金融の力と本質〜金融とは観念的なもの〜

普段何気なく使っている「お金」ですが、私達はお金が無ければ生きていけないと思っています。

上記の記事で書いたように、お金とは「債権債務の記録」です。

食料を買うにしても、贅沢品を買うにしてもその時持っている「お金という価値と交換」します。

現在はクレジットカードが普及していますので、現金以外にはデジタルデータでそのやり取りが行われています。

借金という形で。

その借金(負債)を作り出しているのが銀行であり、それが「信用創造」と言われているものです。

上記の記事でも書きましたが、銀行が行っていることは預金者から預かった(借りた)お金を融資に回しているのではなく、融資の申込があってから返済できるかどうかを判断し、可となれば、その人の通帳の残高に「金額を入力する」ことで、融資が行われるのです。

融資の際に実際に現金が動くことは基本的にはありません。

こうして市中全体のお金の量が増えます。

またその全体の量の増減を決めているのが「中央銀行」です。中央銀行は国債を買い入れることで通貨の発行を行っています。刷っているのではなく「発行」しています。

どのように発行するかというのは各銀行と中央政府がもつ日銀当座預金という口座の残高を増やす形で発行します。

民間銀行が信用創造によってお金を増やしていったら必ず生産力に限界が生じインフレになります。

とは言え、理論上、無限にお金を発行することが出来るのです。

だからこそ、預金準備率という制度があったり長期金利を中央銀行が決めなくてはならないのです。

同じ中央銀行制度内という視点から、各銀行が信用創造を繰り返されているところを観るとただただ「数字のやり取り」つまりA銀行からB銀行に数字が移るというそれだけです。

この銀行という金貸し団体を代表する「金融」とは一体なんなのかということを書いてみたいと思います。

金融とは?

こう聞かれたら私は、「金貸し」と答えるでしょう。

金を融通することから金融と呼ばれるのですが、果たしていつから貨幣、金融というのは機能してきたのでしょうか?

私の説明よりも以下の動画がわかりやすいです。

これまでは古代バビロニアから始まったと言われており、

その関係で経営者や経済的自由を欲する人達に愛読される「バビロンの大富豪」という本が未だ人気があるのでしょう。

一般の銀行でも投資銀行でも証券会社や商品先物取引などを扱う金融商品取扱業者も、結局は金貸しです。

信用取引と言われるいわゆる「信用買い」、「信用売り」は、お金を”借りて”その商品を売り買いすることですが、金融業界は金を貸さないと、つまり人に負債を負ってもらわないと成り立たない業種です。

主に金利と手数料で成り立っている業種ですので。

負債とはレバレッジ(てこ)とも言われ他人の資本を受け入れること、つまりは出資や融資を受け入れることで、事業規模を拡大したり、自己資本に対する利益率を高めることができるという利点があります。

トヨタ自動車でも負債が0ということはありません。

ダイナミックな経済を実現するには誰かが負債を負って投資をすることが必要となるのです。

それを現在、我が国が享受している物やサービスに溢れた社会ということになるのです。

デフレのために一部業界を除いて需要はまだ少ないですが…

しかし、株式をはじめとする金融商品はの取引は「ゼロサム」です。

要は誰かが100円得したら必ず誰かが100円損をするというモノなのです。

また銀行には「晴れてる日に傘を貸して、雨が降ったら取り上げる連中」と言われてみたり、「政府の保護を受けている連中が高給で学生を募集するのは問題だと」言われてみたり、とにかく民間企業からの評判で良い噂は早々聞きません。

とにかく「お金を発行する権利」「無からお金を作る権利」という絶大な権力を持っているのが銀行であり、金融なのです。

余談ですが主流派経済学には貨幣の概念も、国家の概念も、民族の概念も安全保障の概念もありません。

経済学の貨幣は物々交換、つまり貨幣の本質を素材に求める説であり、商品という扱いなのです。いわゆる「金属主義」というやつです。

金融は観念的なモノ

金融派生商品という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

もしかしたらデリバティブという言葉の方が馴染みがあるかもしれません。

株式や商品先物、金などへの投資(実際は投機)は一体どのような仕組みになっているのでしょうか?

