日本人はどれほど痛めつけられれば変わる、気付くのでしょうか?
これでも「しょうがない」とか「決まったものは受け入れるしかない」と言うのでしょう。
このような論調は築地市場の豊洲移転についても観られました。
「決まったことなんだからいつまでも反対と言っていても仕方ない。」
といったことです。
一見前向きな感じのするこの言葉ですが、この発想が国民と国をダメにするんだろうと私は思いました。
この感覚は「個人主義」が為せる業です。
社会制度の決定と個人の合理的選択は、多くの場合相反することがあるのです。
例えば、政府はデフレ脱却の為に消費を増やして欲しいと思い、学術的にもマクロ経済で消費や投資が増えなければデフレ脱却はできないとなっていても、当の国民側の合理的選択としては、消費や投資を控えることになります。
合成の誤謬などと言ったりしますが、つまり個人的な利益の達成の為に政治についての意思決定を行うという感覚です。
特に未来の日本社会のこと、将来の子供たちのこと、社会一般の利益、不利益等は考えないとこういうわけです。
過去に以下の記事を書きました。
完全に改造された日本人は、痛みを感じることができなくなりました。
どれほど痛めつけられても、「政治が悪い」、「社会が悪い」と何かのせいにするようになってしまいました。
人間は痛みを「認識」できなければ、どれほど痛めつけられても「痛み」を感じないようにできているようです。
確かに、火傷するとわかっていれば触らないものでも、触ったら火傷すると知らなければ触るかもしれません。
また、徐々に痛みを強くされれば、痛みに”慣れ”てしまうこともあるでしょう。
しかし、自分の私生活の周りで起こっていることであれば多少なりとも気付きやすいとは思いますが、社会制度のことになると全く感じなくなるのはどういうわけでしょうか。
この記事では「日本人に仕掛けられた”愚民”思想」と題してその辺りを考えてみたい思います。
愚民思想の特徴
目次
私が社会を観てて認識できた愚民思想の特徴は以下のものです。
「権威主義」
権威主義と言えば、「テレビで言ってたから正しい」、「偉い人が言ってたから正しい」、「あの人が言ってたから正しい」といった、自分の頭では何一つ考えられない人のことです。
思考停止とも言えますが、こういった人間を作り出すのは暗記中心の教育システムに原因のひとつがあるんだと私は思います。
我が国の受験システムは概ね暗記をよくできる人間が偏差値が高いとされます。
暗記とは「教科書(という権威)に書いてあること」をテストで思い出せれば良いわけですから、学歴の高い優秀と”される”人間が権威主義になるのもわからなくはありませ
「自分には関係ないという想像力の欠如」
これは本当に致命的に観えます。
最近ではIR法成立の是非の国民アンケートによく観られました。
賛成という人に以下のような意見が目立ったように記憶しています。
「誰かがギャンブル依存症になったらそれはその人の自己責任でしょ」
正に「自分はカジノに行かないから関係ない」という論調ですが、もしギャンブル依存症の人間が病院通いを通してそれに社会保障制度としての保険適用がなされ、自分に負担が来るかもしれないとは、想像できないわけです。
また、ギャンブル依存症が増え、東京が暗黒街のようになり強盗や窃盗など治安の悪化を招くかもしれないという危機意識も皆無という状態になります。
想像力を育まない教育システムの我が国であればある意味当然とは言えます。
また、言ったところで理解はしたとしても、それ以上何かするということも、意見が変わるということもありません。
ここで認知的不協和的な感情がその人に生まれているんだろうと私なんかは思います。
「被害者意識」
被害者意識は常に「誰かのせい」という意識のことです。
政治が悪い、社会が悪い、安倍が悪いといっても特に自分でなにかするということはありません。
「自分の非は認めない」
被害者意識と関連しますが、全てなにかのせいということは「自分は悪くない」と思い込んでいます。
その理由の多くは、「私は何もしていないんだから悪くない」です。
「何もしていないことが悪い」ということは理解出来ないようです。
「自分で調べない」
これもよく観ます。
「調べる」というのは、ネット検索のことではないんですが、ネット検索ですらしないということです。
本来の調べるということは、あることの背景や側面、事実、主張、現実の運用、過程などあらゆることを調べ、考えて結論を出すということですが、ネット検索で答えを見つけてそれ以上は考えないことはおろか、それすらしないということです。
権威主義と関連しますが、「信用している人」に聞けばそれが正しいと思ってしまう特性です。
「自分で選ばない」
この心理は確実に「自分で責任を負いたくない」という心理でしょう。
この特徴と、人のせいにする被害者意識の特徴は常にセットです。
