デフレとは最悪の経済環境です。
戦後デフレに陥った国は我が国日本しかありません。
それも20年以上もデフレから脱却できないとは何故なのでしょうか?
我が国は世界恐慌や昭和恐慌を経験しています。
その時と同じことをすれば良いのでは?と普通なら考えます。
しかし、20年以上もデフレが維持されています。
その理由や背景とは何なのでしょうか?
この記事ではその辺りを考えてみたいと思います。
どうしてもデフレを継続させたい者達
目次
デフレを継続させることで利益を得られる者は誰でしょうか?
かつて克服したことがあるにも関わらずあれこれ理由をつけて20年間デフレを脱却できないという結果は、ワザとそうしているか、構造上できないのか、本当にバカなのかしかありません。
デフレを継続させて利益を得られる人間とはどういった立場の者でしょうか?
それを考えるにはまずデフレーションを考えなければいけません。
デフレとは、様々な側面がありますが、以下の特徴があります。
通貨の価値が上がり、相対的に物の価値が下がる(物価が下がる)
需要が不足し、供給が過剰となる
失業率が上がる
賃金が下がる(所得の縮小)
国内の企業が投資を減らす
国民に不満がたまる(ルサンチマンが醸成される)
他にもデフレを原因として発生することもありますが主に目立つ特徴はこんなところです。
さて、これらを継続させることでメリットを得られる者は誰でしょうか?
通貨の価値が上がり、相対的に物の価値が下がる(物価が下がる)
ひとつ目の「通貨の価値が上がり物価が継続的に下がる」ということは、
「デフレになる前から持っていたお金の価値が何もしないでも高まる」という意味を持ちます。
例えば、96年からデフレは始まりましたが、この時点で1000万円持っていた人は100万円の物を10個買えたことになります。
96年以降物価が下がり続け、その100万円の物が半額になったとしたら、何もしないでも元々100万円だった物が50万円になり、それを20個買えるようになったということになります。
お金の価値が上がり、相対的物の価値が下がるとはこういう意味です。
つまり、デフレになった時点でお金を持っている層はデフレのままの方が「都合が良い」ということになるでしょう。
個人が自分の都合だけで考えれば、デフレが継続した方が良いと判断するのは当然です。
また富裕層は個人的にも、関わる企業を通しても政治献金をします。
政治家がお金を貰えるならどこへでも行くというのは、言わずと知れた常識です。
もしかしたら、デフレ脱却を本気で考えない理由はこういったところにもあるのかもしれません。
現にアメリカは政治が金と暴力で買われてきました。
需要が不足し、供給が過剰になる
この特徴は物余りで供給している分の需要がないといった状況です。
当然、売れ残ります。
売れ残るから、何とか売れるようにと価格を下げます。
価格を下げることで、企業の利益が減少し、従業員を雇い続けられなくなっていきます。
経済学では供給すれば需要ができるといった考え方をします。
セイの法則と呼ばれるものですが、こんなことあり得るのか?とコンサルタントになるための勉強をしていた時に非常に疑問に思ったものです。
そもそも経済学は物々交換を前提としていますので、「お金」に対する認識も、「中央銀行」に対する認識も間違っているように思えます。
新自由主義の看板経済学者であるシカゴ学派の長、ミルトン・フリードマンが世界中に影響力を与えていたのも、80年代くらいからです。
我が国はこの20年間、デフレ下で規制緩和という供給を増やす政策、民営化という供給を増やす政策、緊縮財政というインフレ対策を行ってきました。
何が言いたいのかというと、
「新古典派経済学の影響力を発揮する為の作業あるいは、ケインズ派との力学」
である可能性があるということです。
有り体に言えば、
「新古典派経済学が、経済政策として正しい間違っているに関係なく、権威と影響力を獲得するために
活動している可能性がある」
ということです。
新古典派経済学は現実を説明する学問ではありません。
社会科学でもありません。なにしろ証明できるのは紙の上の数式モデルですから。
