「政策」は買うものである〜資本主義は政治システムの上に立つ〜


(間接民主制)民主主義とはその国の国民に主権が存在し、国民の投票によって代表者を決めるシステムです。

しかし、民主主義なのにもかかわらず一般国民にとって不利益な政策が推し進められています。


消費増税等の税金の税率の高さと項目、公共インフラの売却、移民の受け入れなど、虚偽と欺瞞を繰り返し、絶望を国民に与え続ける政権は「普通の生活」すら国民から取り上げています。

現政権というのは大企業にとっては最高の政策を通してくれています。


高度プロフェッショナル制度や外国人労働者の受け入れ、法人税減税、TPPやFTAなどのグローバル化、公共サービスの民営化や規制緩和など大企業からしてみればウハウハです。

こういった政策は大企業が望んでいることであり、また大企業が国会議員(与党)から「購入した政策」と言えるのです。

自民政権復帰後 献金最多に

政治資金も自民1強 企業献金の9割集中

自民党への企業献金


ご覧いただければわかるように彼ら大企業は一生懸命に与党に対し、献金をして業界の利益を図っています。

スーパーパックのあるアメリカに比べれば少額に思うかもしれませんが、日本の大企業並びに医産複合体が献金と引き換えに政策を購入していることは紛れもない事実です。



そして、大企業はお金を使いマスメディアに広告を出します。

マスメディアに取ってお金をもらっている取引先の悪口を言うはずはありません。

マスメディアの広告主に対する「忖度、配慮」が生まれるのはこのためです。



政権与党も官房機密費という領収書の必要ない予算があるのでこの資金がマスメディアに流れていないとも限りませんから、森友だ加計だと言っても、「寸止め」で報道が止まるのはこのためでしょうし、疑義が生まれて当然です。


国民は、我が国日本が「民主主義」という政治システムであると勘違いしているか、または、貨幣経済においては民主主義そのものがプリュトクラシー化するということを、全く理解していない可能性が極めて高いように思えます。


「政治家、国会議員は国民の為に動くのが当たり前」だと漠然と思っている人が大勢いるはずです。


だからこそ、国民は国会議員の批判をするのです。

しかし、政治家、国会議員にとっての国民というのは、


「献金をしてくれた人」


が優先順位の高い国民であって、その他の人は国民だけど「優先順位の低い国民」ということになるのです。

いくら国会議員を批判しても変わらないのはこのためでしょう。



この前提で考えると、安倍総理というのは献金をしていない国民から見れば戦後最悪の総理大臣ですが、大企業経営者、輸出企業、投資家、医療関係者からしてみれば非常に優秀で律儀な総理大臣だということになるのです。

こういったことを踏まえて、「政策は金で買うモノである」ということをこの記事では説明したいと思います。


民主主義と「貨幣経済」とは相容れない

前提として、まず「民主主義は貨幣経済とは相容れない」ということを考える必要があります。

なぜ相容れないのか?

それは、民主主義に限らず、社会主義、共産主義、軍国主義等の政治システムの”上位”に位置しているのが資本主義だからです。



つまり、いずれの国家がどの政治システムを採用していようとも、「貨幣」というものがある以上、また中央銀行制度が民間所有である以上は、あらゆる政治システムは資本主義を超えられず、有権者は「お金の多寡」で政治に対する影響力が変わってしまうということなのです。


だとしたら、「国民一人に平等に一票」という民主主義の政治システムは、平等に見えるだけで全く平等ではなく、むしろ不平等でかつ不公平、不公正な政治システムであると言えるのです。

民主主義の欺瞞がわかりやすく見える例です。



もう少し詳しく説明すると、貨幣経済を敷く民間中央銀行制度システムでは上位には常に通貨発行権を持つ金融機関が存在することになります。

お金を融通してもらわなければビジネスができない企業は金融機関に逆らえませんし、個人も同じように逆らうことはできません。



まして、我が国のようにデフレ(ここでは貨幣価値が高い状態を指します)という状態で且つ全ての取引に必ず「貨幣という価値単位」を用いる国家であれば、「お金が無ければ生きていけない」となります。



現実問題として政治、政策はお金で動くということであれば問題解決の糸口は見えてきます。

大企業や医療業界でなく一般国民、市民が権力を握るための方策を考えてみます。

一般国民が既得権益者から利権を奪うにはどうすれば良いのか?


