絶望を生きがいにしてこそ希望が観える

絶望を生きがいにしてこそ希望が観える

トランプとバイデンの選挙が一旦収束し、不正だなんだと様々言われています。

世界で一番民主主義システムが茶番であることを教えてくれる米国の大統領選挙に言及する意味などなく、シオニストとド変態が大統領という地位を奪い合うように見せるその様は、世界が終わっていることを再確認させてくれます。

韓国ではマスク不着用者に罰則が設けられました。

韓国・ソウル市 マスク未着用者に罰則へ=13日から取り締まり

科学とその権威の大半は資本に買収され、心ある者の叫びはこれまた資本に買収されているメディアによって掻き消されます。

日本の状況もひどいものではありますが、コロナに限って言えばまだマシな方です。

実際に一般人を警察が取り締まるオーストラリアのような国もある一方で、日本は「自粛を強制させようとする演出」程度に留まっていました。

法的根拠がないから当然ですが、それが利用され緊急事態宣言から緊急事態条項の憲法改正に繋げようという世論工作も垣間見えました。

コロナという舞台装置を使って世界中の庶民をテクノロジー超監視体制に同意させるという支配層の目的を指摘する言論人は有名どころでは皆無です。

Twitterやブロガーなどの一般人しかそれを指摘しないという状況は、「いつも通り」の流れに見えます。

後から、有名人が安全圏から指摘するような格好になるのです。それは今回の「大阪都構想の誤解を解く」でも顕になりました。

それまで、一般人を陰謀論者扱いする言論人とそのファンは、その時になればそんなことは気持ちよく忘れます。

マスコミを信じるな!」とか当ブログのようにマスメディアのプロパガンダや情報操作手法を発信している人達でさえ、「健康」に関するマスメディアの垂れ流すお粗末な情報を信じてしまっています。

マスメディアの情報は、情報としての価値はまったくありません。無価値そのものです。

見方を工夫してやっと役に立つかもしれない程度です。

ワクチンの注射針にRFIDが装着されているなんて話はマスメディアはしてくれません。

「新しい生活様式」が定着したら人間は終わる

そして、あらゆる自由貿易協定体制が一元化に向かい、FTAAPから新WTOを目指す財界の意向は、今後さらに加速するでしょう。

水も、土も、種も、空も、身体も、精神も、全て汚れて生きます。

「選択肢のない幸せ」を強要されるでしょう。

本当に挙げればきりがないほど、どこを取っても「絶望の未来」しかないように見えます。

この絶望に打ちひしがれて、言うことを辞める、考えなくなる、冷笑することこそ、彼らの思うつぼであり、またエンターテイメントです。

彼ら支配層は退屈なのです。

やりたいことは全て行い、ありとあらゆる快楽を経験した挙げ句、刺激を感じられなくなった不感症のようなもので、大衆の行動を見ていることが最後のエンターテイメントになっているのです。

なぜ、そう思うのかと言えば、「考えればわかる」という話です。

大衆を家畜としか見ていない人間が使い切れないほどの金を持ち、周りには従順な人間しか存在せず、自分の思い通りにならないことは何ひとつ存在しない。

ありとあらゆる快楽を経験し、刺激にも慣れ、もう何も楽しみがない、後は死ぬのを待つだけという状況になれば、なにか「楽しいものを探す」でしょう。

いずれにせよ、その前提で庶民が動かなければ良いようにされるだけです。

「絶望の未来」が見えている読者の方にお伝えしたいことは、「私達は終わりから始まっている」ということです。

最初から希望など誰かが設定するまやかしに過ぎないことが、顕在化しただけです。

最初から終わっているのに絶望もへったくれもあるかという話です。

いつも絶望を連れてくるのは、それまで信じていた「希望」ではなかったでしょうか?

この世界に期待して希望をもっても必ず裏切ってくれるのがこの世界の性格です。

ですが、一切期待していなかった喜びや嬉しさを時たま提供してくれるのもこの世界です。

実に天邪鬼な性格をもつこの世界を創造できるのは、自分自身の認識、解釈しかありません。

日頃から自ら考えるべきと言っていますが、それは結局は認識と解釈の問題です。

絶望こそスタートラインだと認識しておけば、なんてことはありません。

それともうひとつ、何があっても「自分自身のことは信じて」ください。

虚無主義の犠牲にはならないでくださいね。

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