専門家や権威はなぜ間違えるのか?〜”専門的には”の罠〜


「専門家が下した判断で失われた20年が作られた」

と言っても過言ではありません。

大学教授を始めとする専門家という「権威」が政府中枢に助言や提案等を行い、このざまという現実があります。民間議員と称する政商たちも同じ類でしょう。


また個人の実生活や企業においても専門家が下す判断で痛い目をみることがあります。

例えば、何かのトラブルに巻き込まれ弁護士を利用する時や、事件師のような”専門家風”の人間が問題解決に乗り出してみたり、マーケティングを専門としてマーケティングミックスを提供する企業に依頼してもさっぱりということはよく聞きます。

なぜこのように、専門家や権威と呼ばれる人間の言うことを実行すると痛い目をみたり、後悔する結果になってしまうのでしょうか。

この記事ではこのあたりを考えてみたいと思います。


専門家は”それ”しか知らない

第一に専門家という立場は、その言葉の通り「ある一定の専門の知識、経験をもつ者」です。

これは裏を返せば、専門以外のことは「知らない」ということです。


つまり、専門家として”言えることしか言えない”という意味にもなります。

もっと言えば、専門以外のことについては責任を持たないということになります。




これは専門家個人のレベルの問題とも関連していますが、例えば弁護士という職業を考えると分かりやすいと思います。

弁護士という仕事につくためには、基本的には法科大学院に入学し新司法試験をパスして、国が実施する司法修習を受けて、修了試験を受けて弁護士となります。

ちなみに法科大学院に入らず司法試験予備試験を受けてパスすれば法科大学院に行かずとも司法試験を受けることもできます。

こういった過程を経て「弁護士」となりますが、この弁護士はこの時点で、社会的には弁護士という「法律の専門家」として認識されますが、実際には法律を一定レベルで知っており弁護士としての仕事ができるというだけに留まります。つまり実戦経験は無いということです。


この時点での弁護士は恐らく、裁判所の実態や検察組織の実態、警察の実態など、それに関わる知識、情報は知らないことが通常です。






もちろん、各組織にやむを得ない事情はあるのかもしれませんが、専門家でこれらのことを知らないというのは正直なところアマチュア以下かと思われます。




更に、例えば債権回収における民事訴訟で、法律的には「訴えたら勝てる」ということは依頼人に教えても、実際に債務者の資産を調査して探し出すのは債権者側の仕事であるということを教える弁護士は少ないように思えます。

裁判に勝てたとしても、債権を実際に回収して依頼人の満足が得られる可能性というのは未知数です。



端的に言えば、債務者にうまく資産を隠されたら終わりです。

民法第423条や424条の債権者代位権や詐害行為取消権はうまく隠されれば何の意味もありません。

依頼人からしてみれば、そこまで先に言ってくれて専門家だろうと思うところですが、それを依頼人に伝えてしまえば弁護士は商売になりません。

これはその専門家(ここでは弁護士)個人のレベルの問題、つまりこれらのことを依頼人に確認しても債権回収を実現できる能力があれば弁護士としてのレベルは高いと見做されることになります。

極論を言ってしまえば専門家でもピンからキリまであるということです。



そんなことはわかっているという声が聞こえてきそうです。

しかし、まともな専門家とは依頼人の望みを叶えられるということになりますが、果たして法律の制限内で依頼人の満足のいく結果をもたらすことができるでしょうか。

もし、依頼人から「債権回収ができなかったじゃないか。詐欺だ!」と言われたとしても、「私は弁護士として法的手続を受任しただけです。法の外のことは知りません」と逃げることができます。


”専門的には”という言葉の罠

こういった場合「専門的には」という言葉を必ず聞くとは思いますが、ここに罠があります。

先程の、「私は弁護士として法的手続を受任しただけです。法の外のことは知りません」という言葉には、「専門的には」、「法的には」、「学問的には」、といった「逃げ道」として利用されるのです。



ここでは弁護士を例に挙げて言っていますが、新古典派経済学でも同じことが起こっています。

経済学者は嘘をつく〜経済学の真実〜


竹中平蔵氏の主張することは「経済学的には」正しいのですが、そもそもその経済学が現実を説明する学問ではないために現在のように悲惨なことが起こっています。

最近決まった骨太の方針の中にはプライマリーバランス黒字化目標が盛り込まれていますが、こんなものは少なくともデフレである我が国においては全く必要のない考え方です。

経済財政運営と改革の基本方針 2018(仮称) (原案)

消費税10%に上げ、前後に景気対策 骨太原案



ライマリーバランス黒字化とは本来、政府債務対GDP比率の引き下げですので、政府債務が増えたとしてもそれ以上にGDPが増加してればよいということのはずです。

つまり経済成長していれば、政府債務対GDP比率は引き下げられるということになるので、経済成長を前提とした財政再建案が適当なはずですが、増税することだけ、緊縮財政が目的の財務省の力が強すぎるためにこのようなことにもなっています。