マスメディアはお金で動く

以前にこういった記事を書きました。

マスメディアは「議題」を社会に設定する機関である

情報操作はなぜ起こるのか?〜メディアの構造と金の流れ〜

要するに「マスメディアはお金で動く」ということが解ります。



これまでマスメディアは基本的に「企業」がスポンサーとしてマスメディアの資金源となっていましたが、企業は「消費者」が資金源です。

消費者がスポンサーの商品やサービスを購入しなくなれば自ずと大企業は広告費を削ろうとします。



また、消費者が結託して組織を作りその組織が大企業よりも広告を出すということになればマスメディアはそれまでしていた大企業スポンサーへの忖度力が弱まります。

我が国の場合ですとテレビで広告を打つというのであれば、「電通」に広告費を支払うということになります。

その電通に大事なクライアントだと思わせることができれば、消費者にとって利益となる情報を報道してくれる「姿勢」にはなるはずです。



それでも大企業にとって不都合な情報は報道できないというのであれば、これは「マスメディアの構造」の問題、あるいは証明不可能ないわゆる陰謀論の領域となります。


マスメディアが動けば世論が動く

マスメディアは「議題」を社会に設定する機関であるに書いたようにマスメディアは「社会に議題を設定」します。

簡単に言うと、マスメディアが取り扱わないことは、いくら大変な問題だったとしても「社会問題にならない」ということであり、逆にマスメディアが取り扱うことは喩えどれほど小さな問題だったとしても「社会問題」となります。


例えばもっと大きく報道されるべき問題として、「新生児売買」があります。

特別養子縁組制度を利用した実質的な人身売買ですが、エンジェルフィー問題として一部で短期間報道されました。

【問題作】産んでくれたら200万円 -特別養子縁組の真実

「特別養子縁組」で子を授かった夫婦のリアル


特別養子縁組制度というのは、実の親との法的親子関係が消滅するということに特徴があります。

この制度を悪用すれば新生児売買は簡単にできてしまいます。


もちろん全ての養子縁組が人身売買であるわけではありませんが、上記のリンクの記事にもあるように書き方一つで「読者の印象」や「社会に対する影響」は変わってしまうということは理解しなければなりません。



他にも遺伝子組み換え作物のことや農薬、食品添加物、通貨発行権、TPP、移民、パソナ、水道民営化、抗がん剤、ワクチンなど挙げればキリがありませんが、マスメディアが報道しなければ世論形成に影響を与えられないレベルのポストトゥルース時代にある現実は、しっかり見据える必要があります。


マスメディアでなくても世論が動くのであればそのほうが良いのですが、拡散力ではマスメディアの力には及ばないことを考えるとマスメディアを利用しない手はありません。


このように、マスメディアが報道しないのはスポンサーの問題が大きいのでそこに偏向報道だ、公平に報道せよ、放送法を守れと主張したところでマスメディアがそれによって体質を変えることはないのです。

国民が組織し、金を出して「国民にとって有益なこういう報道をしろ」としない限り多少なりとも変わることは絶対にないのです。

他の問題にしてもテレビで報道されれば国民にとって有益な「プロパガンダ(政治的宣伝)」も行えるようになります。

その場合、不利益を被る人達というのは、支配構造の上部に現在いる人達、いわゆるエスタブリッシュメントです。



むしろプロパガンダなど必要がなくなる可能性すらありますが国民、市民が権力を持ったとしても時間が経てば腐敗するのだろうとは思います。



それはさておき、現在のマスメディアを観るような人達というのは基本的には「お年寄り」です。

と言いますか、マスを対象としているメディアがマスメディアですから、人口構成がお年寄りに偏っている現状であれば読者層、視聴層は自ずとお年寄りになります。

当然、この層が持つ選挙権としての影響力は政治家からすれば大きな票田であり無視することはできません。

だからこそ、お年寄りにとって有益な政策が行われ続けてきたし、若者にとって不利益な政策が行われてきたのです。



この層を動かすには、この「お年寄りのメディア」をジャックするか新規のマスメディアを作成、育成するしかありません。


お年寄りがどこで情報を得ているかと言えば、概ねマスメディアと口コミです。

それと、健康関連の媒体が大きなところでしょうか。

口コミのコミュニティは福祉施設や趣味仲間、仕事仲間など地元や住まいから近いところになるので、共通の話題が、「健康と近所の噂話、マスメディアの報道」になっています。



