”気付き”と”視点”を拡大させる方法


よく人と話していると、

「なんでこの人はそんなところに気付くんだろう?」

とか、

「その視点は無かった!」

などと思うことがあるかと思います。

ひとつの事実”に対して視点が違うだけで全く”認識”も違うというのはある意味非常に不思議な事です。

このことから、どうしても自分の視点だけでは”見落としてしまうこと”が必ずあるのが人間だということにもなります。

この記事ではできるだけ多くの視点を持つための技術、逆に言えば、一つの事実の数ある側面を見落とさないための技術を考えてみたいと思います。

この記事は一般的な”気付く人”ということではないかと思います。

人間関係上の気付く人というのは、「自分がしてもらいたいこと」や「自分がしてもらいたいこと」をすれば解決できるでしょう。

では本題に入ります。


知らないことは”無い”のと同じ

人間は”この世について何も知らずに”生まれてきます。

当たり前ですね。

それから、親の教育、学校生活、友達との関係、地域との関係など、生きていく中で”知る”ということを積み重ねていきます。


すると、その人の中で「常識」が出来上がります。

常識

それは、その人の人生の経験と主観が生んだ、「偏見」であると言えるということです。

アインシュタイン博士が似たようなことを言っていました。

常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションである

と。

本当にその通りだなあと思います。





このことから、結局人間はその人の環境の中で得た知識と認知のみで生きているということがわかります。

したがって、それまでに得られていない知識と知らない事実は、認知できない、
つまり「存在しないこと」と同じ意味になるのです。

もっとわかりやすく言えば、「人間が認知した時点で存在が確定する」ということです。

「認知した時点で存在が確定する」という議論を延長すると次のことが導き出されます。

 

「知ること(認知すること)で世界が拡がる」

ということです。

哲学っぽいことを書いていますが別に実際そうでしょ?って話なのです。

人には、

「知っていること」「知らないこと」「知らないことを知らないこと」

 

という知に対してこの三つの状態があります。

人ひとりが知っていることなどそれほど多くなく、どんなに博識な人でも世界に存在する”知”の0.1%かそれ以下なのではないでしょうか。

これを宇宙規模で考えたらもっと割合は下がるでしょう。

つまり、”知る”とは世界を拡げるための作業でもあるということです。



以下の記事で”知ること”について書いています。

”知る”とは”する”ことが前提である〜知行合一の意味〜

リンクの記事に書いてある”知る”ことは、言わば今回の記事でお伝えしている”知る”ことの根本的な考え方であるということです。





あなたは「専門家」が何故間違えるのか?ということを疑問に思ったことはありませんか?

私はしょっちゅうありましたし、実際に間違ったことを教えられた経験が多かったので、もう専門家と称する人を信じていません。

専門家が間違える理由は、「それしか知らないから」です。



例えば、経済の専門家は安全保障の勉強を基本的にしません。

逆も同じで安全保障の専門家は経済を勉強しません。

つまり、「他への影響」が頭の中で繋がらないから、”専門的に”正しいことを言っているに過ぎないという結果になるのです。





私が専門家からよく間違いや嘘を教えれたことで、やたらと調べる癖が付いたのでそれは非常に良かったと思います。

専門家からしてみれば、私のような人間は「めんどくさい」と思われることでしょう。

ですがそれで良いのです。

めんどくさいと思われないということは、「相手の良いようにされる可能性に身を委ねる」ということですから。


専門家を信じられなければ何を信じれば良いの?って話になりますが、別に専門家は一人じゃありませんから、

多くの専門家」に話を聞いた上で「自分で考えて結論を出す」ことを行えば良いのです。

誰かに決めてもらいたいとか、専門家に決めてもらった方が安心するという気持ちも分かるのですが、それだと間違える可能性も上がりますし、また自分自身の為にもならないのです。

幅広い知識を持つ

では、本題の”気付くコツ”とは何なのでしょうか?

それが、

「幅広い知識を持つ」

ということなのです。

ただただ、闇雲に知識のつまみ食いをしろというのではありません。

自分が持っている専門知識との関連を考えてみたり、比較してどういう影響を互いに与えているのかを考えてみたりすることです。



私の経験上、特に最初の方はほとんど関連性が薄かったり、間違えたりすることは多くあります。

例えば、このブログでは「お金に対する考え」を書いています。

銀行がしていることの意味〜銀行の真実〜

債権とはそもそもなんなのか?

お金がほしいならお金を知ることから




これらの記事に書いたことを初めて明文化されていたことを知った時には、私はこんなことは当たり前だと思っていたわけです。

この時既に、法律に関しては企業運営や実社会で活用できるくらいの専門知識を習得していましたから、お金が債権債務の記録であることは理解していたのです。





なぜ理解出来ていたのか?



