「逆命利君」が日本を救う


我が国は現在、総理大臣が暴力団に選挙妨害を依頼し、公約違反のTPPや移民の受け入れ、官僚による公文書の改ざんやセクハラ、それを取り締まるはずの検察が機能しない、それも今上天皇の退位と同時にそれらの不祥事、懲戒等の処罰うぃなかったことにするといった民主国家でも法治国家でもない、無政府状態のような状況になっています。


このような状況に、日本国民の大多数が沈黙を貫いていることこそが国難なのです。

独立を失った日を、「終戦記念日」と表し、戦後73年を経過した現在でも日本国民は自国の誇りや独立を取り戻そうとはしません。

日本を取り戻す」と言った政党のトップが詐欺師であり、日本を取り戻すとは全く逆に、「日本を引き渡す」ことを実行してきました。

このような連中を未だに保守と持ち上げるネトウヨやその他のバカどもに付ける薬はありません。




本当に日本の将来を考え、後の世代に素晴らしい国を残すことが保守なのであれば、どう考えても現在の政権には批判的になるべきですが、この者たちはそうではなく、単なる応援団でしかなく、むしろ国賊、売国奴とまで言えます。

日本国旗を振り回しながら日本を売るという芸当です。

本気で考えていないからこそ、政権に対して批判的にならないということになるのですが、政権に迎合せずむしろ反逆といった態度のほうが、我が国の将来にとっては良い場合もあります。



逆命利君」という言葉をご存知でしょうか。

中国の古典に説苑(ぜいえん)という書物があり、それに出てくる言葉です。

「命に逆らいて君を利する 之を忠と謂う」

 

権力者の命に逆らっても、それでも君を利するということです。

これには「忠義」の精神が根底にあります。

「真の忠義とは、上役や主君の命令、国家の命令であっても、それが主君のため、国家のためにならなければ、敢えて逆らうこともある」

ということです。


かつての武士、お侍さんは、仕えている主君へ意見をする時は切腹を覚悟して進言したと言います。

「逆命病君、謂之乱」(命に逆らいて君を病ましむる、これを乱と謂う)

「従命利君、為之順」(命に従えて君を利する、これを順と為し)

この記事ではこの「逆命利君の考え方が日本を救う」と題して考えてみたいと思います。

日本社会は上に逆らえば抹殺される

日本に合議制という考え方が本来の意味で根付いていないことがよく分かる事例ですが、日本では、経営者が建前では「若い者も臆することなくどんどん意見しろ」と言います。

しかし、これを真に受けて実行したら、その会社で出世できる可能性は低くなることが大半です。もちろん例外はあるでしょうが。

企業としては、民主化している風通しが良い企業であることを社会にイメージ付けたいという動機もあり、建前上そうせざるを得ないのです。

かと言って、真に受けてもらっては困るということで、内部告発者や過度に意見する者には報復が待っています。

この過度の基準は、上層部の”気分”、言わば老害が決定します。




本当に民主化すべきというのであれば、従業員持ち株会や労働組合が機能するはずですが、その上層部も経営側と結託し、落とし所を決めて組合側は経営側と戦ってますアピールをし、経営側はできるだけ労働者の待遇を考えてますアピールをするといった構図になっていきます。

一言で言えば劇場のようなもので、予めシナリオを作りそれに合わせてお芝居をしているようなものです。

その”シナリオ”が稀にジャーナリストや内部告発者から流出して大問題となるわけですが、場合によっては命を落としたり社会的に抹殺されます。

これは実に共産主義的です。





全て綺麗にしろというのも無理ですが、社会正義をある程度のところまでは実現しなくては、公平な社会というものは欺瞞と化しますし、一般庶民のモラルも退廃していくことになります。

だからこそ、国家の決定する善悪や道徳という「基準」が必要なのですが、それが我が国には敗戦以来、消滅してしまい、ここまでは許すけどそれ以上は罰せられるべきといった社会規範が国家全体として共有されてこなかったのです。

そうするために個人主義思想をGHQは日本人に叩き込んだのでしょうが、我が国のモラルは完全に破壊されきっています。




エリートが自ら襟を正すことができない国を先進国とは言えず、ましてや世界をリードするなど寝言は寝て言えレベルの状態です。

そういった自ら襟を正すことができない老害が、政界、財界、官界、学会、マスメディア、いたるところに存在していることで我が国はこの体たらくぶりなのでしょう。

しかし、国や会社の将来を本気で考え思うなら、上に逆らっても国や会社にとっての利益を追求することが忠義であること、国民の義務であると私は考えています。



主張や意見が正しい間違っているではなく、本気で考えれば意見を違わせることはあるに決まっていますが、要は本気で考える切っ掛けが我が国では少ない、あるいは切っ掛けが見えないようになっているのです。

おっさんにはイエスマンはいらないとカッコつける前に孫の将来も考えていただきたいものです。


政治の話題はタブーなどと言っている状況ではない

こういった状況ですから、政治の話がタブーなどと言っている場合ではありません。

企業は利益を得ることが目的ですが、国家が終われば企業も終わります。

こういったことを言うと、


グローバル化している世の中だし、企業は国外に出ることができるのだから、その理屈は現代には当て嵌まらない」

 

