今がチャンスと思っている者達がいます。
世間では北朝鮮危機でてんやわんやしています。
一部報道では本日にも核実験が行われるのではといった報道もあります。
http://www.sankei.com/world/news/170413/wor1704130063-n1.html
その一方では、浅田真央選手の引退報道も激しく特集されています。
毎回思うのですが、現在のような「危機」が発生するとメディアは片方では、今にも戦争が始まるといった「恐怖」を視聴者に与え、一方では全く関係ないエンターテイメントに関する報道をしているのです。
以前のイラク戦争でも、イギリスのEU離脱問題、以前の北朝鮮ミサイル発射問題、リビア紛争など、いつも「恐怖を伝えながら楽しさを与える」のです。
報道機関なんだから当たり前じゃないかと反論されるでしょうし、幅広く報道しなきゃメディアは成立しないと思われるでしょうが、メディアがこれまで国民にとって有益な報道を戦後行なってきたのでしょうか?
もちろん各分野の報道をすることも報道機関の仕事ではあります。
しかし、この「一方で恐怖を煽り、一方で楽しさを与える」手法は、戦前から行われている情報操作手法なのです。
いわば正・反・合のヘーゲルの弁証法に近いやり方と言えます。
ヘーゲルと言えば「精神現象学」が有名ですね。
非常に難解な本ではありますが、一度図書館で目を通すことをオススメします。
一度読めばあとは枕にしかならないぐらい読むのに体力が必要となります。
正反合という考え方は、歴史上幾度となく行われてことです。
例えば銀行家が、対立する国家に対し、戦争をするための資金をどちらの陣営にも融通したり、一方で民主主義を標榜させ、また一方では共産主義を支援するというように、お金の流れを見るとわかりやすいですが、それが合わさり、新しい”正”となり今日ではそれが、”グローバリズム”となっているように私には見えます。
グローバリズムは表面的には民主主義の顔を持っていながら、中身は”共産主義”(民主主義の否定)の性格をもちますし、また帝国主義的な側面もあります。
それと関連しますが、今の状況は”情報操作”真っ只中であり、こういう”ショック”がある時ほどちゃっかりとんでもない法律を通しているものです。
そもそもですが、戦争は絶対に勝たなければいけないことなのに、自分の手の内を本当に明かすバカが居ると思いますでしょうか?
アメリカの戦争経験は世界一ですし、北朝鮮は生き残りに命を賭けています。
つまり今武力衝突に”近い”情報戦争が行われているだけに過ぎません。
その一方でということがあるのでこの記事では「今はショック・ドクトリンの好機」というテーマで考えてみたいと思います。
ショック・ドクトリンの概要
ショック・ドクトリンと何たるかはご存知かもしれませんが一応概要を説明します。
ショック・ドクトリンというのはカナダのジャーナリストのナオミ・クラインが2007年に著した書籍です。
この本の中では、「惨事便乗型資本主義」という言葉が使われ、戦争や紛争、大規模自然災害、恐怖政治など、大衆に恐怖などのショックがあった時に、極端な法律が通されたり、いわゆる「抜本的構造改革」が行われるということを、数多くの事例を用いて説明してくれている本です。
上下に分かれた分厚い本なので、時間がなければDVDなどで確認しておくと良いと思います。
本は図書館で借りましょう。
こんな外観です。
ショック・ドクトリンで行われる法改正は大抵の場合、大衆の為の法改正という顔をした、投資家の利益の為の法改正です。
シカゴ学派の長、悪名高き経済学者ミルトン・フリードマンの政策は、投資家の利益を代弁するもので、新自由主義的な政策を推し進めるために、大衆のショックを利用し、大規模な規制緩和政策を繰り返していったのです。
ショック・ドクトリンの概要はこんなところですが、読んでいなければ是非読んでいただきたい本です。
動画をご覧になって興味が湧いたら読んでみてください。
因みに3.11でもショック・ドクトリンは行われました。
再生可能エネルギー買取法やTPP、水産特区構想などです。
一言で言えば、
「ショックさえ与えてしまえば、大衆は言いなりになる」
ということです。
個人のレベルで考えると、人は怒鳴られたり、恐怖を感じた時に取る行動は基本的に以下のようになるのです。
まず「固まる」。
それから
「戦う」か「逃げる」
を選択する。
基本的にこの流れです。ショック・ドクトリンの場合、大衆の「戦う」がその与えられた構造改革に賛同することとなるでしょう。
「批判ばかりしててもしょうがない」とか、「とにかく今は突破口を開かなければ」などと、やたらと前向きになるのです。
この「誘導された前向きな精神」は、冷静な者を迫害さえします。
そもそも前向きな精神とは自発的に発生させるものです。
成功哲学の本を読んでみたり、このままではいけないとか思い一念発起してみたり、前向きになる時は自発的なものです。
自分を動かすものが「恐怖」なのか「目的」なのかです。
前向きになることを否定するわけではありません。
しかし、ショック・ドクトリンの場合、大衆のその前向きな精神になることも折り込み済みで考えていることに気付かなければいけないということを言いたいのです。
日本は”潜在的な”恐怖に包まれている
私の見る限り、今の我が国の空気は、
「恐怖に包まれているが為す術がなく、結局いつも通りにことが運んでいる」
とそんな空気になっています。
先ほども書きましたが、メディは一方で北朝鮮とアメリカの武力衝突はあるのか?、戦争か?と、誰でも言えるようなことしか言わない肩書だけは立派な人間に適当に喋らせ報道し、一方で、エンターテイメント報道もします。
視聴者の心理はこうなります。
北朝鮮の件で視聴者は恐怖を感じます。
その後、エンターテイメントの放送をします。
すると心はいつも通りの日常に戻ります。
ここで何が起こると思いますか?