民法には債権編という399条以下で規定されている条文があります。

この中で債権と債務の概念を学習したこと、更に同467条の債権譲渡の規定を理解したことです。

それと、法律とほぼ同時期に学んだ会計の勉強でバランスシートの概念を知っていたので、これらの知識が「お金が債権債務の記録」ということで結論を導き出せたのです。



実社会で普通に生きるだけで良ければ、ひとつのことを極めて専門家として生計を立てるということは可能ですし、そちらの方が楽でしょう。

ですが、先ほど書いたように”専門的に正しいこと”が”社会的に間違い”あるいは、”全体の利益(公益)的に間違い”となることがあるということのリスクは常にあります。

自分が正しいと”思った”ことだけ言っていれば良いだけですからこんなに楽なことはありません。



因みにですが、「自分を正しいと思い込んだ人間」ほど恐ろしい者はありません。

それだけで戦争が起こるわけですから。プロパガンダという手法を使って。

常に正しいことはない〜自分は正しいと思いたいのが人間である〜

国家運営では、安全保障や経済、外交、軍事、地政、民族、宗教、文化、歴史など非常に多くの要素があります。




現代は、それも我が国では「経済」に比重の9割程置かれているのだと私は感じていますが、その割には経済成長していません。

なぜ日本は”経済”第一なのか?

 

その上、中国の脅威は現実化しています。

これは”安全保障”を真剣に考えてこなかったことを原因とする”結果”です。

企業経営で言えば、自由化、規制緩和、構造改革、グローバル化、中国の成長を取り込むとか、財界の主張に合わせ、それが正しいと思い込み自分の首と労働者の首を締めたという結果になった企業は多くあります。

私の見た限りで言えばそうなのです。





実際、これらの政策を是とする我が国では「保守」と呼ばれる思想を持った経営者は多いのです。

これらの政策で利益を享受できたのは元々勝ち組だった企業とグローバル投資家です。

個別の企業については、その企業を観てみない限り何も言えることはありません。

しかし、「昔は良かった」とバブル時代の昔話に花を咲かせている場合ではないこともこれまた逃げられない現実です。

何故良かったのか」を真剣に考えていた経営者は私の知る限り数人でしたが、基本的にはデフレでいっぱいいっぱいになっているのですから、「どうやって儲けるか」を常に考えざるを得ない状況になっています。

それが経営者だ」と言われればそれまでなのですが…






私自身、企業の問題解決にあたり私が行うべき指摘やアドバイス、提案等がその企業にとって短期的には良くても、中長期的にはあまり良くないという提案をせざるを得ない場合もあれば、私の提案が全体の利益を阻害する可能性があることもあるので、私の精神状況もかなり追い込まれた時期もありました。

自分語りですみません。

話を戻します。

幅広い知識を持つことで観える世界が変わる。あるいは拡がる、それまで気付かなかったことに気付くことができるのです。

やり方としては、


「この観点から見たらどうだろう?」

とか

 

「何々的にはどういう結論になるのか?」

もそうですし、他には、

 

「あの人の立場だったらどう考えるか?」

というやり方が簡単です。

バランスを見て自分の良識で結論をだす

このように考えることによってまず起こることは「混乱」です。

「何が正しいのかわからない」

といった状況になります。当然ですね。

何故なら全て”何々的に正しい結論”ですから、全部正しいのです。

この「混乱」とその次にある「苦悩」が思考力を飛躍的に高めるのです。



以下の記事でも書きましたが、このように様々な観点であなたが導き出した結論を総合して、更に考え、”あなたの”「良心」「良識」であなたの結論を出すということです。

何を信じればいいかわからなくなった時に

他人の言うことなど関係ありません。

社会通念からしてみれば間違っていても関係ありません。


自分で出した”結論”は、あなたの”存在”を確立するものなので、社会通念と同じということはほぼありません。

パレートの法則で言えば、「思考する人」は20%で、残りは「惰性で生きている人」でしょう。

社会通念とは違う結論になるわけですから、多少生きづらくもなりますが、現代は同じ価値観を持つ人間と繋がることなど容易い時代です。

なんの心配もないのです。

本当にこれまでの技術開発に携わった企業や人達に感謝します。

まとめ

かなり「めんどくさいこと」を勧めていることは十分に承知していますが、「気付くコツ」は今のところこれしかありません。

私がよくやるのが、視点を変える時、いつもと違う場所に違う服装で行ってみるということです。

その上で、自分はこういう人間という設定を行います。

私は親の脛かじりのニート」とか、「学者」とか、「サラリーマン」とか、言わば役者で言うところの役作りの作業ですね。

なったつもりで思考してみると不思議と思いつくこと、考える事がいつもの自分と違うのです。

是非参考にしてみてください。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

スポンサーリンク

   
   

SNSでもご購読できます。

ソーシャル

にほんブログ村

コメントを残す