世論とはつまるところ、有権者の厚い層と政策を買いたい者の希望のことです。

その希望ですら誘導ではありますが…

兎にも角にも世論を動かすにはマスメディアを動かすことが重要であり、マスメディアが動けば自ずと世論は動いていくのです。


世論が動けば政治家が動く

マスメディアを動かし世論形成が進めば、有識者と呼ばれる連中がその世論に媚びるように言説を変えてきます。

その有識者の権威に合わせ政治家も言説を変え始めるのです。

その言説が世論ということになると政治家は票、支持が欲しいので自然と世論に迎合するようになります。

 

 

そして政治家が動けば国会が動き、国会が動けば法律が変わるということになります。

厳密には、一般国民が既得権益者から利権を奪うにはどうすれば良いのか?に書いたような流れで行う必要はあります。


現実問題、我が国のマスメディアはジャーナリズムではなく、現政権の広報という状態になっています。

ジャーナリズムは権威を疑い、権力に疑問を突きつける側面が非常に重要なことです。



ですが、我が国独特のメディア文化では、政府に都合の悪い情報を攻撃的に報道すると、取材させてもらえなかったりライバルを優遇されたりといった圧力をかけられます。

だからこそ記者クラブ制度や電通という広告代理店がいつまでも幅を利かせられる状態が維持されてしまうのです。

ましてや電通は自民党の広報ですし、戦後GHQの影響をかなり受けています。

情報操作はなぜ起こるのか?〜メディアの構造と金の流れ〜

日本の政治が良くならない理由-マスコミの真実



これでは、マスメディアが政権側についてしまうのも無理もないと言えなくもないのです。

マスメディア全体を非難しても特定のマスメディアを非難することはできないのです。

この状態を改善するには、国民が組織し、金を出して「国民にとって有益なこういう報道をしろ」といった要求をすることに加え、マスメディア全体が団結し協力し、マスメディアの将来に共通の問題意識を持つことで、「国民の為の情報、真実を報道する者である」と国民に印象付けることができなければ、既存のマスメディアは没落の一途を辿ることになります。


まとめ

まとめると、一般国民が既得権益者から利権を奪うにはどうすれば良いのか?に書いたことの全体像というイメージです。

私個人としては正直なところこれらを長い時間かけても厳しいと思っています。

その理由はマスメディアも「人間が運営しているから」です。

利益」、「構造」だけでは説明できない「」が産業にはあります。

これら以外に人間関係もあれば、共通の秘密、ポリシー、人脈、血統など様々な要因が相まって産業は構造化します。



とは言え、彼らが政策を購入してきたことは紛れもない真実です。

もう時間はありません。

このことだけは理解すべきでしょう。


雑談

先日以下のニュースがありました。

政府が明治維新150年を祝う式典 天皇陛下は出席せず

天子様は出席しなかったということです。


明治維新を引き起こした売国テロリスト集団の子孫が運営している我が国を、更に売国している連中に対して嫌気が挿したのでしょうか。

明治維新以後日本は戦争ばかりするようになり、第二次大戦で「戦争をしない国」として曲がりなりにも、戦争狂いの昭和天皇から引き継いだのが今上天皇ということになります。

天皇家の秘密

昭和天皇が戦争狂になった訳


因みに戦争資金は日本国民を外国に売却したり、敵対国の要人の所有する銀行から融資を受けたりもしていました。

そういった背景があるものの、安倍政権は安保法制を強行採決したわけです。

天子様が”健康問題で”譲位されると発表されたのは8月8日という原爆投下された日の間です。

象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば



健康問題が理由ではないんだろうと忖度したくなるところではあります。



最近はシリアで拘束されていたジャーナリストが開放され帰国したそうですが、ご存知の通り物議を醸しています。

安田純平さん「解放」と日本政府 シリアで拘束のジャーナリストーBBC



自作自演だとか、自己責任だとか、政府批判する人間だとか色々言われているようですが、私が一番思ったことが、

「日本人冷たすぎないか?」


ということです。


前提として、この安田純平さんが政府に批判的なフリージャーナリストで戦地で取材していたということだけで考えると、単純にこう思いました。

ジャーナリストが政府に批判的になるのはある種当然ですし、ジャーナリストとはそもそもそういうものです。

権威や権力を疑い、監視、追求、疑問を突き付け、それを一般国民、市民が報道から考える機会を持つという、民主主義の根幹と言える職業です。

国民の三大義務としての労働もしています。


日本国民である以上、ナショナリズムの観点から日本政府はどういった事情であれ日本国民を保護しなくては、国家は成立しないのです。

国民の生命、財産を守るというのは国家の責務です。


反論として「行くなと言われているのに行ったから悪い」というのがあると思いますが、もちろん行くなと言われているところにジャーナリストでない人間が遊びに行くのは問題です。