これらのことです。
この特徴を持った人間が大多数ならそりゃ一国が滅ぶのも当然と言えば当然です。
3SとWGIP
先に挙げたこれらの特徴の根幹は「個人主義」です。
日本で運用される個人主義とは、「自分のことしか考えない」、「社会のことは考えない」という意味で広まっています。
本来、個人主義という思想の大前提にあるのは、
「”個”は公の中に存在する」
というものです。
公がなければ個は個足り得ないという意味ですが、世界全体でこのことが忘れられている可能性があります。
または、個の力(お金、企業論理、グローバリズム等)の暴走によって、公を個が犯している状況になっていることです。
話を戻します。
これらの特徴にプラスして、スポーツ、スクリーン、セックスという3Sの奨励を行えば、
「個人主義的な快楽を求める人間」
が出来上がります。
この「個人主義的な快楽を求める人間」にWGIPを追加して叩き込めば、
「個人主義的な快楽を求める、自国に興味のない人間」
が生産されていくのです。
愚民思想を一言で言えば、こういう人間のことです。
現実にそうなっていますね。
日本人の大多数にこの愚民思想プログラムが施されています。
このプログラムを上書きするには、「真実」というプログラムしかありません。
しかし、この「真実」というプログラムをこの愚民思想を持つ人間に新たに上書きしようとしても多くの場合「権威主義」を生産する義務教育システムによるセキュリティがかかっているので、そのセキュリティが作動すると、「頭おかしい」とか「陰謀論者」と真実を言う人間を罵倒するということになるのです。
あえてコンピュータで喩えてみましたが、要はこういうことなのです。
洗脳が強い人ほど、高学歴で権威主義者であることが多いです。
その権威の信頼などとっくになくなっていることには気付かず、空気という権威に流される人間として現代社会を彷徨うことになるのです。
五つ星運動に学ぶ国民の意識改革
恐らく、日本国民の大多数は30年後にはいなくなっていることでしょう。
そうならないようにするには、どこかで意識改革をするしかありません。
それにはまず真実を”繰り返し”報道するメディアの存在が不可欠です。
最近では、バクロスTVなる市民がスポンサーとなって運営されているメディアもあります。
バクロスTVのプロデューサーは平山秀善氏です。
これらを踏まえてイタリアの五つ星運動から学ぶべき社会の変え方があります。
五つ星運動は、セルジオマッタレッラ大統領が新内閣組閣時に第一党である五つ星運動のリカルドフラカーロ氏を直接民主制担当大臣に任命しました。
地方で、また二人から始まり、徐々に力をつけ8年で政権をとってしまったという驚愕の結果を出しています。
この五つ星運動が大事にしていることとして以下のことがあります。
「政治家に丸投げせずに、そこに住む当事者の住民が決め、自分たちの中からどんどん議会に代表を送り込む」
ということです。
当選した代表者は、給料は一般平均と同じ額で、任期は例外なく2期までとしています。
選挙資金は企業などの大口に頼らず、専用アプリで少額の寄付を集めていくことで、企業支配の政党にならないようにしています。
企業スポンサーに頼らないことで、
「市民が政党をコントロールする」
という現実を生んでいるのです。
先ほどのバクロスTVもそのような主旨ですね。
今までメディアというものは企業がスポンサーとなって企業に忖度した番組作りしかできなかったのが、市民がスポンサーになることで、「市民がメディアをコントロールする」というメディアにしているということです。
このメディアから、市民の利益になる政策を通す「市民のための族議員」が誕生するかもしれません。
そうなれば、現状の政策は180度変わるでしょう。
消費税は廃止されるでしょうし、移民も受け入れないでしょうし、経済政策は国民所得を上げる政策に転換します。
五つ星運動は、SNSやアプリ、ネットを最大限に利用したデジタル政党ですのでその部分も学ぶべきテクニックです。
電車に乗れば9割の乗客がスマホを見ていますから不可欠でしょう。
まとめ
愚民思想の特徴は、
「権威主義」
「自分には関係ないという想像力の欠如」
「被害者意識」
「自分の非は認めない」
「自分で調べない」
「自分で選ばない」
です。
それを変えるにはメディアによる「繰り返しの真実プログラミング」しかありません。
この愚民思想の特徴の逆は、
「権威に頼らず自分で考える」
「一事は万事と考える想像力」
「自分の非を認める意識」
「自分で調べる」
「自分で選び責任をとる」
ということになりますが、これは世間では「当たり前のこと」として認識されています。
当たり前のことができない日本人が大多数という現状を打破するためには、「繰り返しの真実プログラミング」と「国民のための族議員を誕生させる」ことになります。
単純におもしろそうですね。