そもそも20年以上もデフレを脱却できない学問にすがる意味もわかりませんし、デフレを脱却できなくても彼らは「長期的にはセイの法則(完全雇用)は成立している」と言えちゃうので、真面目に話を聞く価値は無いですし、あるとしたら「騙しの手口」として観れば参考にはなります。
経済学者は、結果としてデフレを維持することでメリットがあるのです。
国内の企業が投資を減らす
96年以降、企業の設備投資はこれだけされなくなりました。
デフレ期に設備投資をするということは、中小企業などの場合「儲からないのに投資をする」という意味に近い状態となります。
企業経営者としては、合理的な判断となります。
しかし、国家全体で観た場合、企業の設備投資が減るということは、GDP(国内総生産)が減ることと同じです。
例えば大量に商品を生産しようと工場を作る場合には、企業は工場を作れる業者に発注をします。
この場合、工場の建設を請け負った企業は工場の発注者から代金を貰うことで所得とします。
工場建設を請け負った企業が儲かることで、よっぽどがめつい経営者でなければ、従業員に配分されます。
それは従業員の所得として計上されますし、名目賃金として計算されます。
お給料を貰った従業員は消費者として、物やサービスを購入します。
これはそのままGDPとなるのです。
GDPは生産、支出、所得(分配)が必ずイコールになるのです。
これを「GDP三面等価の原則」と言ったりします。
つまり、企業の設備投資が減少すると誰かの所得も減るということです。
また「誰かの消費は誰かの所得」と言えます。
デフレ期に節約は悪なのですが、民間が合理的な判断をした結果節約するというのは致し方ないことです。
政府はお金を使ってもらいたいけど国民は逆のことをします。合成の誤謬と言われるものです。
だからこそ、需要がない時は政府が消費や投資としてお金を使い、需要を創出することが求められるのです。
話を戻します。
企業が設備投資をしないことで、全体の所得が下がります。
企業はこの場合、利益を追求する姿勢を経費削減に向けるため、基本的に人件費は低く抑えようとします。
そして、株式会社は上場している場合、通常株式市場からその企業の株式を購入できます。
その株式を購入しているのは誰なのか?
現在の株式市場の取引の7割強が「外国人」です。
外国人投資家にとって日本の企業に投資する理由はひとつしかありません。
「短期利益(配当)の最大化」
この目的を達成させるためには、コストカットを経営者に求め、人材開発投資や設備投資をできるだけ削ろうという発想になってきます。
「短期で利益を出す」には、経費削減を勧め、法人税減税が行われるように政府に圧力をかけなければなりません。
正に「経団連」はそれを行っています。
振り返ってみて欲しいのですが、「法人税が減税される時というのは必ず、消費税が同時に上がる」のです。
所有と経営の分離という論理上、企業は投資家のために働きます。「従業員は費用でしかない」というのが彼らの認識です。
端的に言えば、外国人投資家が日本の株式市場に参入するようになり、企業が株主の言うことに合わせた結果、従業員の賃金は低く抑えられ更に消費増税で消費も減らし、企業の設備投資や技術開発投資等の中長期投資は行われず、全体の所得が減り、一方で外国人投資家の配当が最大化したということです。
これが「株主資本主義」というものです。
この場合、外国人に関わらず投資家やそういった企業の経営者はデフレを継続させるメリットがあるということになります。
経営者としても、全体の売上を上げて利益を増やすよりも、コストカットで利益を出すほうが簡単に結果を出せますので、株主には良い顔ができますし、継続してそのポストに居座ることができるようになるのです。
国民に不満がたまる(ルサンチマンが醸成される)
ここまでの説明で分かるように、デフレ下での一般庶民の生活は、困窮あるいはそれまでより苦しくなっていくということになります。
いくら働いても給料が増えないばかりか、むしろ長時間労働で残業代も支払ってもらえない、自分は能力が低いのか?こんな状態で結婚できるのか?どうしてこうなったんだ?
「自分がこんなに苦しいのは政治が悪いからだ」
となっても仕方がありません。
実際悪いですし、個人の努力もレベルがあるということを考えたら限界がありますし、「強い者」しか生きていけません。
その強い者とは誰か?