「考えなくなる」
のです。
視聴者の心理に残るのは漠然とした恐怖だけです。
ここ一週間、約100人に程の方に北朝鮮の話題を振ってみましたが、意見は概ね以下に絞られました。
「よくわからないけどなんか怖いね」
「アメリカがなんとかする」
「北朝鮮とかいつものことじゃん」
「日本はホント駄目」
大体この4つの意見に絞られました。
この「よくわからないけどなんか怖いね」が一番多いのです。
漠然とした恐怖だけを残しています。
いつもの日常にプラスされた漠然とした恐怖で、どうすればよいかわからないという状態、正に為す術がないという状態になるのです。
こんな意識の中で、その他のことに意識が向く人間はどれだけいるでしょうか?
まずいないでしょう。
だからこそ、過激な法案が通過しやすくなるのです。
国民の目を盗んでこっそりやるという手段であるわけですから。
つまり国民の大多数は恐らく、かなり前から顕在的になった恐怖を認識していないのです。
だから、実態が潜在的な恐怖で止まってしまっているということになるのです。
これは、もう”病”かも知れないと思うほどです。
実にうまくできています。
考えた人間は本当に人間かどうか怪しいくらいです。
メディアが恐怖を伝える報道が大衆を騙す目印となる
これまでの歴史を見れば、メディアが如何に信用できない組織なのかはご理解されていると思います。
彼らは国民の利益は一切考えませんし、むしろ我が国と我が国の国民を貶めてきた組織です。
朝日新聞が行った慰安婦捏造記事など、日本人に対する侮辱罪、名誉毀損罪、風説の流布、殺人罪、外患誘致罪も適用できるのではないかと思います。
しかし、第4の権力が法的に訴追されることはほぼありません。
権力が法を作りますし、どんな力も基本的に権力が前提になるものですから。
何が言いたいかというと、凶悪な犯罪者だという認識をメディアに持たなければ、情報操作を見破ることができないということです。
情報操作手法に関しては過去の記事には書きましたが、手法だけ知っていても、真に活用するには、メディアが視聴者を騙すという前提、我が国の破壊者であるという認識、メディアが凶悪な犯罪者という前提を視聴者側が一度全力で持たなければ、彼らの、手法に気付けないということです。
物事はバランスが大事ではあります。
しかし、それほど人間は器用ではありません。
一旦は極端にならなければいけないのです。
そして、その極端な視点を知り、理解した後にバランスを保てば良いのです。
私は家庭に一台、メディアの犯行声明放送装置があることが恐ろしいことだと認識していますし、一方では、メディアの手の内を見せてくれる大事な情報源という認識もしています。
新たな発見もありますから、役者になったつもりで視点を変えていくと非常におもしろいとも言えるのです。
これが私の正・反・合です。
彼らが恐怖を煽る時、その時”必ず”気付かれたくないことがあるという目印になります。
まとめ
ショック・ドクトリンはショックを与え大衆を誘導させるプログラム
今が、ショック・ドクトリンを施す機会である
メディアは凶悪犯罪者
断言しますが、奴等は今、何かしらの悪巧みを必ず何かやってます。
既に行われたことは、水道事業民営化、主要農作物種子法廃止です。
他にも絶対に何か見つかります。
メディアは反省しない前科者ですし、再犯率100%ですので、知っている者だけでも今の時代探せば必ず見つかります。
今こそ、冷静な目と心を持つ試練なのかなと私は考えています。