最近、アメリカで白人至上主義者のでもに対するカウンターとの衝突で死傷者が出たということで話題になりました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170817/k10011102171000.html
白人至上主義者の団体として有名なのはKKKが有名かと思いますが、この団体は「ナショナリスト」としてメディアでは表現されることが多くあります。
我が国日本でも、在特会という団体は差別主義者として社会では認知されているようです。
必ずしもそうとは言えないのですが、桜井誠氏の過去の発言にはそう捉えられても無理は無いと言える発言があったことを踏まえると致し方ない部分はあります。
巷で認識されているであろうこの「排外主義=ナショナリスト」といった構図は全くの間違いであり、むしろナショナリストにとって排外主義は敵であるということが言えるのです。
この記事ではこの辺りを明らかにしたいと思います。
ナショナリズムは”違い”を認める考え方である
ナショナリズムとは国家主義と訳されるものですが、ネイションつまり国民、国家というのは、様々な考え方の人間で構成されています。
一国の中でも階級、人種、文化や習慣、宗教が違うということはよくあります。
そういった文化、習慣、宗教などの壁を超えてひとつの共同体として考えるのがナショナリズムです。
だとしたら、人種差別や白人至上主義というものは、ナショナリズムに反するものだということになります。
その多種多様な国民をひとつの共同体として考え、民主主義を実現する考え方をナショナリズムと言えばわかりやすいでしょうか。
民主主義では少数派の意見は蔑ろにされがちではあるものの、少数派の意見も尊重するというのが本来の民主主義です。
同じイデオロギーでもない、同じ宗教でもない、同じ人種でも文化でもない個人をひとつの共同体とみなす考え方なのですが、巷に認識されているナショナリズムという言葉のイメージは恐らく以下の認識です。
ナショナリズム=排外主義
ナショナリズム=軍国主義
ナショナリズム=差別主義
ナショナリズム=帝国主義
こんなところでしょう。
ですが、実際は説明した通りです。
こういったことを言うと次のような反論があります。
「移民に反対しているじゃないか!」
といったものです。
ナショナリズム=移民排斥、移民反対というイデオロギーが前提になっている反論のようですが、移民政策に反対することと、ナショナリズムはそもそも全く関係がないのです。
私が、現在の移民受け入れ政策に反対しているのは、日本国民の賃金が下がるからです。
インフレ率はコアコアCPIベースで0.0%という状態で且つ増税分は含まれていないのでマイナスのはずです。
つまり現時点で我が国はデフレと言っても良い状況です。
http://www.stat.go.jp/data/cpi/
一部の業界では、人手不足が顕著であり、需要よりも供給が少ない状態となっておりますが、マクロの数字では”デフレ”と言わざるを得ません。
このような”タイミング”(全体的には供給が需要よりも多い)で供給力を増やす効果のある移民政策に反対だということです。
ご存知のように日本国民の実質賃金は上がっておりません。
そのような状況の中で、日本国民が考える賃金よりも低い賃金で喜んで働く労働者が”移民”だとしたら移民受け入れ政策に賛成できますか?という話になります。
私個人は自営ですから個人的にはそれほど影響はありませんが自分個人に影響がないから賛成ですというのは、全体の話と個別の話をごっちゃにするのと変わりません。
余談ですが最近、実質GDPが6期連続プラスというニュースがありましたが、なんのことはありません。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-08-13/OUAL466S972801
実質GDPというのは計測できません。
計測できる名目GDPを物価上昇率で割って計算します。
基本的にGDPデフレータで計算します。
すると不思議な事に、物価上昇率がマイナスだと、実質GDPがプラス化するという、一見成長しているかのような印象になってしまうのです。
このニュースを観て”名目GDP”に言及していた記事は私の観る限りありませんでした。
なぜメディアが揃いも揃って名目GDPの数字を報道しないのか?ということを考えれば、
「メディアの通常営業」としか思えません。
話を戻しますが、現時点での移民受け入れ政策は日本国民に利益を生まないから、反対するということです。
よくよく考えてみてください。
我が国の国民、日本人は概ね薄い顔と言われますが、その割には高い鼻の人もいれば、はっきりとした目を持つ日本人の方もいます。
私も16代続く家の家系ですが、わし鼻と言われるほどの身体的特徴を持っています。
我が国では出雲族、大和族などというように、日本民族という一つの枠の中に複数の民族が存在しているのです。
これは一体どういうことなのでしょうか?
差別主義は憎悪しか生まない
ナショナリズムが差別主義と全く相容れない考え方であることはご理解いただけたかと思います。
実は差別主義というのは、国民を”分裂”させます。
イギリスのブレグジットでは正に真っ二つにイギリス国民が分裂しました。
我が国も分裂しているような状況です。というか首相が分裂させたのだと思います。
現政権の支持率はご存知の通りマスコミベースだと相当に低いです。ネットではもっと高いんだろうと思いますが、先日の都議選で、首相が応援演説に赴いた際に、反対勢力に対して、
「こんな人達に敗けるわけにはいかないんです!!!!!」
といった発言をしました。
そのこんな人達というのは、「日本国民」ではないのでしょうか?
