正直者が報われる、一生懸命働けば報われる社会は間違っているのか?


この記事のタイトルを読んであなたはどのように思いましたか?またどのような考えがありますか?

単に綺麗事と感じる人もいれば、そうあるべきと思う人も多いでしょう。

あなたの人生を振り返ってこの言葉が通用した時期はいつごろのことでしょうか?

私は社会に出てこの言葉が通用したという例は正直ほとんどないと思っています。

通用したのは学生時代のみで、社会に出てからは正直なほど損をするなあとも当時感じていました。

なぜこのような社会になったのか考えてみたいと思います。


なぜ年功序列制度や終身雇用はなくなったのか?

かつて我が国の雇用態勢は終身雇用制と年功序列制でした。

終身雇用制は同一企業で定年まで雇用され続けるという雇用慣行です。

年功序列制度とは、雇用されている期間で賃金が変わるという制度です。

有り体に言えば長く勤めれば勤めるほど高い賃金を貰えるということです。

戦後、経済発展した我が国は日本国民の努力や、大規模な財政出動、朝鮮戦争の特需、自国の安全保障をアメリカに頼り切って経済活動のみに邁進、GATTなどの背景から急激な成長を遂げることができました。

経済成長率はグラフのとおり、90年台に入るまでは高い成長率を維持していました。

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出典 統計局

ところが96年の消費増税、金融ビッグバン、財政出動は必ず前年よりも少なくするというコンセンサスがあり、それから20年以上デフレ経済に企業は喘いでいます。

それからというもの、物価は下がり、同時に賃金もみるみる下がっていきました。

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出典 賃金構造基本統計調査

かつて我が国が誇っていた終身雇用制と年功序列制度はバブル崩壊後のデフレ経済でそれまでの雇用態勢、慣行を企業は維持できなくなったのです。

ここまでは普通に考えればわかると思います。

しかし、メディアもそれに乗っかるように終身雇用制、年功序列制が「元々、良くなかったんだ」といった情報操作をしてきたのです。

また、メディアも欧米式の成果主義の導入がいかに素晴らしいか、財政出動悪玉論キャンペーンの展開、更に株式市場で一攫千金を煽る番組制作なども多くなり、「地道」とか「努力」といった価値観が薄まっていきました。




私自身の考えでは、年功序列制度、終身雇用制もあった上で成果主義も各企業の出来る範囲で行うことが、最善あるいは一番マシだと思っています。

100%成果主義では被用者も先が見えず、常に追い込まれるような精神状態になってしまう人も多いでしょうし、100%年功序列制、終身雇用制では、働かない人がのさばり、若い人が成果を出しても規定の年数を勤めなければ賃金が上がらないということになり、モチベーションは上がりません。

これは価値観の問題でもありますから、100%成果主義という言わば弱肉強食の世界がいいなら、外資系企業や起業でもすればいいと思いますし、それが嫌ならそうではない企業に勤めるか、自分でビジネスを構築するとかしなくてはいけません。




私がここで言いたいのは、どのような雇用慣行が我が国全体にとって有益なのかということです。

その点で私は、「バランス」だと思っているということです。

また現在は、生産年齢人口の減少によりそれが出来つつある流れがあることは間違いありません。

人手不足の解決は移民政策か生産性向上しかない


従業員はあくまで費用という考え方

かつて松下幸之助さんは

「松下は常に1万人の失業者を抱えている」

と言ったことがあります。





現代社会のように徹底的に合理性を追求すれば1万人もいらないはずです。

その意味は、従業員を家族と考え、従業員の家族も面倒見るということです。

このように戦後の企業社会は従業員を家族と見なす傾向が強くありました。

しかし、この発想は「株主利益」にはならないのです。

自由な資本主義は民主主義と両立しない

これでは従業員は報われませんし、一生懸命働いたところで損という結果にならざるを得ません。


金融主導の経済がこれほどまでに力を持った理由

これは先ほど書いたとおり金融ビッグバンの影響がかなり大きいと判断できます。

その上、デフレ経済であればお金(通貨)の価値が高い状態ですので、簡単に言えば「金を持っている者が強い」となってしまうのです。

逆にインフレ経済であれば「モノやサービスを提供できる者が強い」となります。

金融ビッグバン以前の銀行は預金を集め、それを貸すということしかしていませんでした。




金融ビッグバンという名称通り、かなり幅広く規制緩和が行われました。

また、日米構造協議や名を変えた年次改革要望書のとおりに我が国の法律はアメリカ好みに変えられていきました。

日米同盟が終焉したら?

もはや、年次改革要望書は日本の法律がこの先どうなるのかわかる「予言書」です。

銀行にとって「ゆうちょ」は銀行の利益を考えれば邪魔でしょうがなかったはずです。

そこでまた郵政民営化も行われ、アメリカの保険会社も日本市場に食い込み、大きな枠の「金融」が瞬く間に強大な力をつけていったのです。



他にも様々な理由がありますが、あまりにも長くなるので、別の機会に書いてみます。

ここではひとつのまた、大きな要因と理解していただければと思います。


デフレ経済では奪い合うことしかできない

デフレ経済ではグラフを見ても分かる通り、ある時期からほぼ横ばいとなっています。

これは生産が横ばいであり、需要が増えていないということです。

つまり、現在のGDPは約500兆円ですがこの500兆円という「枠」の中でしか個々の生産を増やすことしかできてないということなのです。





ちょっと言っている意味がわからないと思いますので、説明します。

GDPは「GDP三面等価の原則」というものがあります。

生産、支出、分配(所得)、すべての面の値が同じになるという経済学上の原則のことです。

つまり、この20年間、約500兆円しか生産出来なかったということは、それ以上に需要が無いから、生産も増えなかったということになるのです。

新古典派経済学では生産を増やせば需要も増えるというように教えていますが、実際にそうならないことは明らかです。

では、需要が無いのに規制緩和等の構造改革で生産を増やせばどうなるのか?





例えばレントシーキング等法改正で政府の仕事が民間に移ったところで、全体のパイは増えていないわけですから、単純に政府から民間へ「所得が移転(所得を奪った)」しただけという結果になります。

この記事を書いている時点では失業率は3%程度どだいぶ良くなりました。

これは主に我が国の少子高齢化社会の人口構造がそうさせたと判断できます。アベノミクスの効果もあったとは思います。

また現在は外資が流入しているため、「株主資本主義」つまり、株主の利益を最大限にということになっていますので、ある企業の利益が増加したところで、従業員にはそれほど分配されません。

多くは株主の配当として支払われるのです。

また賃金は横ばい、あるいは人件費としての費用としてしか見られていないために常に下げようとする意識が経営陣に働くことになります。




このように、グローバル化の影響や日米の力関係、新古典派経済学の信奉、新自由主義的な構造改革の流れ、いわゆる国の借金プロパガンダ等、様々な要因が相まって、現在の状況が醸成されました。

したがって、デフレ経済の状況下で全体の需要が変わらない状態で、規制緩和で供給を増やしてその変わらない需要を増えた供給力(企業)で奪い合うという構図ができてしまったということです。

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