選挙に希望を持つ必要はない

選挙に希望を持つ必要はない

都知事選ということで何やら大盛り上がりのようですが、また誰が良い、悪いといった議論が繰り広げられています。

選挙という民主主義の壮大な欺瞞は、いつも大衆に希望と絶望をもたらし、絶望を抱く頃には、選挙の時に抱いていた希望すら忘れるほどの健忘症の大衆は、選挙制度という欺瞞にドラマでも見ているかのような振る舞いです。

その大衆は、政治に関心がある層も含まれ、政治というものが、選挙というものが、どれほど汚いものなのかの想像もついていないのだろうと感じるところです。

夫婦揃って逮捕されている国会議員がいるようですが、この夫婦が行ったことは可愛いものです。

東京地検特捜部が動いているのですから、米国に不利益なことでもしたのか、政権中枢のスケープ・ゴートか何かなのでしょう。

立候補している人は沢山いるようですが、都知事になってから何もしなかったどころか築地市場の豊洲移転を問題にして人気取りのみを行ったCSISとソロスの子飼いで学歴不明の現職と最終地点は同じなのに対立しているフリをしている候補と、賑やかしといつも通り白ける演出となっています。

東京都知事選2020・立候補者一覧・リスト・まとめ ・画像有り

希望を感じさせると話題の山本太郎候補は超監視社会、デジタルレーニン主義に大賛成の新自由主義者であることが周知されることはありません。

私からしてみれば、安倍晋三のサポートにしか見えません。

5Gのこともコロナのことも、ゲイツワクチンもろくに言及しないのに救世主とは一体救世主とは何なのでしょう。

胡散臭いコロナ騒ぎに疑問を呈している人は殆どいないのでしょう。

とは言え、供託金を払える人達なのですから、都民、大衆は最初から、「蚊帳の外」であり、選挙はそれをわからないように有権者に「自分たちで選んだ」と思い込ませるために存在しているに過ぎないのです。

こういったことを言えば、「じゃあどうすればいいんだ」と言われるのですが、その返答になることこそがこの日本の、日本人の一般人の最も深刻な問題だと思うところです。

最初から選挙に希望を持たなければ、最初から政治家任せにしなければ、最初から自分で行動していれば、「じゃあどうすればいい」なんて言葉は出てくるはずもありません。

現代の選挙は、「誰が有権者の首を絞めるか」を決めているだけで、結局のところ支配層が現状の支配構造を維持するために自国民に対して攻撃を仕掛ける新自由主義グローバリズムのまやかしに過ぎないのです。

それを考えずに誰が本物か偽物かなどという議論は、無意味でしかなく、さらに言えば深刻度が増しているとも言えます。

こうなると、ハンナ・アーレントの言う、

「思考停止すると凡人は怪物になる」

といった結果が生まれるのでしょう。

正に「凡庸な悪」です。

人間を思考停止に追い込む言葉を考えてみると色々と出てきます。

正統、正しい、科学的、論理的、根拠のある、権威の言葉などなど探し出せばきりがないほどでしょう。

そのような言葉を選挙の時のみ有権者に使い、当選すれば、

「生まれ変わりました」となるのが政治家です。

その上、実弾による買収や紙爆弾、自動票読み取り機などあれば、選挙はムサシを持ち出すまでもなく最初から、欺瞞のでっち上げシステムだということになります。

選挙で世の中が変わらないのは何故なのか?

大衆に民主主義が存在していると思い込ませるためにはどうすれば良いのか?

軽めの記事で申し訳ありませんが本日はこれくらいで。

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