フィルターバブルとマスメディアが作り出す人間


フィルターバブルという言葉をご存知でしょうか?

スマートフォンの普及と共にインターネットを利用することも当たり前となっている現代では、人間がより画一的になる可能性があります。

その可能性を強めているのがフィルターバブルという技術です。


フィルターバブルというのは便利な半面、視野を狭くする効果があります。

そのような効果をもつフィルターバブルという技術が人間社会にどのような影響を及ぼすのでしょうか。

この記事ではその辺りを考えてみたいと思います。


フィルターバブルとは

Wikipediaでは以下の説明をしています。

フィルターバブルーWikipedia

要は、インターネット検索で検索者が見たいものしか見られないようにしてしまう検索サイトの技術と言えます。




例えば、Amazoからのメルマガでグローバリズムについての本を探しているとそれに関する著書がレコメンドされるとかそういったことも広義のフィルターバブルです。

各個人の買い物特性から「あなたへのオススメ」ということで各個人の傾向に沿った商品が画面上に表れるという経験はおありかと思います。

 

 

もうひとつ例えば、創価学会批判をしていればこういったことが書いてある本もオススメに出てくるかも知れません。

鶴見芳浩(つるみ よしひろ)ニューヨーク市立大学教授(熊本県出身)『アメリカ殺しの超発想』(1994年徳間書店発行)の206頁以下

-----------引用開始------------

小沢一郎氏と池田大作氏とノリエガ将軍の三角関係

94年5月以来、ワシントンを起点にしてアメリカの各所に配られた「小沢批判リポート」はもう一つ重大なことに触れている。

同リポートは、小沢氏が、創価学会名誉会長で偽本尊を作ったりしてとかく会員の中でも批判のある池田大作と連携して、池田大作氏の野望である政教一致による日本の支配と、そのためのハク付けとして「ノーベル平和賞」の獲得に、小沢氏が協力している事実も暴露する。池田氏と同盟を結んでいる小沢氏は、アメリカにとってますます好ましくない人間だとも明言している。


実はこのくだりを読んだとき、私もひとつ思い出すことがあった。それは、ブッシュ前大統領が金丸、そして小沢両氏を思うままに操っていたころ、両氏に与えるアメ玉だけでは説明がつかないと思うことがいくつかあったのだ。

そこで、CIAに近いアメリカ人が聞かせてくれたのが、小沢氏、池田氏、そしてパナマの独裁者だったノリエガ将軍を結ぶ線だった。

ノリエガ将軍は、ブッシュ氏がCIA長官時代には、その手先となって、キューバのカストロ首相やニカラグアなど中米の革命グループ攪乱に協力した。

そして、その代償として、パナマを中継地として、時にはCIAの輸送機も使ってアメリカに南米コロンビア産のコカインを輸出する暴挙を大目に見てもらっていた。



このためにブッシュ氏の弱みを握ったとして、ノリエガ将軍は、ブッシュ氏が大統領となったアメリカを、好きなように操れると過信したのだ。

しかし、こんなノリエガを放置しておいたら自分の政治生命が危ないと知って、ブッシュ大統領は89年就任早々に、米軍による電撃的なパナマ侵攻をやって、ノリエガ将軍を「戦犯」として捕らえ、アメリカのフロリダにさらって来た。

そして、同将軍を「アメリカへのコカイン麻薬供給の罪」もつけて秘密裁判にかけて有罪とし、特別監獄の奥に閉じこめてしまった。


このノリエガ将軍が吐かされたものの中に、池田大作氏が創価学会の金をパナマで運用し、ノリエガ将軍の麻薬取引の資金繰りにも使わせていたことと、このあがりから、池田氏は小沢氏へ相当な額を常時渡していた、というものがあった。


ブッシュ氏はこの自白の証拠書類もがっちりと手に入れて、金丸、そして小沢の両氏を操作するムチとして使っていた。もちろん、アマコスト駐日大使は、このムチを必要に応じて直接使用した中心人物であったということだった。

この話は「小沢のパナマコネクション」として、アジア・太平洋諸国の政府の間にも知れ渡っている、と教えてくれたアジアの外交官もいる。知らぬは日本のみということだろうか。

