「根拠」、「ソース」、「エビデンス」といった言葉があります。
何かを説明する際にその説明の正確性や妥当性を担保するものとされています。
一義的にはこの根拠というものは非常に重要です。
しかし、全ての情報が公開されているわけでもなく、公開されていない情報については「考えない」あるいは「陰謀論として切り捨てる」といった態度をテレビに出ている有名な知識人や言論人は取ります。
それを見た視聴者が政治通として巷でただただ根拠やソースを求め、国民分断に一役買っているという構図があるのです。
「絶対に根拠が必要」と考えている人ほど実は権威主義的であったり、数字のマジックなどを知らなかったりもします。
ということで、この記事では根拠を求めすぎると何も観えなくなることを説明します。
根拠に対する接し方
よく聞く”対案を出せ”の無意味さと愚かしさにも書きましたが、例えば統計学というものは政治算術と言い、いかに民衆を数字で説得、納得させるかという目的のもとで発達した学問です。
そもそも人間の行う活動ですから、数字にしても権威の説明する表現にしても何らかの意図が入って当然とも言えます。
私もこういった仕事をしていますが、取引相手が作った資料のデータなどは一切信用しません。あくまで「参考程度」です。
結局は「自分で調べて、”考えて”結論を出す」ということになります。
自分で統計なんて取れないし、データを作ることもできないということもあるでしょうから、そういう場合は違う結果のデータなり、結論なりを探してその過程を確認して自分の頭で考えて結論を出せばいいだけです。
ひとつ注意しなくてはいけませんが、
「”正解”などこの世界に存在しない」
ぐらいの軽い気持ちでいなくてはいけません。
日本の教育システムは「暗記」に比重が置かれていますから、この教育システムを受けた人は、どうしても「正解」を求めたくなるのです。
暗記とは「憶える」ことで、「考える」ことではありません。
そもそも、日本の教育システムは考える力を付ける教育システムではないのです。
全ての根拠として明示される情報は、”参考として思考に役立てる”ってことで良いということです。
残念ですが、政府機関、官庁という立場の者達が統計不正を行うわけですから、これで政府の出す統計データを信じるほうがどうかしてます。
民間は基本的に不正とはいかないまでも、恣意的なデータを使う場合も多々あるので、だからこそ政府の統計を利用するのですが、政府が統計不正、公文書改竄を行っていたとなれば、信頼度の高い根拠というのが政府に求められなくなったことを意味します。
政府が統計に関し不正を行うというのは本当に罪深いのです。無期懲役刑の国も存在するぐらいですが、日本という地域では誰一人責任を取りません。
日本という国が存在しないという意味がおわかりかと思います。
根拠絶対視の姿勢は権威主義
先程も書きましたが、根拠を絶対視する人がいます。
まるで鬼の首でも取ったかのようにその根拠を主張するような人です。
しかし、根拠とは大きな意味では「公開されている情報」でしかありません。
ところが、世界というのは公開されていない活動で動いています。
決してアカデミズムでも、首相官邸でもホワイトハウスでもありません。
総理大臣など最早操り人形に過ぎません。
つまり、何が言いたいのかと言うと、
「公開されている情報だけでは本当のことはわからない」
ということです。
公開されている情報の信頼度を議論すれば結局、「規模の大きい組織が出したもの」が正しいとされます。
そういった大きな組織が出したデータや、有名な大学教授がこう言っているから大丈夫と、自分で考えることをしなくなります。
それこそ、思考停止ですが、ところが多くの場合この状況の時、「自分は考えている」と思い込んでしまっています。根拠を求めすぎな人の特徴として臆病な性格の人が多くいます。
この世界に客観的に絶対のものなど存在しません。
もし存在するならそれは「宗教」のことです。
根拠を利用して考える
私は決して根拠やデータを軽く見ているわけではありません。根拠やデータは非常に重要なものです。
