15日は何事もなく、軍事パレードのみで済みました。
本日16日にはミサイル発射失敗か?というニュースが流れ、とりあえず良かったと思っています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170416/k10010950171000.html
記事削除済み
とは言え、社会を観ていてこのピリピリした感覚が日本国民全体に共有される日はもしかしたらこないのではないかと感じています。
昨日の記事でも書きましたが、日本国民の大多数は危機を感じることができません。
実際に自分の身に危険が生じるイメージができないということです。
実際に自分の身に危険が生じるとは、目の前でナイフを突きつけられるような「恐怖感」です。
私は、過去に日本国内で実際にナイフを突き付けられたことがあります。
とんでもない地域に住んでいたなと反省しましたが、これが正しく「平和ボケ」なのです。
その地域のことも調べずなんとなく「大丈夫だろう」と思い、そんな目に遭うとは完全にアホです。
ですが、頭の良い人はしっかりできるでしょうが、社会は頭の良い人ばかりではありません。
むしろ私のような頭の悪い人間の方が大多数のような気がします。
その大多数が現実を理解するためにはどうしたら良いのでしょうか?
この記事では「大多数が現実を理解する為の方策」を考えてみたいと思います。
大衆は真実に興味がない
まず大前提ですが、GHQに洗脳された大多数の日本国民は、国家観がありません。
更に、真実に興味が無いのです。
ジョン・レノンが言った、
「大衆は砂糖をまぶしたような歌が好きなんだ」
という言葉は本当にその通りだなあと感じます。
いくら正面から真実を説いても、
「へーそうなんだ」「怖いね」「物知りだね」「それを知って何か良いことあるの?」「ところで次の連休どこ行く?」
となるのが関の山なのです。
つまり、通常、社会で知らされていないショッキングな事実を告げてもショックを受けないようにプログラムされた人間が多いということです。
この
「国家観がない(国民意識がない)」
「真実に興味がない」
ことを前提に考える必要があるのです。
ではどのような対策が考えられるのか?
まずひとつは
「バカにしてあげて、笑ってあげること」
が効果を発揮します。
自分がすごい嫌な奴になってしまうのですが、仕方ありません。
例えば、日常会話の中で、いわゆる国の借金問題の話題に誘導したとします。
相手は財務省の論理を繰り広げることでしょう。
ここでついつい、事実を説明してあげるというミスを犯しがちですが、ぐっと我慢し、「心の底からバカにしてあげる」のです。
とか、ポイントは本気でバカにすることです。
すると相手はポカンとするかイライラして怒り出します。
そこで、「じゃあ自分で調べてみなよ」と一言言ってあげれば良いのです。
しかし、これは非常に勇気のいる行動です。
このブログを読む人は、間違いなく優しい心を持っている方です。
何せ国家の未来を考える人なんですから。
心に優しさがなければできないことです。
しかし、優しい人には非常に勇気のいる行動です。
相手との関係が一度「壊れる」可能性もあります。
きっとこれまでは優しくわかりやすく説明してあげていたという人が大半のはずです。
ですが、やってもやっても、相手に響かないということに気付いてしまいます。
それならばやり方を変えるしかありません。
「自分が悪者になる覚悟を持つ」
ことです。
相手に悔しい想いをさせて、見返してやろうと自分で調べるように誘導してあげれば、結果としてそれは相手のためになることですし、我が国の為になることです。
悔しい思いをした相手は、あなたを見返すためにどんどん「社会の事実」を調べるようになるでしょう。
あなたは、見返す対象になり嫌われるか、ただただムカつかれるかだけです。
見返そうとしてくる人間と、ムカつくと感情だけ出して、自分と関わらないようにする人間と大きく分けて二つの行動パターンがあると思います。
見返そうと努力してきた相手には後に「実はこういう理由があったんだ。ごめんちゃい」とでも言っておけばいいのですが、「関わらない」という選択をする人間はどうしようもありません。
関係が断絶するだけですし、私個人は気にしない方ですから大丈夫ですが、気にする人も多いと思うのです。
しかしそんな人には、
「大事な人のために嫌われる覚悟も持てない臆病者」
という言葉知るべきです。
「大事な人のために、その大事な人をバカにする」
