先日の台風15号で千葉県は長期的な停電、断水、など南部の方は未だに辛い状況が続いているようです。
金曜日の22時頃に鋸南町の役場に物資をもってお伺いさせていただきましたがあまりにも、本当にひどい状況でした。
私自身も台風が関東に上陸した月曜日は朝5時から仕事をしておりあまりにカオスな状態での仕事でしたが、それすら千葉県に比べれば軽いものでした。
電気、水道、ガス、物流などのインフラは国民生活の根幹をなすものですがそれが長期的に停止する、復旧しない、なによりそういった想定をしない国家運営は一言で言えば「怠慢」であると言えます。
防災対策に投資をしていればこのような事態にはならなかったわけですが、公共投資悪玉論を展開した学者や知識人、いわゆる国の借金問題を創作した財務省、それを煽ったマスコミ、それを支持した国民全員がこの人災を引き起こしたのです。
「既得権益」「バラマキ」などの言葉が絶対悪とされているのはなぜか?
こういった公共事業悪玉論を展開した学者や知識人、役人などは「専門家」、「お上」としての権威を背景にその論説をたれ流したわけです。
そのため、現実に専門家が主張したことで社会が動き、国民にこの被害がもたらされました。
ところが、この現実は、専門家のどの立場から主張するかによって「正しいこと」となります。
例えば、公共事業悪玉論を展開した連中が最初から国民生活のことを考えていなかったという前提に立って考えれば、彼らは正しいことをしたことになります。
この連中の”正しいこと”というのは、その時マスコミでこのように話すことで対価が生まれるとか、ポストを与えられるとか、研究資金を貰えるとかそういった利益を得るための活動のこととなりますから、自身の言説によって国民が被害を被ろうがそれは、”自身のビジネス活動の範疇の外”という論理が成立します。
「私はその時すべきことをした」と言えるということです。
そこに責任は存在しません。
これは専門家は責任を取らなくていいという立場だと言い換えることもできます。
これまで、”しっかり”と責任をとった専門家はどのくらいいるでしょうか。私の記憶にはほぼありません。
今回の日米FTA(日米貿易交渉)についてもそのように観えます。
れいわ新選組はポーズではトンデモ法見直しと言いその中でTPP反対という公約を掲げながら日米FTAには反対しないとしています。段々と山本太郎もめくれてきたと感じます。
また、そこに関わる経済評論家(経済の専門家らしい)らしきひとですら日米FTAの為替操作禁止条項によって発生しかねない危険性(独自の国債発行、独自の消費税増減)をデマと決めつけています。
また始まったかとも思いましたがこの手の輩はいつでも存在しますから、せっかくなので当記事の題材にしたいと思います。
以前にもいましたが(まだいるのかな)株主資本主義の批判をしておいて「アメリカのいないTPPならやればいい」と言った経済評論家や新幹線と同時運行を行う東海道リニア建設に賛成した大学教授もおりました。
東海道リニアは確実に採算が取れないのでいずれ役員が変わりコストカッターが採用され外資に売っ払われることになるでしょう。
以前に以下の記事を書きました。
この記事には書いていないことを書きたいと思います。
楽観的観測、誘導
まず前提として、政治に関わる専門家は常に「ビジネス」として活動しているということを踏まえてください。
ビジネスである以上、専門家が行うこととして自身の発言ひとつひとつが利益に直結します。
なぜ、日米FTAの為替操作禁止条項で日本独自の国債発行ができなくなる可能性が現実に存在していてもなお、デマと言い切れるのか?
いくつかありますが恐らく私は以下の理由からだと推測しています。
「現実にデマじゃなかった時に責任を取るつもりが全く無いから」
(公開資料に書いてないから(その時点でソースが無かったから))と後から言い訳できる
「広まった言説に逆張りしておいたほうがビジネスになるから」
(対立構造になれば注目を受ける。結果、その言説を見る人が情報の真偽にこだわり行動がしづらくなる。)
「現実に経済政策の主権を奪われる事態になったら自身の仕事である経済評論は意味をなさなくなるから」
「経済のことしか知らないから」
「複合的に考えていたら陰謀論とレッテルを貼られる可能性があるから」
「公開資料のみを言説の根拠とするから」
「元々、楽観誘導、分断がミッションである立場の人間だから」
これらのどれか、あるいは複数なのでしょう。
素直に現実を見れば公開されている情報だけでリスクを考えることなどあり得ないことです。
そのリスクの可能性があるならば、「その可能性もあるので注意すべき」と言えば良いものをあえて「デマ」と言い切る理由はこの辺りにあるのかと考えられます。
この手の言論人が「陰謀論に与したくない」とよく言うのはビジネスにならないからです。
結果、楽観的観測、誘導が行われるのです。
政治問題は”専門”家にはわからない
ご存知の通り、政治の主たる目的は「国民の生活」です。
しかし、政治とは、経済はもちろん、金融、軍事、外交、食料、医療、教育、宗教など数え切れないほどの「要素」があります。
こういった場合、「経済の専門家は軍事のことはわからない」、「食糧の専門家は経済がわからない」といったことが起こります。
だからこそ、政治問題はジェネラリスティックに考える必要があるのですが、専門家は大抵の場合どこかの利益集団の代弁者となります。
本人に自覚があろうがなかろうが専門家は”利用されるもの”ですから、どうしても利益集団が利益確保のために利用するのです。
つまり、専門的に正しいことが必ずしも国民生活にとって正しいとは限らないということになります。
あちらを立てればこちらが立たずと言えばわかりやすいでしょうか。
リスクを考える上では複合的に考えなければならないのは言うまでもありません。
しかしながら、専門家は複合的に考えていたら大学教授などのよっぽどの権威がなければ専門としてのブランドが下がります。自分の価値を落とすことになればビジネスになりません。
また専門家は”専門的”に自身の主張が正しいことを教科書、公開資料を元に主張し続けます。
公開資料はあくまでも「公開できる範囲の資料」なのですがその奥の公開できない情報も確実にあります。
その公開できない情報の考え方は、先例や他の情報を元に推測するしかありません。
その推測を陰謀論とかデマと決めつけるということです。
相手が米国ということは米軍基地の数、地位協定、日米合同委員会、CSIS、CIAなどの情報を踏まえれば日本は軍事的には抑えられていると言えますし、それらを加味しない自由貿易協定の考察などあり得ないことです。
もっと言えば、平和ボケです。
したがって、専門家には政治問題はわからないのです。
まとめ
専門家と言われる人間はその専門で飯を食う人間です。
そもそも全体を考える立場の人間ではないのです。
誰の話を聞いても結論を出すのはあなたですが、あなたの良心に従って自分の頭で考えてほしいところです。
他の方も主張されておりますが今回の日米FTAは為替操作禁止条項で経済主権が完全に剥奪される危険性だけではありません。
健康保険の廃止の可能性、ゲノム食品問題、5G、薬価制限、労働環境、などなどあらゆることが問題です。
TPPでは24分野と言われていましたからどれかに特化することなど考えられません。
TPPはだめだが、FTAは良いとか、RCEPは駄目だがFTAAPは良いとかといった言説はあり得ないのです。