主に「権力者」、それも叩きやすい権力者となるのです。
この場合の権力者とは「特権を持つ者」も含みますから、政治家や富裕層、企業経営者に限りません。
例えば現在の「嫌韓」の雰囲気は一勢力が火付け役になったこともありますが、仮に景気がよく、日本国民が在日韓国人以上に豊かになっていれば、ほとんどの人は気にしないはずです。
バブル時代にも生活保護の不正受給はありましたが、一切問題になっていなかったのです。
在日韓国人の悪行の数々を知れば憎しみや憎悪が醸成されても仕方ないですし、それ自体問題だとも思いますが、問題の本質はそこではないはずです。
嫌韓に視点を集中することで、他の大事な部分が見えなくなることもありますし、メディアは大衆を誘導するためにはなんでも利用するのですから嫌韓に誘導されることは、騙されていると認識すべきことと考えたほうが良さそうです。
他には、いわゆる「既得権益」、「公務員」を叩いたり、政府が金を使わないように緊縮財政に賛同してしまうのは、「自分達も生活が苦しいのだから政府も苦しむべきだ」という発想からです。
もっと言うと、「自分にとって節約が善だから、政府も節約することが善」となるのです。
そのことが後々自分の首を締めるということは考えません。
このような心理状態になると
「敵を設定したマスコミのプロパガンダ」
には簡単にハマります。
つまり国民のルサンチマンを煽っておけば、国民を誘導しやすくなるという事態になるのです。
事態と言っても、マスコミや、マスコミを利用する政府や企業からしてみれば、これは大変ありがたい状況です。
国家全体が経済成長しないといっても、その立場の個人の所得は基本的に大衆よりも高いわけですから、誘導しやすくなった方がメリットとなります。
国民のマスコミに対する信頼がなくなっても、マスコミからしてみれば
「3S報道でお茶を濁しておけばそのうち忘れるだろう」と考えるに決まっています。
これまでがそうでしたし、今更マスコミに自浄作用を期待するほうがマヌケです。
財務省一強の構造
かつて財務省にここまでの力はありませんでした。
その理由は、財務省以外の省庁も独自の財源を持っていたためです。
国土交通省の「道路特定財源」が財務省に取り上げられた例が代表的です。
これで国土交通省は5兆円もの財源を奪われました。
現在は、財務省に予算決定の権限が実質存在しているために政治家としては地元に仕事を持ってくるとか、地元に貢献するためには、財務省に媚びを売るしか方法がありません。
財務省に嫌われたら予算をつけてもらえないと考えたら、政治家としては自分の政治生命に関わります。
だから政治家も消費増税や公共事業叩きなどの緊縮財政路線に賛同していくのです。
それが国民のためになるかどうかなど関係なく、政治家は政治家個人の人生の為に政治家をやっているのですから、期待するほうがナンセンスです。
国民はもちろん政治家にも国家観のある政治家はそう多くありません。
また、そのような屈強な政治家がいたとしても、今政権を担っているのは自民党です。
その党内で、総理大臣の言うことに逆らうとなればその政治家は「公認を取り消される」ことになるので、わざわざ自分の政治生命を懸けて正しいことを言う政治家などいるのかって話にもなります。
他には中選挙区制が小選挙区制になってしまったことも、取り返しのつかないことです。
中選挙区制では、同じ選挙区の中で全く違う意見の政治家がどちらも当選するということがあり得たのですが、今はあり得ません。
この制度を決めたものからうるさい者を排除できる画期的な選挙制度となるでしょう。
その小選挙区制で当選した政治家は絶対にその選挙制度を変えることはしません。
自分の首を締めるだけとなるわけですから。
選挙制度を変えるというのは、致命的なのです。
話がそれましたが、現在の財務省一強の体制が崩れない限り、緊縮財政路線も継続しますし、日経新聞のまるで財務省の機関紙と言えるほどの報道も変わりません。
財務省について過去に詳しく記事を書きましたのでよろしければご参考ください。
国民の無知
国民がこういったことに気づかない限り現在の政治の路線は変わらないでしょう。
Google Trendsというサイトがあるのですが、このサイトでは、
「今、Googleで検索されているキーワードは何か」ということを教えてくれるサイトです。
上位から観てみると、見事に「3S」ばかりが検索されています。
これが我が国の現状なのです。
これではやりたい放題されても仕方ありません。
見事に愚民化した日本人を変えることは容易ではありません。
恐るべきGHQ洗脳工作といったところですが、一人でも多く気づく人が増えるように、動いていくしか方法はありません。
国民の無知が国を、国民を、家族を、友人を、祖先を、未来を破壊するものであることだけは知って欲しいと切に願います。
まとめ
デフレ経済で得する者をカテゴリに沿って考えてみましたが、いかがでしょうか。
少なくとも「当たらずとも遠からず」ぐらいなはずです。
にも書きましたが、既に右左という構図はもう終わっています。
時代は新たなフェーズに入ったのでしょう。