といった反論があるかと思いますが、それは大企業やグローバル企業という例外のみです。

大半の日本企業はグローバル化していません。




しかし、グローバル視点を持っていない企業=遅れいている企業といった風潮があるのも事実で、またグローバル化することが不利益となる産業があることも事実です。

例えば、小さい運送会社や建設会社などはグローバリズムが弊害となる最たる産業と言えます。

緊縮財政によって道路も作られないのであれば、運送会社は生産性向上は図りづらくなりますし、緊縮財政が行なわれれば需要が作られないということですので、末端の小さな建設会社は道路工事の発注もなければ、新築住宅の発注も減り、それに関わる設備屋さんや外壁屋さん、内装屋さんなど様々な産業に影響します。

財政拡大してた上で、需要が多くある中で各企業がこの状況なら経営努力が足りないとも言えるでしょうが、そうではありません。





第一、そんな小さな会社に海外に出て頑張れば良いとアドバイスすることができますか?という話になります。

まともなコンサルタントだったらそんな的外れなアドバイスはしないはずです。

そういった企業が行うべき政治活動もありますが、政治活動にかけられる資金もなければ、やり方も熟知しているわけではないはずです。

手段としてロビー活動や地元の政治家に対する働きかけ、献金、街宣等様々ありますが、業界が結託してこういった政治運動を行うことで、今度は公正取引法の問題が出てきたりもしますし、マスメディアの広告費を払わなければ、それらの活動を批判的に報道され、活動自体が潰されるという可能性はもあります。





このような危機的状況なら、大暴動が起きてもおかしくないレベルなのですが、大人しい日本人は未だに国民同士で削り合いを繰り広げています。

一刻も早く国民的な運動を起こすべきですが、恐らく手遅れです。


間違った長幼の序

長幼の序という言葉があります。

この言葉は、儒教思想の五倫という徳目です。

五倫ーWikipedia

よい社会を作っていくためには、年長者や親、兄に対する敬意を表し、「年少者は年長者を敬い、したがわなければならない。」ということですが、私自身そうあるべきと思いますが、但しこの長幼の序が成立するためには、ある前提が必要となります。

それは、


「敬われるべき目上の人が、実際に一定の基準を満たした人格者であること」




ということです。


ここでは、例外は除きます。

もっと砕いて言えば、

「年齢や立場に甘えた年長者は尊敬に値しない」



ということです。

私の経験上、



「自分に何もない人に限って歳の差にこだわる」



ということもあります。

尊属殺重罰規定違憲判決

といった事件もあったぐらいですから、このような年長者に対し敬意を表することなど不可能ですし、むしろ敵意、もっと言えば殺意を覚えるほうが自然なんだろうと思うところです。




長幼の序と言っても、我が国の年長者はGHQの個人主義思想で育った人間達ですから、国のこと社会のことなど考えることが本質的にできません。

そんなことはないという反論もあるでしょうが、ではなぜ、少子高齢化が放っておかれ続けているのか、自己責任論で若者を活力がないと叩き、グローバリズムの名の下に国家に対する企業の社会の公器としての責任を放棄しているのか、それには答えられないはずです。




貧乏な日本人は死ぬしかないのか、切り捨てられなきゃいけないのか、ただ生まれが貧困家庭だったからといった理由であれば、あまりにも無責任な国、社会、民主主義国家と言えるなら無責任世代、無責任なエリート達と言えます。

いくらなんでも非道が過ぎるのです。

したがって、我が国の年長者は全体的に尊敬に値しないと言えます。

個人として観たら素敵な人達ばかりなのですが…




とは言え、一般庶民としては、また貧困層からしたら権力者に生活を追い込まれて死ぬか、奴隷としてギリギリで生きるか、戦うかぐらいの選択肢しかありません。

さて、我が国の大多数の人達はどの道を選ぶのでしょうか?


まとめ

逆命利君」という考え方がエリートに拡がり実践されれば我が国も多少は良い方向に向かうかもしれませんが、全く期待はできません。

逆命利君どころか従命病君という体たらくぶりですから、日本国民の「常識」だけが唯一の光ですが、これまた期待できそうもありませんかね。


雑談

最近お盆ということもあり田舎で静養してたのですが、行く度に早くなんとかしないとと危機感が強まるところもあります。

過疎が進み、子どもの姿は殆ど見えず、お盆以外では本当に人が少ないのです。

いずれ、鉄道も不採算路線として廃止されていき、農地は外資に買収され、今よりも大きい大型スーパーができていくのでしょう。

ところで、新潟のある地域にコストコが出店するという話があります。

2018年新潟にコストコはできる?出店計画が進まない理由は?

2018最新】コストコ新潟の出店はいつ?予定地や進捗は?最寄りのコストコも

上記のリンクでは良いニュースのような印象を受けますが余り嬉しいニュースとは私には思えません。

これではもう51番目の州です。

便利になるんだからいいじゃんという声が聞こえてきそうですが、憐れすぎてもう観ていられません。

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