グローバリストにとって「保護主義」とは「自由貿易」のことである

グローバリストにとって「保護主義」とは「自由貿易」のことである

昨年の夏、イギリスがEU離脱を”民主主義的に”離脱を表明しました。

そして12月ドナルド・トランプ氏が大統領選を制し、大統領ということになりました。

確実に世界は「歴史的転換期」を迎えているんだろうと思います。

過去の歴史的転換期と言えば、1815年、1919年、1945年、1989年でしょう。

1815年は、ナポレオン戦争が終わってイギリスが世界の覇権を握った年です。

1919年は第一次世界大戦が終結してドイツ、アメリカが台頭してきた年です。

1945年は第二次世界大戦が終わりアメリカ覇権になり冷戦が始まった年。

1989年は、ベルリンの壁崩壊の年で冷戦が終結し、アメリカ一極の覇権体制となり新世界秩序を目指すようになった年です。いわゆるニューワールドオーダー(NWO)です。

ニューワールドオーダーという言葉は国際政治ではよく使われていますし、米国政府の要人達は、演説でちょいちょいこのニューワールドオーダーという言葉を使っています。

 

陰謀論としても使われる用語ではありますが、グローバリズムが究極化すれば国際政治学上のNWOも陰謀論としてのNWOも結果はそう変わらないものです。

そもそも自由主義が善で、保護主義が悪とは一体誰が決めたんでしょうか?

この記事ではその辺りをできるだけ明らかに出来たら良いと思います。

自由貿易は必ず経済を発展させるのか?

まず自由貿易と経済発展の定義をします。

自由貿易は「ヒト・モノ・カネ」の移動をできるだけ自由にしようということ。

経済発展は「GDPが増えること」とします。

以前にこのような記事を書きましたので参考にしてみてください。

帝国主義とグローバリズムは根がひとつ

この中で産業革命以前にイギリスが保護貿易をして国内の綿織の生産性を莫大な投資によって飛躍的に上昇させたことを書いています。

実際のところ、産業革命前と後では経済成長という概念が現代とは違ったのです。

産業革命前は、「土地と労働」でしか生産を上げることができなかったので、生産を増やすには戦争して領土を拡げるか、人を増やすしかなかったのです。雇用ではなく奴隷という形で。

その後イギリスが自由貿易をしてインド市場を席巻して悲劇も起こったのです。

このことから、保護貿易は自由貿易をするための準備または布石であって後から自由貿易で相手国の市場を奪うという構図が見えてきます。

つまり、自由貿易を上手くいかせるために、保護貿易という手段を用いて準備をしたということになるでしょう。

そう考えた場合、自由貿易が善で保護貿易が悪というような二元論的な考え方では恐らく真実は観えてきません。

とは言うものの、自由貿易は確かに発展途上国からしてみればデメリットばかりではありません。

先進国の技術や資本、人材が入ってくればその効果によってダイナミックな資本主義からの経済成長が見込めるでしょうし、雇用が生まれ、生活も豊かになることもあるかもしれません。

しかし、この場合の先進国側の労働者は発展途上国側の安い労働力に雇用を奪われることになってしまいます。

当然、経営者にとって高い人件費で生産するよりも安い人件費で生産した方が良いに決まっています。

そうなることで、先進国側の労働者の所得は下がり、格差は拡大していくことになります。

代わりに途上国側の労働者はちょっと豊かになるということになるでしょう。

この構図を観ると、トップは所得が上がり、中間層と低辺層を重ねて上と下から圧力を掛けて、同じぐらいの水準にするといったようなイメージになります。

これがグローバリズム的な平等というもののようです。

GDPが増えることとして経済成長を定義すれば、自由貿易は確かに増えると思いますが、問題は中身です。

自由貿易と共産主義の親和性

国家の枠を越えて、一般大衆の生活水準を同一にする結果をもたらす自由貿易が実は「共産主義」が理想に掲げる「結果の平等」を引き起こす可能性が高いように観えます。

基本的に私は結果の平等という考え方は受け入れられません。

そんなものが認められたら努力することが無駄という考え方が広まるに決まっていますし、企業の生産性も上がりようがありません。

これらのことから共産主義とグローバリズムは親和性が高く、グローバリズムが極まれば底辺層が拡大し、一部の上流階級が支配するこの構図は、1%対99%と、今正に現実に起きていることです。

実際は1%よりも遥かに低い0.0000000001ぐらいのはずですが。

我が国の労働規制は緩和され派遣労働者と正社員の待遇を同じにするということで、これが派遣の方を現在の正社員に合わせるのではなく、正社員の方を現在の派遣に合わせるということであればどうでしょうか?

