今日は、毎年思い出す9月11日です。
どんな日なのかは言うまでもありませんが、この事件は私の人生に大きな衝撃を与えました。
せっかくなので当時の心境や周囲の反応を書いてみたいと思います。
当時私は、中学生でした。朝起きると今は亡き父が、テレビをつけ、茶を飲みながらじっとビルに飛行機が突っ込む映像を真剣な眼差しで見ていました。
いつもとは違う父を見て、「何かあったの?」と私が聞いて、「戦争が起こった」と言ったことを憶えています。
平和ボケ真っ只中の私は「ふーん」くらいにしか受け止められずいつもどおり学校に行きました。
テレビの映像を見てもまるで映画のようで現実感がなかったのでした。
学校に行ってみると、その話で持ちきりで「すごかったね」、「誰が犯人なんだろう」みたいな話ばかりでした。
1限の歴史講師は、テンション爆上げで「これは歴史に残る事件だ!これに比べたら他の殺人事件は小さい、小さい!」などとだいぶ問題のある発言をしていました。
案の定、その発言は問題となり軽く処分を食らっていました。
この教師は、なかなか骨のある講師で、「人生は戦い」と幼くアホな私達に諭してくれた先生です。
当時は人生は戦いだなんて言えば、講師なんて即刻クビだから絶対に言うなよと言いながらそのようなことを授業で言っていました。
少し話は逸れますが、私のいた中学校はとんでもない学校でありまして、私の3つ上ぐらいの代は警察車両が校門の前に常駐していたような学校で、校内で原付きを乗り回し、授業中に教室でタバコを吸うような生徒が溢れていたのでした。
学校行事で警察を呼んで話を聞くなんてときにも、体育館で全校生徒が警察に帰れコールをするという、映画にしたいような学校でした。
私の代になったときにはそれほどひどくありませんでしたが、多少の名残もあり基本的にはアホな生徒ばかりでした。
当時はテレビで「世界まる見え特捜部」なんて番組が流行っていてその放送があった翌日の話題は大体それというレベルで流行っていました。
911事件が勃発した数日後、ある友達がこう言いました。
「飛行機にビルが突っ込んでビルが粉々になったけど、この前見た世界まる見えの爆破解体に似てない?」
その友達はいわゆる不良です。
髪は金髪でしたし、タバコも吸っていました。
それを授業中に担任に言った彼は、無視されていました。
私もその意見には賛成でしたし、911事件の違和感はそれだったのかと妙に納得したことを憶えています。
その話を親にしても、「人には言うなよ」としか言われず、元々あった大人への不信感がさらに深まったことを憶えています。
それから、米国は自作自演の戦争に突き進むわけですがそれを見て何やらがっかりした感情が芽生えたのでした。
何に対してなのか、社会に対してなのか、国に対してなのか、世界に対してなのか、なんとも言えない感情が私の中で生まれていたのです。
この時点で911事件が自作自演であることなどまったく気付いていませんでしたが、不思議と「諦め」のような感覚がありました。
はっきり気付くのはだいぶ後になります。
実に恐ろしいことにこの世界はマフィアのような連中によって支配されている事実があります。
あまりにも悲しい現実ですが、それが事実なら受け止めるしかありません。
世の中の情報は、欺罔、欺瞞、誘導、搾取ばかりです。
信じれば騙されるはお約束のようになっています。
しかし、自分に学習する気があれば騙された分だけ学習できます。ある意味では学習の機会を与えられているとも言えるのです。
最終的には体力気力です。
そして自分の魂です。諦めるのも、続けるのもその人次第ですが、自分の心の声に蓋をしても幸せにはなれません。
多くの人は「安心」を「幸せ」と誤解しています。
お金があれば安心、知っていれば安心、働けていれば安心、偉い人の言うことを聞いていれば安心と、それを幸せという言葉に置き換えているのです。
安心は、幸せではありません。
安心は幸せの一部に過ぎません。
幸せは与えられるものではなく、与えるものです。
別に宗教ではありませんし、宗教について私はとてもネガティブな見方をしています。
誰もが幸せになりたいと意識的にも無意識的にも願いながら生きているのに、それを掴める人は意外と少数なような気がします。
そのために、藻掻いて、痛みを避け、奪って、快感を得ようとします。
現在の日本人は、危機意識の欠落を平和、安全という言葉に無理やり置き換えながら、自らの幸せと未来を殺しているように見えます。
これは「戦後」という言葉がイコール「平和」という言葉に置き換わったことと似ています。
そんな日本人がまともな国家を運営できるはずもありません。これは自明の理なのでしょう。
マスクひとつ自分で外すことができない悲しい民族です。
自らの行動を自らで決められないという、子どもばかりがそのまま大人になり、要職に就き、自らの利益をウィンウィンなどという言葉を使いながら図ります。
それが現在の日本の権力、支配構造の根幹と言えるものです。
この支配構造がある限り、自分で考えることのできない責任だけは取りたくないオトナコドモ達にいくら事実を告げようと、行動を変えることはないのでしょう。
彼らはルールが正しいか合理的か事実に即しているかは無関係なのでしょう。
見直しが進まないのも、マスクしない人を攻撃するのも、日本人の無責任さがそうさせているのかもしれません。
支配層がそんな彼らをメタバースの世界に送ったときに、向こうの世界に天国を用意していると思うのでしょうか。
必ずさらなる地獄を用意していることでしょう。
それを見て笑いながらヴィンテージ物のワインを飲む連中が大衆にパラダイスなど用意するはずがないのです。
私達を無駄飯食いとか脳幹付きのクソ製造機と認識している連中は、とことん大衆をネタに楽しもうとするだけです。
自分の未来は自分で掴みとるしかないのです。
それを理解できる脳みそがあるのなら、2秒後に運命は創られます。
「自己の内面に満足なものを持たない者ほど外物に憧れる」
安岡正篤
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