っていても仕事だけしている日本国民は愚民と言わざるを得ないとグローバルスタンダードを基準とすればそうなってしまいます。

そして大東亜戦争が始まり、莫大な戦争需要が発生しました。


戦争の本質

孫子の兵法では戦争の本質とは「兵は詭道なり」という言葉があるように、所詮は騙し合いです。

しかし、戦争における戦闘の本質は「軍需品の供給能力(供給能力)の潰し合い」なのです。

供給能力とは漠然とした表現をすれば「国力」と言えます。

この国力は、経済の三要素「ヒト、モノ、技術」です。

戦艦を作ったり、戦闘機を作ったりするにもこの三要素は必ず必要です。

この三要素の供給を無くすこと、これが戦争における戦闘の本質なのです。

別に皆殺しをしようとかそういったことではないのです。

当時、デフレから脱却していた日本やドイツに供給能力の余裕はありませんでした。なぜならデフレ脱却しているのであれば、失業者は少ないからです。

一方、失業率がまだ高かったアメリカには人も稼働していない工場も余っていました。

戦争中の莫大な需要を埋めるために、アメリカ国民は労働し、そして完全雇用になりました。

つまり戦争の機会でデフレを脱却したのです。

戦争を行う際に、このような経済的な背景があった場合、どちらの国が有利となるでしょうか?

もちろんアメリカとなるでしょう。

このように経済は戦争と大きく関係していて、その差で勝敗が分かれるほどの重要な面なのです。


戦勝国が日本に行ったこと

1945年9月2日に日本はポツダム宣言に調印し戦争は終結しました。

ダグラス・マッカーサー率いるGHQが日本に上陸し、占領政策を施します。

行ったことの大枠は以下のブログで書きましたので参考にしてみてください。

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そしてあの悪名高いいわゆる東京裁判、正式には極東軍事裁判が始まります。

言ってみれば裁判の形式をとった私刑リンチです。

我が国の軍人はA級B級C級の戦争犯罪人として裁かれましたが、A級に関しては法を否定するであろう考え方で裁かれたのです。

法律には罪刑法定主義という考え方があります。

罪刑法定主義というのは、

「犯罪が行われた当時に違法でない行為については罰しない」

ということです。

つまり、後から罪を作って、「あなた過去にこの犯罪を犯したから死刑です」なんてことはできないのです。

これを極東軍事裁判ではA級戦犯のカテゴリを作り「平和に対する罪」として裁いたのです。

これが、私刑でなくてなんなのでしょうか?

我が国の軍人たちは戦勝国の論理で罪を背負わされていったのです。

その中で、事件のでっち上げも行われています。

アメリカとしては2発の原子爆弾投下と民間人に都市部に対する空襲、どちらも当時の国際法では違法とされる行為です。

これを正当化するために、日本が南京大虐殺をでっち上げられた可能性は極めて高いと言えます。

占領政策では、教科書や新聞、雑誌などに検閲が入りました。

使ってはいけない言葉として以下の指針が定められ、言葉が使用禁止となりました。

1、連合国最高司令官司令部(SCAP)に対する批判

2、極東軍事裁判批判

3、SCAPが日本国憲法を起草したことに対する批判

4、検閲制度への言及

5、合衆国に対する批判

6、ロシアに対する批判

7、英国に対する批判

8、朝鮮人に対する批判

9、中国に対する批判

10、他の連合国に対する批判

11、連合国一般に対する批判

12、満州における日本人の取り扱いに付いての批判

13、連合国の戦前の政策に対する批判

14、第三次世界大戦への言及

15、ソ連対西側諸国の冷戦に関する批判

16、戦争の擁護の宣伝

17、神国日本の宣伝

18、軍国主義の宣伝

19、ナショナリズムの宣伝

20、大東亜共栄圏の宣伝

21、その他の宣伝

22、戦争犯罪人の正当性および擁護

23、占領軍兵士と日本女性との交渉

24、闇市の状況

25、占領軍軍隊に対する批判

26、飢餓の誇張

27、暴力と不穏の行動の扇動

28、虚偽の報道

29、SCAPまたは地方軍政部に対する不適切な言及

30,解禁されていない報道の公表

大東亜戦争→太平洋戦争

八紘一宇

支那事変→日中戦争

言霊

修身

書道→習字

などなどこの指針に従い、禁止されていきました。

GHQが実に巧妙だったのは、事後検閲をしたということです。

つまり、出版社が本を発行した後にGHQが「これ売っちゃダメ」としたのです。

これをされれば出版社側としてはもう既に何部も刷った本を回収しなければいけないということになります。経営は大打撃を被るはずです。

そうならないために、出版社側は自分たちで検閲をしなくてはならず自らGHQの指針に従わざるを得ない状況になってしまったのです。

そして日本人は日本人としてのアイデンティティを失っていき、経済成長のみに邁進していくことになりました。

自分が一番大事といった個人主義が現在では当たり前の価値観になっていった背景にはこういった事実があるのです。

逆にアメリカとしては二度と日本が歯向かえないようにしなくてはならず、海洋大国にしないことを考えていたのです。

当時の海洋国家で大国と言えばイギリス、アメリカ、日本だったのです。

つまり日本は脅威となる存在なので、独立させないようにしなければ、またいずれ日本はアメリカに逆らうということになると考え、独立国家としての形式を整え、実態はアメリカの隷属であるということにしなければ、アメリカとしての国益にならないのです。

だから今でも、憲法九条、自衛隊の兵器のソフトウェアはアメリカ製、日米構造協議の丸呑み、年次改革要望書の丸呑みが行われているのです。

軍事という肝っ玉を握られたら、独立国家ではありません。

また、国家の主権がなくなるような貿易協定、軍事以外の安全保障に係る問題(生活インフラなど)を他国に任せるなど先進国とは言えないでしょう。

これが70年以上経った日本で行われていることです。

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