まさかと思うかもしれませんが、これまでの労働規制の緩和がもたらした結果が今の状態ですから可能性は高いと思ったほうがまだ対策を打てるのではないかと思います。

これもグローバリスト達の戦略だと私は観ています。

彼らは一気に変化をもたらすのではなく、徐々に変化をもたらし国民に気付きづらくさせているのでしょう。

アメリカは特にこういった戦術を得意としています。

WGIPでもそうですが、我が国は100年殺しとも言うべき戦略を仕掛られていたのですから。

頭の痛い話ではありますが、我が国は国を挙げて今も尚、グローバリズム、自由貿易を推し進めようとしています。

わかっていてやっているのか、ただイメージだけで自由貿易は善と考えているのかはわかりませんが、一個人としては冗談じゃないという感情です。

自由貿易はグローバリスト(1%側)にとっての保護主義

グローバリスト側はこれまでこれでもかとグローバリズム信奉のプロパガンダを流してきました。

以下のような記事が典型です。

http://diamond.jp/articles/-/28747

東大教授の伊藤元重大先生が自己の権威を利用し堂々と嘘をついています。

まあ伊藤元重氏は財政破綻論者で、家計の金融資産が国債発行額を上回れば財政破綻すると言っている方ですから、1%側に取り込まれた方なのでしょう。

東大も落ちたものです。

そもそも、経済のみに焦点を当て国家の方向を定めること自体間違っていると私は思います。

経済とは経世済民、世を経め(おさめ)民を救うということ、つまり経綸(けいりん)です。

この場合の世とはどこで、民とは一体誰のことなのか?

経済はビジネスではありません。

しかし、これまで経済最優先ということでグローバリズムを取り入れ、財界、グローバリスト達の利益を確立させてきました。

もちろんグローバリストたちにとっては、自由貿易の方が良いのですが、

彼らグローバリストに国家観はありませんし、ビジネスが上手くいけばいいので、国民など知ったことではありません。

その証拠に日本人のグローバリスト達はTPPの議論の際に「外に打って出る」とか「アジアの成長を取り込む」とか重商主義的な物言いをしていました。ついでに安全保障にもなるとか言う論者もいましたが、相当に国民をバカにしていると思われます。

要すれば自由貿易、自由主義、グローバリズムとはこの思想を持つ者たちのための、「保護主義」と言えるのです。

単なる言葉遊びではありません。

仮にグローバリスト達が1%側の人間だとしたら、条約が締結されたら民主主義はどうなってしまうんでしょうか?

マジョリティがグローバリズム反対と言っても、グローバリズムが推進されるのであれば、それではもはや民主主義は成立していません。

グローバリズム独裁と言ってもいいと思います。

「1%を守るための保護主義に賛同すること」が正しいのだとしたら、私は間違っててもいいです。

戦争と自由貿易

第一次世界大戦以前も人類はグローバル化が平和と繁栄をもたらすと信じていました。

ジョン・メイナード・ケインズは1919年に以下の言葉を残しています。

ロンドンの住民は、ベッドで朝の紅茶をすすりながら、電話で世界の様々な産物を、彼が思う適当な量だけ注文することが出来た。同じように、彼は自分の富を、世界の天然資源や新事業への投資に好きなように振り向けることができたし、少しも心を煩わせることなく、その果実や、利益の分け前にあずかることができた」

引用:平和の経済的帰結

この言葉を1919年にケインズは残していたのです。

現在は電話がインターネットに置き換わりましたが、この頃もグローバリズムが世界の潮流だったことがわかる日常の風景なのです。

結局のところ現代とほとんど変わっていません。変わったのは技術の進歩ぐらいでしょうか。

私自身この問題の確たる部分は、このグローバリズムが第一次世界大戦と第二次世界大戦の大戦によって終結したという事実だと考えています。

グローバリズムとはヒト・モノ・カネの自由な移動を認める考え方です。

グローバル化が進めば、ヒト・モノ・カネは国家間を自由に行き来し、その時点の最適な地域に集中することになります。

以下の表はGDPに占める商品輸出の割合(%)です。

スクリーンショット 2017-01-31 11.56.47

引用:Globalization Historical Perspective  P41

次に対GDP比で見た資本移動の割合(%)      

スクリーンショット 2017-01-31 12.04.59

引用:Two waves of Globalization    NBER  Working Paper No.6904

これらのデータは滋賀大学准教授の柴山桂太先生の著書「静かなる大恐慌」のP49~50から引用しています。詳しくはお求めください。

現代と100年前では状況が違うとよく言われますが大抵の場合その状況とは漠然としたイメージです。

そのような主張をする心理にはおそらく「過去よりも現代のほうが優れている」といった固定観念のようなものがあるのかもしれません。

私が色んな方にこのデータを見せグローバリズムの危険性を説いてみても納得する人は30人中一人くらいです。

他の方々は”思考停止”状態になっているのです。

このデータを見ても、現代のグローバリゼーションのように国家間の摩擦が多くなるだろうということは想像に難しくありません。

国家間の摩擦とは「国家単位の勝ち組負け組」のことです。もちろん企業も個人も勝ち組と負け組に分かれます。

国家間の摩擦が増えれば、関係が悪化した国家同士が外交という手段で決着がつかない場合、戦争という手段が取られる場合も当然にあります。

負け組の国家は、なんで外国から自国の経済を支配されなければいけないのか不満に思うことでしょう。

また経済が支配されればその時点で金融も支配されている可能性もあります。

そして、各国の国民には戦後日本人と違って「民族の誇り」や「文化」、「宗教」など様々な事柄の、「引けない理由」とでも言えばいいのか譲れないモノがあるのです。

ドイツでは難民問題もありましたし、実際ロンドンにはイギリス人がほとんどいないという状態にもなっているとのことです。

こうした視点からも戦争が起こる理由がなんとなく掴めるでしょう。

もちろん軍産複合体やPR会社のような「戦争推進派勢力」もいます。

100年前は二度の大戦争でグローバリズムが”一旦”終結しましたが、現代のグローバリズムは現在イギリスのEU離脱からトランプ大統領の誕生で確実に転換期を迎えています。