すごい矛盾に見えますが、この活動は「大多数が現実を理解する為の方策」という目的がありますので致し方ありません。
相手に骨があれば、それは中長期的には相手のためになることです。
関わらなくなったのなら、それまでです。
元々、自分と釣り合う器量を持った人間では無かったと認識すべきです。
そもそも我が国では国家を考える事自体、「狂っている」という扱いを受けますから今更気にすることもありませんね。
有り体に言えば、相手の「悔しいという感情を煽る」ことです。
重要なことは絶対に相手の土俵に乗ってはいけません。
相手の土俵にのってつらつら説明をしてしまうと、その話は恐らく平行線か、「よくある反応」しか引き出せません。
非常に勇気のいることではありますが、
「真の善は悪に見える」ことはご存知のはずです。
私は以前、この方法を使って多くの友人を失いました。
見返そうとしてきた骨のある人は2割ほどです。
ここでもパレートの法則があるのかと嘆いたものですが、関係が切れた相手も後々、復活することもあるのです。
相手を強くするには自分がそれ以上に強くなくてはいけないんだと実感した出来事でもありました。
私の地元の評判は最悪であることでしょう。
さしづめ、「愛想の良いクズ」とでも言われてそうです。
別に、他人に好かれるために生きてませんし、真に私を理解してくれる人が数人いればそれで十分に幸せですから、何の心配もすることはなくなりました。
私は「正の心理操作」と勝手に名付けて実践しています。
いきなり本当のことを言うと相手は”引く”
なにしろ、国家観もなければ真実に興味が無い人が相手ですから、いきなり本当のことを言っても、
相手から「ネガティブな人」とイメージされて終了です。
だから、先ほどの方法を使った上で、”本当のことを小出し”にする必要があるのです。
ブログのような媒体であれば、”いきなり真実”でも良いのですが対人関係であればそうはいきません。
ではなぜ、いきなり本当のことを言うと引かれて終わるのか?
それは、相手に、
「心の準備」
がないからです。
ある意味で人間をコンピュータと考えるとわかりやすいのですが、アメリカに脳を
”プログラミングされた”と考えれば、
「大多数が現実を理解する為の方策」とは、
そのプログラムを少しづつ消して書き換えていく作業であるということです。
コンピュータのプログラムをいきなりパッと書き換えると正常に動作しないことはよくあることです。
ソースを書く時はバックアップと変更を確認しながら、書いていくことが基本であると教わります。
人間とコンピュータの違いは”感情”の存在です。
だからこそ、感情に訴えることでプログラムを書き換える入り口になるのです。
「心の準備」をさせてあげることは、これはひとつの「思いやり」だと私は思ってます。
本当のことを教えるのは這い上がってきた骨のある奴だけ
ここまで見て分かる通り、「本当のことを」伝えても、伝わらないということがたくさんあるのですから、本当のことを伝える相手を、「選ぶ」ことが労力と効率の面から考える必要があります。
一言で言えば、
「知りたい人にだけ教える」
ということです。
心の準備ができてない人に教えても、あなたのイメージが下がるだけです。
関係を絶った相手は考えようともしません。
つまり、言うだけ無駄で損であるということです。
この活動は損得で考えるべきではないことは重々承知ですが、時間は「有限」です。
また、この人に言われたことは信じられないけど、この人に言われれば信じられるということが、人間社会ではよくあります。
相手とするターゲットの信用している人間を抱き込むことで
、相手の「心の準備」をも作り上げ、また本当のことを言ってくれる存在にもなります。
そうなれば非常に効率的ですし、労力も半分以下に抑えられます。
これが全てではありませんがこのような工夫を凝らすことで、少しづつ「現実を理解してくれる人」が増えていくのではないかと考えています。
まとめ
大衆は真実に興味がなく、国家観もない
相手をバカにして、悔しいという感情を煽る
大事な相手のために、嫌われる覚悟を持つ
相手に心の準備をさせる
事実は知りたい人だけに教える
となります。
しかし、今はもう時間がありません。
こんな悠長なことを言っていては…とも思っていますが、現実問題今すぐに日本国民全体に現実を理解してもらうことは不可能です。
とにかく今できることをやるしかありません。
死ぬ前に後悔しないために。我が国を守った先人のために。
私はこのように考えています。