財務省は恐い組織なんです〜日本の支配者としての財務省〜

財政破綻を煽っていた財務省が「日本は財政破綻しない」という矛盾

やっぱりうまい財務省〜プロパガンダの知恵〜



これも、経済学的には正しいことになります。

経済学には予算制約式という概念があります。

瞬時に分かる経済学ー予算制約線と無差別曲線


大雑把に言えば、「自身の将来における所得以上のお金は借りられない」とでも言えば良いでしょうか。

詳しくはご自身で調べてみてください。


この概念に沿って考えれば、国家という永続することが前提として考えられる経済主体の負債も限定されることになるのでプライマリーバランス黒字化目標も正しいし、増税も正しいし、労働規制の緩和は正しいとなります。

専門的には正しいことが、大多数の意に染まない結果となってしまうことがあるのですが、彼ら専門家や権威は「絶対に責任を取らない」ことだけは前提として考えるべきことです。

当たり前ですよね?

専門的には”正しいことを言ったのですから。


スペシャリストとジェネラリスト

こうした経済学の専門家や法律の専門家など専門家は「スペシャリスト」などと呼ばれます。

対して、様々な技能や職能、知識を持つ人を「ジェネラリスト」と言ったりします。

企業が人を雇用する場合においてはスペシャリストである方が経営者としても安心できると思いこんでいますし、ユーザーとしてもスペシャリストの方に価値を置くものです。


だからこそ、スペシャリストを目指す人は多くなりますし、雇用関係の人材コンサルタントと称する連中なども個人に対しスペシャリストになることを勧めることが多くなります。

しかし、結果は別にスペシャリストでも失敗はするし、専門家ほど間違えるというイメージも醸成されることはありません。



そもそも論で恐縮ですが、あらゆる物事を決定するに際して前提となる問題発見の技術に、その専門家が適しているかどうかは全くの無関係と言えます。

例えば、経済の専門家は軍事、外交については素人ですし、軍事の専門家は経済には素人でしょう。


専門家は、あくまでも専門分野での問題発見しかできません。

つまり、専門的であればあるほど「視野」「思考」が狭くなります。



対してジェネラリストはどうか?

ジェネラリストの場合は各分野の専門的見地から様々な問題を発見することができるでしょうが、発言力という点と対外的な印象がスペシャリストよりも弱い、つまり俗っぽい言い方をすれば「プロフェッショナル感」が無いのです。

正しい間違っているかは問題ではありません。


専門家の問題解決の主張に対して、そのリスクや問題点を指摘したところで、「専門的には正しい」で話は平行線になります。

個人レベルで言えば、スペシャリスト、ジェネラリストの話を聞いた上で自分で調べて決定するということをすれば、失敗したときの後悔の度合いは低いのかなと思いますが。


懐柔と買収

ここまで説明した通り、専門家、権威という者には、「発言力」が発生しています。

発言力があるということは、人や社会に影響を与える力があるということです。

何かを変える力というものに、人は「利用価値」を見出します。

その利用価値は金銭や肩書(出世)、というものと引き換えに視覚化されます。



簡単に言えば財務省がやる緊縮財政が善という価値観を社会に拡散するためにいわゆる国の借金問題をでっち上げ、その主張を担保する経済学者やジャーナリスト、知識人にポストや仕事を与えることなどが分かりやすいかと思います。

学者という立場の人間が自由に真実を追い求めずに、ある一定の勢力に加担するように宗旨変えをしたり、主張して社会に影響を与えるということは、その学者は学者足り得ず単なる学問を専門とした「ビジネスパーソン」に成り下がります。

これがいわゆる「御用学者」と言われる者達です。


権威のある専門家は懐柔や買収が行われます。

恐らく毒饅頭を食わされるようなこともあるでしょうし、裏切ったら社会的に抹殺されるように型に嵌められるということにもなろうかと思います。


まとめ

簡単に書いてしまいましたが、いかがでしょうか?

以前にも書いたかもしれませんが私は専門家という人達について半信半疑です。

自分でやったほうがうまくいくという経験が多いためにそのように感じるのでしょうし、私の出会った専門家がたまたま低レベルの専門家だったのかもしれませんが、我が国の現状を観ていると、トップエリートの精神性もさることながら、目も当てられない倫理観、道徳観を持っているように観えますので、それほど差は無いのかなとも思います。

専門家の嘘、権威に寄りかかった責任のない主張や発言にはお気をつけください。


雑談

先日パラオという国に行ってきました。

色んな理由がありましたが、私にとって一番の理由はペリリュー島に赴くことでした。

大東亜戦争におけるペリリュー島の戦闘のことはご存知かもしれませんが、私の親族にペリリュー島で戦死されたご先祖がいるということで赴いた次第です。

ペリリュー島についてYouTubeやウェブサイト、本などに様々な情報がありますので、ご存じない方は是非ご覧になってみてください。



 



 

 



 

【ペリリューの戦い】日本人が知らなければならない大東亜戦争の真実

地獄すぎたペリリュー島の戦いの記録と画像。第二次世界大戦の激戦

帰還兵が語るペリリュー島の激闘、そして生還



行けたことで少しだけ胸のつかえが下りた気がしました。

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