穏便にグローバリズムが是正されることを望みますが、はっきり言って手遅れ感が否めないところに来ています。

グローバリストの弱点と失敗

グローバリストに対して本当に不思議に思うことがあります。

それは、

「なぜ勝ち過ぎるのか?」

ということです。圧倒的勝利とでも言いますか、相手を完膚無きまで叩きのめし服従させるといった奴隷思想なるものがあるような気がします。

あなたも経験があるかもしれませんが、他人と喧嘩した時に徹底的に相手を叩きのめしたり、逆に叩きのめされたりしたら、関係修復は不可能です。

私は小さい頃同級生とケンカした時には必ずお互いが謝り仲直りするということをしました。

因みに「先に手を出したほうが悪い」という考え方は正しく真珠湾攻撃に起因する戦後のGHQが日本人に施した考え方、価値観です。

手を出さない追い込み方などいくらでもあります。度を越した挑発をされても戦ってはいけないというのが戦後教育の最たる部分であるかと思います。

この20年間、グローバリズムを懸命に推し進め異論を封殺し、メディアのプロパガンダ、ポリティカルコレクトネス等でグローバリスト達のワンサイドゲームだったように思えますが、これほどまでに徹底的にグローバリズム勝利の方向にしてしまっては反対勢力の過激化など予想がつきそうなものです。

グローバリスト達は高学歴だったり経営者だったり、政治家だったりと支配階級も多く、基本的に「優秀」なはずです。

インターナショナル」程度に収めておけばで収めておけばこれほどまでにグローバリズム反対の空気にはならなかったように思えます。

戦いというのは勝ち過ぎると反発する者が現れます。

戦いの中で相手に華を持たせるというのは、双方の歩み寄りでちょうどいい落とし所を求めるために先人が発明した「智慧」なのです。

そこがグローバリスト達の失敗だったと私は観ています。

更にグローバリストの弱点ということでは、以下のことが挙げられるでしょう。

「グローバリズムの問題を指摘する人間が影響力を持つこと」

「グローバリズムの危険性がマジョリティに広まること」

「大衆が政治に関心を持つこと」

この3点はグローバリストの弱点となり得ます。

私のような弱小ブログではさほど社会に影響はありませんが、数万人規模のメディアとなったらそれは放っておけない存在になることでしょう。

私以外にも、グローバリズムの危険性や問題を説く人はおられます。

その人たちの影響力が強まればグローバリストたちにとっては痛手となり、更には、大多数の国民にも浸透していくので上の二つは達成されます。

ところが、三つ目の大衆が政治に関心を持つことが上の二つを達成させるための前提となるので、これをクリアしなければ上の二つは達成されることはありません。

御存知のとおり、我が国の国民は義務教育の中で政治に関心を持たないように教育されます。

本来であれば、政治で教育基本法を変え、国民一人一人が国家について考えることをする教育方針にするべきです。

しかし、戦後70年あまりほとんど手をつけてこなかった我が国の政治家に期待することは愚行と言わざるを得ません。

戦後100年まで、残り30年を既に切っています。

アーノルド・トインビーが言ったように、

「12,3歳までに民族の神話を教えない民族は例外なく100年以内に滅びている」

つまり我が国が滅びるまで30年を切っているのです。

アーノルド・トインビーは20世紀を代表する歴史学者であり民族学者です。

このことをGHQは知っていたのでしょう。

だから我が国に100年殺しの計を討ったのです。

一般大衆が政治に関心を持つためにはどうすればいいのか?ということが最大のテーマになりますが、どのようなやり方が効果的なのでしょう。

私は今のところこう思っています。

「とにかく正確な情報を発信する」


「その人の苦しい状況が偶然ではないことを伝える」


「繰り返し言い続ける」


「政治について興味のないことが悪いこと、恥ずかしいこと、かっこ悪いことと思わせる」

これらは最低でもやるべきだと思っています。

政治に関心を持ったところでテレビだけを観て政治を考えていたらダメですが、そうなれば「主要メディアはこういった意図があって情報を流しているんだ」ということを前列や客観的な根拠を持って伝えることです。

既成事実化や情報操作、プロパガンダを悪用しているのがメディアなら情報操作やプロパガンダ、WGIPなどの手法を参考にして事実を拡めていくべきでしょう。

「目には目を」です。

しかしそれは、日本人としての美徳や倫理、道徳には相反する可能性はあるかと思います。

だからこそ「信念」が必要であり、自分が悪者になってもいいという「覚悟」が必要なのでしょう。

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