しかし、彼はジャーナリストですから真実を報道する義務がありますし、それはジャーナリストとして責務でもあります。行きたくなくても行かなければいけない立場だということです。

その報道は、全世界の人達に考える機会を提供してくれます。



日本人はあまり興味がないかもしれませんが、イスラエルとパレスチナの紛争は報道してくれるジャーナリストとメディアがあるから「知ること」ができるわけです。

Izzeddin NB

 

他にはこういった意見がありました。


国家政府に救われたにも拘わらず、詫びとお礼の一言も無し、その上迷惑だったかのような態度が問題」



日本政府は元々自己責任ということで助ける気は全く無かったの
ですから、この場合彼が礼節を尽くすべき対象は、カタール政府にでしょう。

日本国民が同じ日本国民を助けようとしなかったことは間違いない事実です。


他には、「迷惑だ」とか「身代金がテロ組織に渡った」といったのもあります。

誰かに迷惑をかけたことは事実でしょうが、誰にも迷惑をかけない人などいませんし、迷惑をかけながら人は生きてますし、生かされています。


お騒がせしました」ぐらいはポーズとして言うべきことぐらいは思ったことでしょうが、それを言ったらジャーナリストはお終いです。

彼なりの信念があるのでしょう。思想の自由がある国ですから批判しすぎるのも何かおかしな気がします。


身代金がテロ組織に渡った」という反論もいかがなものかと思います。

3億円程度の金額は、安倍総理が海外にばらまいた金額と比較したら微々たるものです。日本国民のために使われたのであればまだマシですし、先に出したのはカタール政府です。




話は変わりますが、イスラエルパレスチナ問題でイスラエル軍が空爆している兵器の調達資金はアメリカの支援で成り立っています。

アメリカは世界一の債務国でありながら、日本に財務省証券をいつまでも買わせ続けています。

間接的にではありますが日本人はパレスチナの無辜の民を殺戮する手助けをしているということになります。



他には、ヒラリーやオバマがISISを支援していたことは批判されるべきですが、この件ひとつをあげつらって身代金がテロに回ったという反論をしたところで滑稽でしかないのです。


大体、自己責任なんて言葉は、他人から言われる言葉でなく、「自分への戒め」のために使う言葉です。


それを簡単に他人に言うようになってしまった挙げ句、更に武士道を引き合いに出してまで非難する人もいるのですから日本人の劣化ぶりも相当です。


「自己完結、自己責任」とは、組織や国家などの共同体が機能しており、個人が個人としての責任を負えるインフラが整っていない限り機能しない概念です。




例えば、爆弾の雨が降るような国に生まれたとして、それを自己責任と自己完結という言葉で片付けられるのかということです。

本当に自己責任、自己完結と言うのであれば、そんなところに生まれてしまった「運の悪さ」も自己責任ということになります。



日本という豊かな国(今は途上国)に生まれて自己責任を他人に押し付けるというのは、これはおそらく経済成長していた頃の良い国という印象と残像が残った人間しかできません。

つまり、時代錯誤、平和ボケだということです。



とは言え、ジャーナリストという人種でもマッチポンプをする人もいれば、捏造する人もいますので彼に対する批判はわからなくはありません。

私は単純に、

同じ日本国民がとりあえず無事に帰ってきて良かった。恐ろしい目にもあったんだろうけどこれからも仕事を全うしてください。」

ぐらいです。


まして、スクープを取ってくれば祝福するけど仕事に失敗して税金が投入されたんだから謝れといった言説には流石に反吐が出ます。何のために税金払ってるんでしょうか。



昔の日本人はベトナム戦争で命をかけて取材したジャーナリストやカメラマン(沢田教一、石川文洋など)に自己責任などと言うことなどなかったはずです。

自己責任で生きていける人間などいません。

日本人は助け合い(同調圧力ではない)すら忘れてしまうところまで堕ちてしまったのです。

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