これがいわゆる金融工学ですが、簡単に証券化の仕組みを説明します。

証券化は非常に複雑な仕組みです。

証券会社はもちろんSPÇと言われるタックスヘイブンに置く組織や代金回収のサービサーや弁護士、会計士など様々な組織や人間が

以下の画像を御覧ください。

証券化の仕組み

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これは私が以前思いつきで作ったものです。

やる気も特に無かったのですが、理論的にはこれで証券化はできます。

実際にやるとなれば多少の変更と修正をし、また興行の背景を考えると、死人が出るくらいのことになりそうなので断念した次第です。

ですがこれを観る限りこんな風に思いませんか?

「こういうことにしよう」

つまり実態が無く「合意」で成り立っているということです。

不動産投資信託(REIT)も不動産を証券化したものです。

そもそも土地はただ「」であり、それを人間の取り決めで境界を定めたものです。

その地面の面積や場所などによって価値が決まり、その一つの区画の所有権を分割し、複数の人間が円滑に所有し、売買できるのがREITなのです。

これこそ正に「合意」です。

これが「金融」の骨子でもあり、元々観念的なものであることがお分かりになると思います。

では何故、実態のない金融が個人の人生はもちろん、企業、国家、果ては世界中の経済にまで影響力を発揮できるのでしょうか?

金融のパワー

金融のパワーが最強である前提にはいくつかの条件があります。

ひとつは、誰もがお金に価値があると認めていること。

ふたつめに、通貨を発行できること

お金の定義には通貨単位と譲渡性と債権債務の記録であることが必要となります。

お金には何故価値があるのかと言えば、お金があれば欲望が満たせるからです。

人間に欲望がなければお金は全く必要とはなりません。

しかし、お金(通貨)でエネルギー、食料、水など生活に必要なものが決済されています。

主に基軸通貨であるドルで決済されますが、通貨バスケットに入っていない通貨で果たして決済出来るのでしょうか。

お金のある無しで生きていけるか死ぬか決まってしまう、そういった力を持つお金による貨幣経済は

奴隷制度」のひとつなのです。

基本的にお金の世界では金を借りたものは貸した人間に頭が上がらなくなります。

これは返済が滞って無くても同じことです。

滞れば金を貸した者は(債権者)借りた者(債務者)から容赦なく取り立てます。

予め取っておいた担保なのか、動産なのか不動産なのか、場合によっては命以上の価値を提供しなくてはいけなくなります。

これは「奴隷を作るためのツール」と言えるモノです。

貨幣経済ではそのお金の量をコントロール出来る者が最強となります。

ここまで考えると長者番付が誰かなどどうでもいい話となります。

実際どうでもいいですが、実際に金融をコントロールできれば、今持っているお金が0でも関係ないのです。

戦争と金融

戦争の時に必要なものは何と言ってもお金です。

武器の調達、製造、燃料の調達、備蓄、食料、資源、情報などありとあらゆるモノが大量に必要になる戦争は莫大な費用がかかります。

需要が生まれ、その時デフレだった国はあっという間に好景気に傾くことでしょう。

しかし、この時に政府はどこからその戦費を調達するのでしょうか。

自国通貨を発行したとしても需要が莫大にあるという状態なのであっという間にインフレ率が安全である水準を越えてしまうことになります。

だとしたら海外から借りるしかありません。

国債を買ってもらうという形で。

仮にその時にお金を貸す側は何を考えて貸すでしょうか?

もちろん「自己の利益」になるように貸します。

この場合の自己の利益になる最高の貸し方とは

「戦争をしている両方の国に金を貸す」

利益だけを徹底的に追求したらこの方法が一番良い方法です。

両国の需要に企業が応えていけば当然大儲けということになります。

戦争が激化し、兵器を大量に消費することで両国の軍人が死に空襲などで両国の民間人が死ねば死ぬほど儲かるという話になるのです。

これが軍産複合体の論理です。

ザ・コーポレーションという映画が非常にわかりやすく資本主義の危険性を指摘する内容となっています。

そして戦争を作るのはいつの時代も金融なのです。

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