「志」と「夢」の違い〜心を強く柔らかく〜

「志」と「夢」の違い〜心を強く柔らかく〜

コロナウイルスが猛威を奮っているということでマスメディアやSNSで情報が錯綜しています。

日本政府の対応はあいも変わらず、国民並びに日本に住む人達に対してテロ行為に及んでいます。

国立感染症研究所が新型コロナウィルスの分離に成功したとか、コロナウィルスがCIAの知的財産だとかビル・ゲイツがウイルス拡散防止の為に1000万ドル拠出するとか、米中でコロナウィルスワクチンを開発しているとか、このような情報まで出てきてしまえば、いつものアレ、マッチポンプだろうと推測できます。

新型コロナウイルス:国立感染症研究所が開発した細胞で分離に成功

https://patentimages.storage.googleapis.com/6b/c3/21/a62eb55a0e678c/US7220852.pdf

ビル・ゲイツ氏の財団、新型コロナウイルスとの戦いに資金を拠出

中国と米国の研究者、コロナウイルスワクチンを共同開発

かといって対策をしないわけにもいかないですから、予防効果のないマスクを付け、人混みに行かず、コロナビールを飲んでおくくらいがベストの予防対策なのでしょう(*^^*)

私はマスクもしませんし、今後、予防接種を勧める報道が過熱するかと思うので、そんなのに騙されないようにしなくてはと考えるところです。

もちろんこのように社会がひとつのイシューや問題に誘導されている時には必ず裏でこっそり何かが進んでいます。

RCEP、日中韓FTA辺りはしっかり勧めていますし、日本政府はこのウイルス騒動を利用して緊急事態条項を含めた憲法改正の機運を作ろうとしていることは明らかですので、本当に日本に住む日本人を中に外国人も含めて”最終的解決”を図るのでしょう。

今回の騒動も見方を変えればよくあることですし、マスメディアが騒げば騒ぐほど、ショック・ドクトリンの性格を帯びてくるので、恐らくこれもショック・ドクトリンなんだろうと思います。

一方ではトランプが中東和平案と称し、パレスチナを罠に嵌めようとしています。

トランプ氏、中東和平案を発表 パレスチナは反発

こちらの方もかなり問題です。

これまでのイスラエルのパレスチナに対する不法な入植を追認するということになりますし、パレスチナからしてみれば屈辱以外にないでしょう。

大体、なぜトランプとその義理息子が仕切っているのかというそもそもの問題もありますが、米国がひとつ目コンパス組合によって作られた実験国家とは言え、ここまで露骨に火に油を注ぐ理由はやはり、増えすぎた世界中の一般大衆を「解決したい」のだろうと思うところです。

しかし、このように世界が狂っていても私達の人生は続きます。

日本人に限らず世界中の人々の人生もあります。

家族、友人、かけがえのない存在を守ることには全力、最善を尽くさなくてはなりません。

日本で暮らす外国人の生活も壊れるようなことにはなってほしくはありません。

こんな時こそ、気を強く持つことが大切だと私は思います。

気を強く持つって言ったってどうしようもないという反論もあるでしょうが、それがそうでもないのです。

この記事ではそれについて書いていこうと思います。

気を強く持つために必要なこと

ここで言う気を強く持つための方法として、精神力鍛えるとか、別のものに目を向けるとかそういったものではありません。

そんなことであれば、適当にビジネスでもして金を転がして堀江貴文氏のような人間の話を聞いて新自由主義者改造トレーニングでも受ければすぐです。

そうではなく、気を強く持つとは、「夢をもたない」ことで「志を立てる」ことです。

夢は「個人的な欲望」のことです。

よくナポレオン・ヒルに代表される自己啓発や成功哲学では「夢をもて」と教えます。そしてその夢を現実化させるために、成功したように振る舞えと。

フェラーリに乗りたい、毎月海外旅行に行きたい、豪邸を建てたいといった欲望を叶えるために夢をもてと教えます。

対して「」は公に寄与するための目的、信念のことです。

人に個人的な欲望である夢を伝えたところで「勝手にやってください」としか思われませんが、「」は人が応援してくれる場合があるのです。

なぜこうなったかと言えば、御存知の通り、日本は敗戦後GHQの教育改革によって義務教育では「夢」を多用させるようにしたからでしょう。

私もよく習字の授業では「夢」という漢字を書かされました。

これは日本人の弱体化政策のひとつですから、日本人に志を立たされたら、情報操作や洗脳の効果が薄まり、むしろ全く効かないということもあります。

日本が世界最古の歴史を持っているのも「志」に理由があるのかと思っています。

志がなければ心がブレて、フラフラして鬱になるのも容易いでしょう。

日本が精神病床数世界一になっている原因は精神医療や構造そのものの問題も多分にありますが、心を強く持てないように国民が操作される社会システムこそに問題があります。

「志」とはなにか

」とは、

「何のために生きるのか」


「この人生で何を成し遂げるのか」

ということです。

これは裏を返せば、「どのように死ぬか」ということになります。

昔の武士は15歳ほどで元服し、立志した上で成人として扱われました。

武士の強さはそこにあったのでしょうね。

武士は、「武士は食わねど高楊枝」という言葉もあるように、「誇り」を一番に考えていました。

武士の立場を現在に置き換えると、「国会議員」や「官僚」、「自衛隊員」ということになるでしょうが、武士が賄賂を民間から貰うなどといったことは、家族もろとも切腹させられていたとも聞きます。

何のために生きるか、何を成し遂げるのかを心の柱にした人間は、その志、信念に基づく行動をするしかありません。

そうなると、いつ死んでも良いし、生きるべき時はいつでも生きるといった境地になり、自分の生命を天に預けられます。

志ひとつで運命は変えられます。

その志の中身は自分自身にしか存在せず、それを宿命として受け入れて行動をすることです。

そうすれば、この腐り切った社会の見方も前向きに捉えることができます。

「夢」より「志」の方が言葉として強力

自分の夢を言葉にして発言して、何かに取り組むより志を口にして取り組む方がなぜか力が湧いてきます。

これは、科学的根拠も医学的エビデンスもありません。

言わば、体の氣の流れ、エネルギーなのだと思います。

「フェラーリに乗るために仕事をします!」


「世界中の人々の貧困をなくすために仕事をします。」

同じ仕事をしている人であったとしても、後者の発言をした人の方が好感を持てますし、応援したくなります。

私も、個人的な経験からですが、志という言葉を使わないでもこのような志を持っている人というのは仕事ができるし、大手企業に在籍していてもその環境にしがみつくということがありません。

本当に応援したくなりますし、自分にできることはないか聞きたくなるような人間なのです。

GHQが全て悪いとは言いません。日本人にとって良いこともあったでしょう。

とは言え、大事なものを隠され、GHQが日本から抹殺したものを取り戻すことは日本民族にとっては急務です。

是非試してみてください。

まとめ

志と夢の違いは私的か公的か

志は心の柱

志は他人が応援してくれる場合がある

私にも人に言えるようなものではありませんが21歳の時に志を立てました。

それからは必死に色々としたのですがまだまだ勉強不足です。

私はグローバリゼーションそのものが悪いとは思っていません。

ただ、彼らの進めるNWO、CFR、世界連邦運動などの新自由主義を前提としたNWOを受け入れたくないのです。

せめて世界中の愚民化政策とBIS中央銀行制度を是正してからするべきだと思っています。

でなければ民族間、宗教間で殺し合いになるだけです。

自分にできて無理なくするべきことをしましょう。

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