仮に外国人だったとしたら、首相の推進する移民受け入れ政策と矛盾します。じゃあ入れんなよと。
ところが、一国の首相がこのような発言をしたのであれば、民主主義である我が国は、首相と相容れない考え方を持っている時点で日本国民として認められないということになります。
つまり、首相に反対する者は日本国民ではない。反対する者は新自由主義の下で”敗者”となれば良い。
勝ち組の日本国民と負け組の日本国民を生み出すことそれが、
「日本国民の分裂、分断」です。
勝ち組の日本国民だけで、素晴らしい社会を作ろうとする、
「勝ち組だけの全体主義」が実現する可能性を孕んでいるのです。
そもそも総理大臣という立場である以上は、首相と反対意見を持つ国民に対しても、
「私に反対意見のある国民もいるかと思います。しかし、それでも国民を守ってみせるのが首相の役割であり責任です」
とこの程度の嘘っぱちは政治家なら誰でもつけるのでこう言えばよかったのでしょう。
学園モノの話題のストレスで思ったことを言ってしまったのかもしれません。
政治屋というのは本当に大変な仕事だと感じます。
したがって、国民を分裂させるような政策をナショナリズムは忌避します。
例えば国民を分断するような、人種差別や格差の拡大を推進する政策には反対するのがナショナリストということになるのです。
ところが、メディアではそうは説明されていません。ナショナリストと差別主義者を同一視します。
目立った知識人もこれまでのような説明をする人は残念ながら皆無です。
そればかりか、ナショナリストや反グローバリズム主義、イギリスのEU離脱派に対して、メディアは敵を設定します。
「反知性主義者の愚かな判断」
「感情的で短期的な視野しか持たないナショナリスト」
「人種差別を肯定するナショナリスト」
といった具合で報道します。
短期的な利益のみを考えるバカと言うなら、それこそマスコミをはじめとするメディアや企業側だろうと思うのですが、彼らは全く気付いていないようです。
テレビ局は、最近スポンサーが視聴者から攻撃されて大変そうですが、お元気されているのでしょうか?
テレビ局の株主総会はいつも荒れているとのことで大変でしょうが、頑張ってこれまで通り”洗脳装置”としての役割を果たしていただければと思います。
ところでスポンサーに対する苦情というものはこのようになっているみたいです。
「この番組は以下の提供でお送りします」
の時に映し出される企業をパシャっと記録し、片っ端から連絡し、放送法を根拠に、そのスポンサーに対して、
「放送法何章何条に抵触している可能性が極めて高いと思われますが、御社はどのように”お考えでしょうか?”御社のご見解を”お聞かせください”。」
とするのです。
”ご意見”とみなされないような工夫がされた聞き方なので実に効果的です。
これを行った方々は本当に我が国を大切に思っているのだと思い感動しました。
上場している企業であれば、スポンサーだけではなく、株主、主要取引先に同じように連絡すればもっとバッチリでしょう。
大手企業にはCSR、コーポレートガバナンスという建前があります。その指針が以下の金融庁発行のものです。
大手企業が違法行為を行う企業と取引しちゃいけませんよということですが、実態は大手企業の要求で犯罪行為に手を染めるという中小企業のほうが多いんだろうと私の感覚ではそう思います。
話がそれました。
差別主義というものは断じて許されるものではないと私も思っています。
生まれや人種という理由で不当な扱いを受けることのショックは計り知れません。
あの疎外感と屈辱感は恐らく一生忘れられないでしょう。
何せ、何もしてないんですから。
それを受けたことのある人間は、見返してやろうと思い人生を生き抜くかもしれません。
しかし、その見返してやろうという目的は、怨恨、憎悪、憎しみ、怒りなどのネガティブな感情からです。
差別を受けた人間が、その後成功したとしても、その時に謙虚な態度でいられるかなどわかりませんし、もしかしたら、自分を見下した人間に半沢直樹よろしく土下座させるかもしれません。
差別主義者は、なに人の犯罪率とか、有色人種の犯罪歴、有色人種の犯罪者の顔、食生活、文化までをもガッツリ否定してきます。
自分のことは棚に上げてそういった主張を自信を持ってするので厄介この上ないのです。
差別主義者の主張を受け入れようが受け入れまいが、聞いた者の心に残るのは、ネガティブな感情のみです。
データなどを使っていかにもな主張をするから勉強になったと思う人もいるかもしれませんが、勉強になる部分は手法のみでしょう。
まとめ
ナショナリズム=悪というイメージは戦後、GHQ並びにメディアが作ったものです。
ナショナリストを自称しておいて人種差別をする人間はナショナリストではなく、「優生主義者」です。
あるいは、人種差別をすることで互いの憎悪を触発して分断させることにより利益を得られる立場の者かもしれません。
嫌われ者にあえてなるなら何か目的があってもおかしくありません。
さらに言えば、差別主義者ほど、「権威に服従」する傾向が強いのも紛れもない事実です。
差別主義者を差別するなと言われそうですが、私は差別主義者は差別を受けた経験からどうしても受け入れられません。
ナショナリズムについては書きたいことはもっとあるのですが、キリがないのでテーマを決めて今後別の記事で書きたいと思います。