スーパーシティ法案が成立しました。
生粋の売国奴として定着している竹中平蔵氏の言う「国、自治体、企業で構成するミニ独立政府」が運営主体となるべきだと発言しているところから観ると、スーパーシティ構想は地方自治体に地域主権を認め、日本国家をバラバラにさせる独立運動であると言い換えることができます。
大阪都構想が独立運動であると大阪維新の会が自身のホームページで明らかにしているように、国家、地方を名実ともに企業が統治する革命、独立運動なのでしょう。
スーパーシティの住民は事実上「家畜」です。
あらゆる全ての個人情報を一元管理され、起床からトイレ、何を食べたか、何を着たか、何時に家を出たか、どの道を通って職場に向かい、今どこにいて、何をどれほど購買したかといった私生活の情報はもちろん、既往歴や悩み、性癖なども企業に知られるのです。
プライバシー権とは個人が個人であるための根幹をなすものです。
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このプライバシー権が侵され、監視の対象と自身が認識したとすれば、
「思ったことを口にすることに抵抗を感じる」ようになるはずです。
そうなれば、あなた自身があるがままのあなたではいられなくなります。
「言わないでおこう」が日に日に増えていき、生活すること以外の話題は誰にも何も話せないとなっていくのです。
したがってプライバシー権が無くなれば「個人」は消滅し、牧場の羊のように数でしかなくなるのです。
プライバシー権が侵されることで表現の自由も侵され、言論の自由も侵されることになるのです。
現代の言論封殺、言論統制は監視という手段でも行なわれています。
プライバシーという権利はなんのためにあるのかと言えば「”個人”を守るため」です。
プライバシー権は隠していることを暴かれない為の権利ではありません。
考えてみて欲しいのですが、あなたは、見ず知らずの人に自分の悩みを相談できますか?
自分の心にある主張や想いを、誰にも干渉されずに言葉にして表現するには、「自由に考える」という作業を経なくては表現できません。
その過程の中で、心の中の負の存在や権力などに目を付けられているという認識があれば当然、それらの存在に配慮した(不利益を被りたくない等の心理)、あるいは全く違う考えや結論を出していくであろうことは想像に難くないでしょう。
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個人のプライバシーは人間の尊厳に関わるものです。
社会に全く監視されるべきでないというわけではありません。
現実、世間体や他人の目を氣にするなんてことは普通にあることです。
子どもの躾に「お天道様が見てるよ」なんて言って物事を教えることは昔から行われていることです。
それを大企業やそれに操作される政府がテクノロジーをもって全てを監視するということは、大企業のもつ価値観が絶対となり各個人の持つ価値観を持つことが許されなくなるのです。
なぜなら、個人が独特の価値観を持つことで、食事を取れなくなる可能性や、自身が所得を得る手段に制限がかかるとなれば、大衆は自ら家畜に甘んじてしまう可能性が高いからです。
先日、誹謗中傷によってプロレスラーの方がお亡くなりになったとの報道がありました。
ご冥福をお祈りします。
メディアが報道している原因はSNSの誹謗中傷ということですが、真実はご本人しかわかりません。
許せないのは、この方の死を、死人に口なしと言わんばかりに勝手な推測からSNSの言論統制に利用している輩が存在していることです。
SNSを利用した国会議員の批判や拡散が相当に効果があるんだろうと読めますが、このように人の死を利用する非人道的なことをしているのが為政者です。
Twitterでも、ネットを含むマスメディアも同時に取り上げられたところから察するに、この件は先日の検察庁法案改正の時と同じ構図が見受けられます。
つまり、言論統制を行うための法改正に資金が投じられた可能性があるということです。
電通広告費
https://www.dentsu.co.jp/knowledge/ad_cost/2019/
2019年の官公庁の広告費の伸び率が圧倒的です。
細かいことはこのデータではわかりませんが、官房機密費のことも考えると国民に公開されていない予算が存在していても全く不思議ではありません。
プロレスラーがプロレスを盛り上げるためにヒール役を演じていたのでしょうが、プロデューサーや放送作家がそのように役割を割り振るということを知らなければ、本当に真に受けてしまう人もいるのだなと、本当に悲しい気持ちになりました。
そして、政府のみならずその死を利用して自らの利益を図ろうとする連中には心底虫唾が走ります。
もしこのブログを無関心層の人が見ているのだとしたら、お伝えしたいことがあります。
「テレビに出ている人は役割を演じているだけである」
ということです。
つまり、その人個人の考えを言っているわけではないということです。
芸能人はカメラが回るとき、芸能人という仮面をつけます。
極論を言えば、有名人はスポンサーからしてみれば広告媒体でしかなく、都合の悪い発言をすれば有名人側の仕事がひとつ失われるだけです。
私にとってこの事件は、ひとりの夢や目標を持つ女性が権力者と社会とバカに、もて遊ばれたといった印象を持っています。
私はこのような実直な方がそんな連中に虚仮にされて悔しいのです。
声の上げ方を知らない人もいるかもしれませんから一応書いておきます。
「地元の政治家に電話、FAX」
「政治家に手紙、はがき」
「SNS拡散」
「グローバル企業のような反社会企業の不買」
だけでも良いのです。
自分のできることだけをすれば十分です。
ひとりでも多くの人が自分自身と家族を守るために声を上げて下さることを切に願います。