※当記事は2021年5月30日にnoteに投稿した記事です。
先日、悲しい事件がありました。
マスク着用で体育を受けていた小5が死亡「自己責任」巡り疑問の声も
大人が、児童にマスクをして体育の授業を受けさせることに何の違和感を持たないばかりか、責任逃れの主張をする学校側と教育委員会の態度は本当に狂っています。
①マスクがいわゆる新型コロナウイルスの感染予防になる根拠はない
②健康体の人間がマスクを着用することでの弊害は存在する
③教育者側が児童や保護者にマスクを着用させられる法的根拠もガイドラインも存在しない
マスク生活がもたらす健康リスク! 医師が教える「マスクシンドローム」の危険度
マスク着用にやっぱり深刻な弊害があると再確認される(ドイツの研究)
この3点だけでもマスク着用をすることに何の効果を期待できるのかと大抵の人間は理解できるはずですが、右も見ても左を見ても、マスク着用者で溢れかえっています。
では何故、日本人はこれほどストイックにマスク着用を励行しているのでしょうか。
いちいち考えるまでもなく、マスク着用など気休め程度にしかならないと常識で思う人が大半だと思いますが、外せない理由があるから、外せない、外さないのだと考えられます。
当記事ではこの辺りを考えてみたいと思います。
マスクを外さない理由
Ⅰ マスク着用をしなくてはならないと思う社会的原因
①マスメディアの影響
②専門家と称する分科会、医師会、医師などがマスク着用を(根拠も提示せずに)推奨した事実
Ⅱ Ⅰで、社会にもたらされた効果
①Ⅱの影響によって、社会的にマスク着用を事実上義務付ける「空気」が醸成された
②各企業がマスメディアの言説を真に受け、社内、取引先等でもマスクを着用するように指導するようになった
③マスメディアの議題設定機能という観点から、現在の社会全体の問題は、いわゆる新型コロナウイルスの感染予防であると、大衆にインプットされた
④マスク着用が感染予防目的とされたが、マスク着用それ自体が目的化した(マスク警察の出現)
Ⅲ Ⅱの効果によってマスクを外せないと思う心理が個人に形成された
①誰もがマスクを着用しているから、自分だけ外せないという周囲の目に対する恐怖
②自分だけがマスクをしていないことで想起される周囲との摩擦や衝突の回避
③「他者と争いになりたくない」「マスク着用をしないことで不利益を被りたくない」という意識によるマスクの着用
結論
「大衆は臆病である」という結論が導き出される。
何故なら、マスメディアに出演する医師達は、マスク着用による感染予防の効果の根拠を提示していないのだから、マスメディアの「報道エンターテイメント」の影響力によって形成された、社会に対する幻想と言う他はないのである。
この幻想、幻影によって感染予防対策と称する、あらゆる施策が行われ、倒産、廃業、経済苦による自殺、個人間の紛争、大衆の分断等が発現した。
大衆は、マスメディアが繰り返し報道する感染者数(陽性者数)や個人間、飲食店と個人との間でのトラブル、ピーチ航空のマスク着用トラブル(狂言)などから「マスクをしないこと」が、個人の不利益ないし、他者への迷惑、トラブルの原因と認識するようになった。
「マスクをすること」が自らの利益を守り、不利益(村八分、仕事の減少等)、トラブルを回避できる可能性が高いとの認識から、大衆はマスクの常時着用(自宅は除く)を行っているのである。
反論①
マスク着用による感染予防対策の根拠は存在する

上記の記事は正しく「専門家」が書いたであろう記事である。しかしこの場合、”専門的に”マスク着用による予防効果とマスク着用による弊害、不利益、悪影響等も比較検討しなければ、専門的知識を持たない一般人が判断するために必要な情報とは言えない。
上記の記事に対する反論も専門家の間では当然に存在する。
新しい研究結果:マスクはコロナの感染拡大防止に効果なく、むしろ有害
日本人の専門家、権威に特徴的なのが自説に対して反論を用意しないことが挙げられる。
また、日本の医師には製薬会社からのリベートが様々な形で浸透していること、ヘルスケアリートに見られるように、医療がビジネス、投資商品として存在していることを踏まえ、上記の「新型コロナ マスク着用による感染予防の最新エビデンス」にも一定の警戒は怠るべきではないと考えられる。
余談ではあるが、上記の記事の信頼性担保のため、執筆者の「忽那賢志」氏が製薬会社から受け取った金額を確認しておく。
2016年度


反論②
マスク着用を行っているのは周囲に対する恐怖や不利益を避けるためではなく、「新生活様式としてのマナー」、「周囲に感染させないための思いやり」、「感染予防対策」である
新生活様式マナーとしても、思いやりにしても感染予防対策としても、すべてにおいて根拠不明確であり、マスメディアがスポンサー、株主等のステークホルダーの意向を忖度し、あるいは指示、要請を受け放送した情報に過ぎない。
仮に、マスク着用が思いやりであるならば、マスク着用者によって不快になる人間がいることも議論される必要があるが、そのようなことは一切ない。
また、様々な事情からマスクを着用できない人間もいることも忘れてはならないが、そこは当然のように置き去りにされているのが現実である。
以上。
と、限定された情報だけでもこのような推論はできます。
もっと多くの根拠を出すこともできますが、材料が多くなればなるほど、議論が散らかってしまうのでこの程度に抑えました。他の情報は過去記事を参照してください。
この論をどう考えるかは読者の自由ですが、いずれにしても根拠薄弱な感染対策としてのマスク着用議論を支持し、実践し、その弊害についての議論を無視したことによって引き起こされたのが今回の事件であるという認識だけは持っておく必要があると思います。
子どもが死ぬまで何も変えられない、死んだら死んだで、その責任を子どもに転嫁する教師や教育委員会の愚挙は歴史に残るのではないかと思うほどです。
日本にいる大人の愚劣さ、下劣さ、下衆さはオルテガの言う大衆そのものだと感じるところです。
私達大人が、判断能力の希薄な子どもにマスク着用を強いた上に、マスク着用を褒め称える教育をしている状況で、子ども達自らマスクを外すことなどできるはずがありません。
大人が子どもを善意で痛めつけ、挙げ句殺してしまう現実は今に始まったことではありませんが、子どもに勇気を与えるのは大人の責務です。
その大人が社会に対して臆病になりすぎていること、それがこの国を戦後作り変えた占領政策の骨子であると私は理解しています。
このバカ騒ぎの終結、経済テロへの抵抗は痛めつけられている者が団結して言論と平和的行動で行ってほしいところです。
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