現代は情報社会です。それも人類史上過去に例がない一般大衆がこれまで知る由もなかった情報にアクセスできるというある意味では信じ難い時代です。
以前このような記事を書きました。
この記事の中で、技術革新によって情報を簡単に得られるようになった個人の力が強くなると説明しています。
しかし、様々な情報を簡単に得られるとしても、その情報の「確度」、「正確性」と言うものはそう簡単に担保されることは無いように思えます。
例えば、私もやりますが何かしらのデータを根拠とする際にそのデータが示す意味を情報発信者が説明します。
その時にそのデータの示す意味が発信者の説明だけでは理解できなかったり、そもそもそのデータが改竄されていたとしたら?と考えだしたらキリがないわけです。
また、公的なデータは基本的には信ぴょう性が高いと言われていますが、日本はある程度正確でしょうが中国の公的な経済指標などのデータは当てにならないわけです。
更に、学者の書く論文なども意外と結論ありきでその結論に達するために有益なデータを使用して、その論文が広まることも散見されます。
基本的に評価される論文というものは、「評価する側にとって都合のいい論文」であるという側面もあるのです。
その評価された論文に対しての反対意見は黙殺されることが多く、反対しすぎると職を追われたり、社会的に抹殺されることもあるようです。
この問題は本題ではないので別の機会に書こうと思いますが、これだけ情報が膨大になると何を信じていいいのかわからないという状態になりがちです。
このブログの内容も「社会的条件付け」の外の内容であり、一般的には常識外とされるものです。
実際、私自身も何を信じていいかわからないと言ったそんな時期はありました。
そりゃそうもなります。
自分が学校や社会で一生懸命に勉強してきたことが、虚構だったり欺瞞に満ちあふれていたり、100%嘘で塗り固めてそれが真実だとされていたりと枚挙に暇がないぐらい、私生活でも仕事でも経験すれば誰だってそうなると思います。
なので、この記事では何を信じればいいかわからない時にどうすればいいのかを書きます。参考になれば幸いです。
信じられなくなる原因
結論から言えば、
自分の良心を信じて、自分の頭で考えて結論を出す。
幅広く勉強をし続ける。
ということです。
以下で説明したいと思います。
何を信じればいいのかわからなくなった時というのは、大抵の場合このような状態です。
「不安」「自虐(自分が頭が悪いなど)」「混乱」
などが一般的です。
不安というのは、この場合、情報の角度や違いからの混乱からくるものと、ある情報から導き出される結論が他で得た情報よりも辛辣だった場合、で自分なりの結論が出ない場合に起こります。
この不安から自分は頭が悪いんだだとかの自己否定が始まり、憂鬱な気持ちになってしまうのです。
原因は恐らくこんなところでしょう。
私自身が当時感じたことはこれらの事柄でした。
大抵の場合、この状態に陥った者は次のような行動をします。
「更に大量の、違う情報を得ようとする」
こういった行動を取ります。
その不安を解消するために、別の情報をどんどん取り入れようと試みるのです。
しかし、この行動で得られる結果は、
「更なる不安と混乱」
の場合が少なくありません。
何故、情報を得れば得るほどわからなくなるのか?
これは、勉強熱心な人に実に多いのですが、私は知識というモノを誤解していることに起因していると考えています。
知識というモノはそもそも、
増やせば増やすほどそれに従って、
「わからないことも増える」
ということです。
すべての知識は元々ひとつであり、長い歴史のなかで細分化、派生されてきたものです。
だからこそ専門家という人間は間違えるのです。
例えば、経済学者は安全保障を知りません。安全保障学者は経済を知りません。憲法学者は法律のことしか知りません。
政治という枠組みの中で経済、安全保障、外交、法律、金融、宗教、文化、言語、歴史、技術などその他もろもろを包含したものが「政治」と一言で表せるのです。
私の言うすべての知識は元々ひとつとはこういった意味です。
したがって勉強をすればするほど、情報を得れば得るほどわからないことが増えるのは当然なのです。
ではどうすればその不安や混乱を払拭出来るのか?
コンサルタントが精神論を言うのはおかしいかもしれませんが、これらを払拭するためには
「自分の良心に従う」
ということが重要です。
自分の良心に従って自分の頭で考えて、出た結論があなたの真実です。
私が以前の記事で真実は主観的なモノと言ったのはこういうことなのです。
勉強熱心な人は、この何を信じればいいかわからないという壁に必ずぶつかります。
でもこの状態は日々勉強していることの証拠でもありますからこの状態を前向きに捉えてもいいと思うのです。
自分の良心に従い、自分の頭で考えて結論を出す。
本質的に真実とはそういうものなのだと思うのです。
人間は自分の目で見たものを「真実」と思い込む傾向があります。
実はそれですら、あやふやなものなのです。
911事件で飛行機がビルに突っ込んだ映像を多くの人が見たと思います。
しかし、あの事件はアメリカ政府のマッチポンプ、自作自演であるというアメリカの国内の世論は高まっています。
目というのは事実は映しても、真実は映しません。
真実を映すのは脳です。
真実は事実とその事実に関連する事柄(背景や状況、関係者の存在)を確認し精査しなければ観えてこないのです。
それでも観えてこない真実もあるのですから。
性善説で政治を観れば主要メディアの流している情報が”真実”ですし、性悪説で観れば”謀略(陰謀)”となるのです。
だからこそ、また更に勉強をして知識を増やして行動に移してその行動から得た知識を役立てることが必要なのです。
神様はそう簡単には、「真実」を教えてくれないようですね。
ですが、私はそれが「戦い」というものだとも思っています。
まとめ
何を信じればいいかわからなくなったら自分の良心を信じて、自分の頭で考えて結論を出す。
幅広く勉強をし続ける。
ということになります。
因みに自分の良心を視覚化するにはマインドマップが便利です。