-----------引用終わり-----------

とんでもない奴らだなぁと心から思います。

話が逸れましたが、フィルターバブルというのはこういったことで、


「自分の好きなものしか目に入らない」



「情報に自分の世界が”決められてしまう”」



という少々由々しき問題が生じます。

安倍信者は安倍信者とくっつき、サヨクはサヨクで固まるといった以下の動画のような状態になります。

https://www.facebook.com/jwilcke/videos/10214794312107563/

こうなると更なる問題が発生します。



人間の構成するコミュニティの枠がひとつひとつ形成されていき、一定の認識を共有する「認識共同体」が強固なものになっていきます。

これは最早小さな「」となります。

かつて「浅間山荘事件」という事件がありましたが、あの事件は「総括」という名で行なわれた内ゲバです。

 



 

フィルターバブルの影響で各個人の世界が狭まり、その選択した世界は「居心地が良い」ということで、泡の中に閉じこもってしまう、これがフィルターバブルなのです。

その泡を破ろうとすれば幾ばくかのストレスは避けられないでしょう。




よほどの好奇心や知的体力、使命感等がなければそれまで信じてきたことを覆すような言説を認知するということはできないでしょう。

恐らく認知した時点で特に何の検証もせずに「それは間違いだ」と言い張ってみたり、認知的不協和に陥るだけのことです。

つまり、フィルターバブルの影響でこれまでにないほど、人間は「白黒はっきりつけたがる」ようになるのではないかと私は考えるのです。要は単純になってしまうのではないか懸念です。





私はこのフィルターバブルというモノの存在を知ってからは、出来る限り興味のないコンテンツやジャンルも手に取るようにし、自分の世界観をできる限り”狭めないように”しようと努めました。

集中するということは”一時的”に視野を狭めることでもあります。

集中して得た知識を活用するには広い視野を持てなければ宝の持ち腐れのようになってしまいます。


インターネットが登場する以前の情報アプローチ

インターネットが登場する前はテレビ・ラジオ、新聞、チラシ、雑誌等のメディアで、且つ一方向から受動的に情報を得るという格好になっていました。

つまり、好きなモノの情報の取捨選択は脳内で行なわれていたのです。




ところが、インターネット検索というものは能動的に情報を得ようとする活動であるにも拘らず、テクノロジーが検索者の好みを取捨選択し、且つそのテクノロジーによるフィルターを通過した情報を「自分の探している情報として」認知するということになってしまいます。



情報が限定される上、更に検索者の視野も狭めてしまうということになります。

インターネットが登場する前と後での決定的な違いは、


「人間が情報を見つけていた」


のがインターネットが登場する前だとしたら



「人間が情報に”見つけられる”」


ようになってしまったことです。

このことが、どのような影響を人間に与えるのかを考えると、何やら暗い話をしたくなります。

マスメディアの行うフィルター

マスメディアも当然にフィルターを通したものを視聴者に提供しています。

マスメディアの場合は「ご都合フィルター」とでも言えばいいでしょうか。



有力なスポンサーや芸能事務所、権力に対する遠慮や忖度で「当たり障りのない情報」をお茶の間にお届けするのがマスメディアですので、真実はおろか、真実の材料となる事実ですらまともに報じられないので基本的に情報としての価値はありません。



核心部分に触れないのであれば権力の監視装置としては、お役御免といったところですが、現実のマスメディアというものはこういったものなのです。

詳しくは過去の記事をご覧いただければと思います。

メディアの情報操作手法を公開します

 嘘を見抜く方法~正確な情報の掴み方~

「事実」はこうして作られる~既成事実化~

 洗脳はエンターテイメントの顔を持つ

マスメディアは「議題」を社会に設定する機関である

情報操作はなぜ起こるのか?~メディアの構造と金の流れ~

情報操作を仕掛ける者が困る5つのこと~メディアの嘘に騙されない~

なぜ、同じ広告やプロパガンダが繰り返されるのか?




