統治者が大衆に与えない3つのこと

7日にアメリカがシリアに巡航ミサイルトマホーク59発爆撃を加えました。

着弾したのは23発ほどとのことですが、いよいよ世界は、きな臭い様相を帯びてきました。

5日には北朝鮮がミサイルを発射し、6日にはフィリピン大統領が南シナ海の無人島を占拠するとの報道もあり、そしてプーチン大統領は、アメリカの内政干渉であると批判していると…

アメリカが石油も出なくなったシリアの反政府軍を支援するのはやはり、イスラエルが関係しているのでしょう。

確かにアメリカの立場は内政干渉と言えると思いますし、アサド大統領からしてみれば「関係ないだろ」となるでしょうし、化学兵器の使用に関しては政府は否定しています。

相変わらずメディアは、アサド政府軍が化学兵器を使用した、だからアサドが悪い、とまるで事実のように報道していますが、仮に使ったとして「何故、アサドが化学兵器を使ったのか?という考察がすっぽり抜け落ちているのです。

我が国のメディアには元々期待していませんが、どこのメディアも「化学兵器を使った」と決めつけ、既成事実化しているように見えます。

これはアメリカが軍事侵攻を行う前の状況とよく似ているのです。
リビアやイラク戦争、アフガニスタン紛争などの時です。

基本的にいわゆる「筋の通らない武力介入」の場合はこういった情報操作をするのが一般的ですし、アメリカはお家芸です。

最近ではアサド側も、ISIS等に奪われた弾薬庫を奪い返していましたし、化学兵器を使用すればアメリカがガタガタ言ってくることは理解しているでしょう。

また、アメリカと武力介入はアサドからしてみれば厄介なはずなのに、化学兵器を使用すればアメリカの介入の口実を与えるだけですし…

前回使ったとされた化学兵器の使用の仕方もヘリコプターからとのことですし、また、今回のBBCの報道も化学兵器を使用されたシリア国民のショッキングな映像を使っています。

前例で考えると、こういった「人権」という意識を刺激させる映像は大衆を動かすのに非常に有益なのです。

ショッキングな映像ですので注意してください。

ドイツのメルケル首相が移民の受け入れに上限はないと言った時にも、このような「人権意識」を刺激する映像が流れました。
移民賛成派にとってはここぞというタイミングであったことは間違いありません。

化学兵器がアメリカ側の工作である可能性も無いわけではないですし、とは言え、アサド側が過去に実際に化学兵器を使っているなら、西側諸国ほど残虐な方法と考えていないかもしれません。

世界的な事件は偶然に起こる事は決してない。

そうなるように前もって仕組まれていたと私はあなたに賭けてもいい」

というフランクリン・ルーズベルトの言葉を思い出したりすると、私達の知らない背景があるのかもしれないと思うしかありません。

そもそも戦争や紛争は合理的な理由だけでは動きません。

そこには様々な思惑が絡みますし、また宗教までも絡んでるとなれば、明確な答えなど出るはずもありませんね。

本当に歴史的な大転換期なんだと見せつけられる思いです。

グローバリズムは終焉し、新しい時代に突入する過程なのだと。

そんな中、我が国がやっていることは水道を民営化したり、主要農作物種子法を廃止したり、復興大臣の”失言”を作ってみたりと、目も当てられない状況です。

復興大臣の失言という主要メディアの報道はいつものパターンの「一部を見せ、全体を見せない」という使い古された情報操作を行っていました。

メディアの情報操作手法を公開します

もうがっかりもしなくなるほどです。

ということなので今回の記事では、統治者が大衆に与えない3つのことを書いてみます。

正確な情報は与えない

ここで言う統治者とは政府やグローバル投資家、国際金融資本家、国債銀行家などを含みます。

主要メディアを見れば理解できる通り、大衆には正確な情報を与えません。

基本的に大衆には「大衆に思ってほしいこと」を情報として与えます。

あるいは情報を与えないという”情報”も与えます。

その理由は、正確な情報を与えれば与えるほど、「頭の良い大衆」を生産するからです。

ここで言う正確な情報とは、「多角的な側面から観た情報」のことを言います。

テレビも新聞もメディアの多くが一面的な情報です。

新聞に関しては、その新聞のスタンスを出して良いことになっていますが、多くの新聞を取って情報を取ったとしても、どうやら根本的には同じような気がします。

これは私の個人的な感覚ですから、異論もあるかと思いますが、情報分析力はしんぶん赤旗が日本ではトップクラスの新聞だと思います。

結論はいつもおかしいのですが…

正確な情報を与えない理由は先ほど書きましたが、正確な情報を与えない「主な目的」は、

「大衆に自由だと思わせたい」

という目的があると私は理解しています。

自分が統治者の立場になって考えれば分かると思いますが、

民主主義を採用する以上は、国民主権が前提となります。

この時、統治する立場の者はどう考えるか?