しかし、あくまでも参考にとどめておくべきだと言っているに過ぎません。
何かを知りたいと思った時にそれらの根拠を参考にする「思考の材料」であるべきということです。
「何を信じればいいかわからない」という人は多くいます。
この情報社会で且つ、正解、不正解の教育システムの中で育てばこんな風に思うようになって当然です。
以下の記事も参考にしてみてください。
結論の出し方としては、帰納法なり演繹法なりを利用して自分で答えを出せば良いのです。演繹法と帰納法については以下の記事で説明しました。
私は7割位、結果から原因を探る帰納法を利用しています。
まとめ
「根拠やデータを絶対視せず、参考に留め、思考の材料に利用するという姿勢が重要である」
結論としてはこうなります。
重要なことは、「正解など存在しない」ことを前提に考えることです。
雑談
ホルムズ海峡でタンカー攻撃がありました。
イランの攻撃だと米国サイドは言っているようです。
5月末にアラブ首長国連邦、サウジアラビアのタンカー4隻が攻撃を受けたとの報道があった時、米国のボルトン大統領補佐官は「イランの機雷が使われたことはほぼ間違いない」と発言していました。
私からしてみると「米国側の自作自演で間違いない」と思うところです。
ご存知の通り、米国はこれまで数多くの自作自演テロを引き起こしています。
真珠湾攻撃、トンキン湾事件、911事件などが記憶に新しいところかと思います。
目的は「NWOの達成」しかありません。
そのためには、イランに中央銀行を設置しなければなりませんし、油田の確保や、財界のビジネスチャンスなどといった
意味合いもあります。
大体、このタイミングでイランが攻撃すること自体、可能性として一番低いものです。
前科前歴がある米国の主張など誰が信じるのかということですが、未だに米国の自作自演の証拠がないとか、更にバカバカしいのが、これを以て、「憲法九条があるから攻撃される」などと言う人までいます。
憲法九条など今回の件になんの関係もありません。
かつてのネトウヨのアイドル、田母神俊雄氏がTwitterでまともなことを言ってました。
13日ホルムズ海峡近くでタンカーが攻撃を受けた。これは攻撃により得をする国家や団体がやったものと思う。しかし我が国には情報機関がないに等しいので真実は不明である。各国は真実を知っても国益のために発言する。米国は多分つかんでいると思うがポンペイオ長官が真実を言っているかは不明である。
— 田母神俊雄 (@toshio_tamogami) June 13, 2019
攻撃を受けたタンカーは国華産業株式会社の所有で、主要株主は三菱ガス化学株式会社です。
安倍晋三総理大臣の実兄の安倍寛信氏は三菱商事の役員ですし、今回のタンカー攻撃で保険金はがっぽりもらえるでしょう。
当然ですがこういったことを権威もマスコミも言いません。
大企業をナメてはいけません。
当然、事前に知っていた人間がいるはずです。
こういった情報を伝える時は、「仄めかし」、「忖度」が働くので絶対に逮捕といったことにはならないですし、証拠も残りません。
例えば今回の場合であれば、以下のようなやり取りが行われます。
弟から兄へ伝える時
弟「今度イランに行くんだけど、何か起こらないか心配だよ。親書渡しに行くだけなんだけどさ。ホルムズ海峡のあたりの機雷には気をつけないと」
兄「そうなんだ。気をつけて行ってきて。」
とか、別に筆談でも言いわけです。
兄から関連会社の責任者に伝える時
兄「ホルムズ海峡を通るタンカーの保険は適正に運用されているか?」
責任者「確認致します。」
兄「米国とイランがキナ臭いからもっと手厚いサポートを受けられるようにしたほうが良いだろう。」
責任者「承知致しました。」
このようなやり取りが犯罪になるでしょうか?絶対になりません。
こういった可能性もありますし、事実だとしたら安倍総理のイラン訪問の二ヶ月以上前には計画されていたことでしょう。
これは例えですし、完全に性悪説に立って考えたストーリーですが政治を考える上では重要な考え方です。