そういう意味では我が国の与野党のやり取りは台本のある「プロレス」、茶番劇と言えるでしょう。

最近も政権にとってとっても都合の良いタイミングで人気アイドルグループの山口”メンバー”の2月あたりの不祥事を表沙汰にして、ダラダラダラダラ引きずってるところを観るとテレビの「ご都合フィルター」が作動しているんだと感じます。




テレビ局が積極的にジャニーズの不祥事(和解が成立している)を取り上げ、ずるずる引き伸ばし報道するなんてことは考えられません。

ジャニーズ、政権、テレビ局の茶番に国民は付き合わされているだけです。

山口某は彼らの「生贄」ということになるのでしょう。



当然大きな”何か”が動いたと推測できます。

そっちを報道してほしいものですね。



テレビを含むマスメディアというものの信用はこういった邪推をしてもある意味「そりゃそうだろ」と自然な話になってしまうほど腐敗しているわけです。

差し詰め、警察が前科者を真っ先に疑うのとほとんど変同じ意識です。



まずまず、マスメディアの行うフィルターは、基本的に商売の様相を呈しているので、参考になる部分と言えばCMとバカさ加減です。

マスメディアは正にマス=大衆をターゲットにしているわけですから、3Sに侵されたバカな国民が多いということを受け入れる手段としては良いかもしれませんね。


空気が権威と化す

フィルターバブルにおける選択された情報を受け入れた人間が結集するということが見られますが、この各々のコミュニティ内には、当然”その時の「空気」”というものが存在するはずです。

例えば、SNS上でフィルターバブルの過程を経て、あるコミュニティに参加し、なにかの活動をしたり、運動をしたりしていく中で、そのコミュニティ内で共有されている認識と違う信憑性のある情報を得た場合に、果たしてその情報を口にできるか?ということです。



そこで口にしたところで、そのコミュニティからの村八分に遭うか、無視されるか、はたまた全力で否定されるかといったことになるでしょう。

そもそも、「言わない」という選択肢をとる人の方が断然に多いかと思います。

わざわざ、論争や揉め事を起こすようなことは言いたくないというのが人情ですし、何しろ面倒なことをしたくないというのも最もな話です。


そうなると、そのコミュニティの構成員はその信憑性のある情報を遮断、考えない、嘘だと断じる、と「なかったことにする」という選択をすることになります。

これが



「空気という権威に逆らえない認知的不協和」



です。


その場の空気も知らないでとか、あの時の空気を知らずに責められてもというような、ある種「空気」という言葉が免罪符になるほど、我が国では空気というものが、絶大な権威をもっているのです。

その空気が民主主義を壊すと言っても過言ではないと私は思っています。

フィルターバブルによって様々なコミュニティが生まれその中の個人が、空気に圧倒されるということは、


「テクノロジーに選択された情報の中で、選択されたコミュニティの空気にも選択される「主体性があるようで全く無い人間」が形成される」

 

ことに繋がるのではないかと感じるのです。


まとめ

フィルターバブルの問題と日頃散々こき下ろしているマスメディアのことを考えてみましたが、やはり、

「情報に見つけられる」

という怖さをどうしてもお伝えしたかったので書いてみました。



テクノロジーの発達でいずれ人間は指一本動かさず生きていける時代は来るでしょうし、技術的には永遠の命をも手に入れることでしょう。

しかし、人間は限りがあるから輝けるということも誰もが理解しているところでしょう。

私自身、輝いているのかと言えば磨きが足りない石ころのような存在ですが、人の目に触れれば触れるほどそれが”磨かれる”ということになるのだろうと思います。

なんとなく雑談

最近は色々考えごとをしている時に行き詰まるというか、何か釈然としない結論が頭の中に浮かぶことがあります。

そんな時には「飲みに行こう」となってひとりで飲みに行くことになります。

近くに美味しい鳥刺しを出してくれるお店があるものですから、ちょいちょい伺っています。

こちらのお店です。

さぜんー新小岩




ここのカウンターでクダを巻いているメガネを掛けた30代半ばでイケメンの男が恐らく私です。

もし、当ブログを御覧になっている方と遭遇しましたら一杯ごちそうさせていただきます。

その代りといってはなんですが、私の話にお付き合いいただくことを覚悟の上でいらしてください…


本当にほっぺたが落ちるという表現に初めて納得がいったお店なのであまり行かないでほしいところでもあるという葛藤を抱えながらこのブログを書いています。

こちらのお店についてのブログ記事もあるようなので参考までに

体たらく日記

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