「大衆から私達が疑われないようにしよう」

と考えるはずです。

となれば、情報を制限することは常套手段となります。

別に私は政府や統治者の嘘が100%悪いと言っているのではありません。

時には国民を守るために嘘をつくことも必要でしょう。

国民を守るためにつく嘘」なら私は肯定します。

しかし、大抵の場合そうではないのです。

現在の我が国の政府は、国民のためではなくアメリカのために嘘をついているわけですから、尚更、情報を制限する動機もあるし、また嘘をつく理由もあります。

情報を制限するために使われるツールが、主要メディアであるのです。

統治者の立場ならこう思うでしょう。

「自由だと思い込んでる大衆ほどありがたいものはない」

と。

トーマスジェファーソンというアメリカ大統領の言葉をここでご紹介します。

新聞を読まない人のほうが、読んでいる人より正しく物事を認識できる。何も知らない人は、嘘と偽りに心を奪われている人より真実に近い」

統治者は大衆に急激な変化を与えない

急激な変化を与えないということは、「徐々に変えていく」という意味です。

例えば、派遣法の改正は典型でした。

1999年に派遣対象業種の拡大が行われ、2000年に紹介予定派遣が解禁、2004年には、自由化業務の派遣期間を3年に延長し、政令26業種の派遣期間が無制限になりました。

2006年には医療関係業務の一部が解禁、2007年には製造業派遣の派遣期間を3年に延長と、こういった流れでそして今でも派遣業の規制緩和が行われています。

これが1999年の時点で2007年のような法体系に一気に変わったとしたらどうでしょうか?

暴動が起きても不思議では無いほどです。

こういったことを言うと、必ずこのような反論があります。

「情勢を観ながらちょっとづつ変えていっただけだろ」

と。

では、その情勢とは何でしょうか?

1999年の時点では既にデフレ経済です。

デフレとは需要の不足です。

供給過多という状態で、供給を増やす、規制緩和を行ったことをどう考えるのでしょうか?

グラフを見る限り99年に以降、非正規雇用は増加しています。

しかし、既に国民はこの状態に”慣れて”しまっています。

つまり、一気に変えれば反動も大きいから少しづつ変えていくことで、大衆の感覚を慣らしていく方法を取っていると言えるのです。

少なくともそういった側面はあります。

今回の水道の民営化にしてもそうです。

最初は一部地域で行い、少しづつ拡げていき、いつの間にか少しづつ水道料金が上がっていき、10年も経てば、水道事業が民営など当たり前、水が高いのは当たり前という感覚になっていくのです。

徐々に変えられたらなかなか気付くことはできません。

こういった方法をとることで、大衆に気付かれずにまた反発もされずに、変えていけるのです。

統治者の立場ならそう考えるでしょう。

何しろ、「自分の立場を脅かさない」ことが最優先なのですから。

今回の森友学園問題での保守派と言われる政治家の立ち回りは正に自分の立場を如何に守るかに重点が置かれていると思いました。

統治者は都合の悪い学問は義務教育では教えない

統治者は道徳や倫理、あるいは学問を学ばせることによって、人間(国民)としてあるべき姿を義務教育期間中に叩き込みます。

統治者にとって都合の悪い学問は、義務教育の中では教えません。

法律や会計、貨幣について教えないということは、知られたくないということです。

何故なら、この知識は統治者にとって知られると都合が悪いのです。

法律というのは憲法が最上位に位置している体系学です。

我が国は法治国家ですが、法律を知っている者は統治者の行動のどの行動が法に触れることに気付くことが出来るようになります。

会計にしてもそうです。

会計の知識を知っていれば、いわゆる国の借金問題など問題ではないことに気付いていしまいます。

更に貨幣や銀行制度。これが全国民に知れ渡れば、革命が起きても不思議では無いほどのことです。

かつてヘンリー・フォードは言いました。

「国民が銀行制度や貨幣制度を理解していないことは良いことだ。もし国民がそれを理解したら、明日夜が明ける前に革命がおきるだろう」

ヘンリー・フォード(フォード・モーター社創業家)

道徳や倫理を教えることは素晴らしいことですが巧みに、国家に対する忠誠を誓わせます。

個人的には、戦前の義務教育は素晴らしかったと思っています。
当時の教科書を観たときには、現代とは比較にならないほどの質の高い教育を、当時の子供達は受けていたんだなと思いました。

何しろ、特攻に行ける精神を持てるのですから、頭が上がらない想いです。

教育勅語など我が家でも飾っているぐらいです。

一方の上層部はスパイになってみたり、売国奴よろしく敵国に情報を流していたりと、先祖代々スパイみたいな政治家までいるほどです。

そんな連中の命令で、特攻された方々が、自分の人生を国に捧げたとなると、仕方なかったのかもしれませんが、私は非常に悔しく思います。

当時、命を捧げた方々が願った未来になっているのかと言えば全くそうは思いませんし、むしろ天から私達現代人を観て呆れられているのではないかとすら思います。

話が逸れましたが、要は、

「愚民でいてほしいがために必要以上のことは教えない」

ということです。

まとめ

「正確な情報を与えない」

「徐々に変えていく」

「必要以上のことは教えない」

となります。

段々ときな臭い情勢になりましたが、戦いにおいて、普通に敵は、言いたいことを言い、信じたいことを信じるものです。

私自身、統治者の嘘があまりにもという見え方になってしまっています。

なんだか、自分の文章を読んでみると左翼っぽいなーと思いますが、私から見れば現政権は極左です。

現政権が極左なら共産党は何なんだということになりますが、共産党は「論外」です。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

民主主義カテゴリの最新記事