インフラに感謝しない日本人

インフラに感謝しない日本人

水道、ガス、電気、物流、食料、建設、ごみ収集など社会になくてはならないものは多くあります。

私は、現代社会を観ててこれらの業種が非常に軽く見られていると感じます。

どれもなくてはならないものなのに、もてはやされるのは金融や商社、コンサルティング、メディア、芸能などの業種です。

これは全てイメージと所得だけで判断されてことは否めません。

何故、これほど社会から軽く見られ時には職業差別とも取れる国内の空気が形成されたのか考えてみたいと思います。

インフラの重要性

例えば道路作るのは無駄という世論がありますが、なぜ無駄なのかを言える人はほとんどいませんし、実は全く無駄ではありません。

台数比率で言えば日本の高速道路の長さは韓国ごときにも劣るほど短いのです。

東京一極集中も問題ですが、渋滞がなくならないのは「短い」からです。

物流は物と同時に情報を輸送するサービスです。

物流が円滑になることは経済発展にも寄与する面が多くありますが、それを実現するためには道路のインフラを整備する必要があります。

基本的に輸送サービスは早く荷物を引き取って早く納品することで生産性を高めることができます。

例えば、荷物を引き取り納品するまで3時間かかるとします。それを道路の整備で1時間で完了することができれば2時間浮きます。

その浮いた2時間でもうひとつの仕事を請けられるということになります。

簡単にチャーター便で例えていますが、細分化された物流ネットワークの各分野で円滑に以上のことができれば生産性は確実に上がります。

また道路には、災害時のバックアップとしての機能があります。簡単に言えば保険です。

東日本大震災の時に、「鹿しか通らない道なんか造って」などと批判されていた道路が震災で主要道路が通行できなくなった時にその「鹿しか通らない道」を使って物資を届けることができたということがありました。

この道路がなければ、また別の方法で物資を送ることが出来たとは思います。

しかしヘリコプターにしろ輸送機にしろ、経費がかからずそれも簡単に早く、被災者に大量の物資を届けなければならない緊急事態の時に手配する手間よりも、車でドンと物資が運べた方が効率的です。

このように、国内で緊急事態があった時に突如として需要が高まることはままあることです。

それに対応するためのインフラ整備でありひいては「安全保障」なのです。

水道やガス、電気、食料についても安全保障という考え方で本来すべきなのですが、バブル崩壊後のデフレ経済によって、経費は限界まで削減され、安全保障を踏まえた施策が取れなくなりました。

そもそも国家にすら安全保障の視点が欠けているのに民間企業にその視点があるはずがありません。

原因のひとつとしては戦後、日本国民には国家観を教える教育がなされていないためだと思われます。

水道、ガス、電気が使えなかったら?

お金を持ってそれらが使えるところに行こうとするでしょう。

食料が手に入らなくなったら?

現代の日本国民なら「買い占め」に走るでしょう。

東日本大震災で私が非常に悲しく思ったのは日本国民が買い占めに走り各店舗に食料が全く置かれていない光景を見た時でした。

これが戦後教育の賜物だと理解できたし、非常に浅ましい国民になったものだとも理解できました。

国内の食料需要を安定的に供給できるということも安全保障です。

我が国の食料自給率はカロリーベースで既に40%を切っています。

スクリーンショット 2017-02-23 10.06.29

出典:農林水産省

これは日本人の胃袋が徐々に外国に支配されていることと同じ意味です。

ある食料の輸入先が天候不順などの理由で日本に輸出できませんとか、エネルギーが戦争や紛争のために高額になってしまったり、日本が輸入する食料や資源の輸送ルートがどこぞの国に潰されてしまったら、大惨事になることは火を見るよりも明らかです。

その様なことにならないために安全保障の視点を持ったインフラ対策が必要なのです。

メディアの情報操作

バブル崩壊後デフレに突入した我が国では、公共事業悪玉論のネガティブキャンペーンがメディアで行われました。

「無駄遣い」「バラマキ」「コンクリートから人へ」「癒着」「建設業への利益誘導」

などの言葉を作りメディアがしかけ大々的に繰り広げられました。

プロパガンダにはこういった「紋切り型の言葉」で見ているものに対しイメージ付けを行います。

「事実」はこうして作られる~既成事実化~

このように公共事業=悪という”事実”が作られました。

また、小泉純一郎が使っていた手法がワンフレーズ・ポリティクスといった紋切り型の言葉で国民を誘導する政治手法でした。

メディアは執拗に公共事業を叩き続けた為に国民のイメージには公共事業=バラマキという悪というイメージだけが残ってしまいました。

公共事業はこのグラフのようにピークの半分以下になっています。

スクリーンショット 2017-02-09 14.20.22

金があればという盲信

しかしバブルが崩壊しデフレになっても物やサービス自体は存在します。

グローバル化による規制緩和や民営化などの構造改革で、市場競争は熾烈を極め、過剰な供給力が極度の価格競争を生んでしまいました。

デフレになれば、物やサービスの価値は下がりお金の価値は相対的に上がっていきます。

現金に対する信頼がバブル崩壊の記憶も合いまって宗教のような拝金主義思想が蔓延していったように観えます。

そのイメージも作ったのがメディアで当時、バブル崩壊で破産した人間を連日放送して、借金や破産に対する恐怖を煽っていき、節約志向の方向に国民を誘導していったのです。

日本人は元々借金に対して嫌悪感を持っていますがバブル崩壊後のデフレ経済で拍車がかかったのでしょう。

その状態で、公共事業悪玉論というネガティブキャンペーンを実施すれば非常に高い相乗効果が期待できます。

ついでにお金持ちの生活ぶりも放送すれば一般庶民のフラストレーションも煽ることができます。

このようにメディアは多方向から国民を誘導し、大多数の国民の意識を目的の結論に行き着かせようとしているのです。

仮にメディアに誘導する意図は無いとしても、現在のような結果になればそれは自分たちの影響力を理解していないということです。

視聴率や販売部数、要はお金のことだけ考えていたと認めるようなものです。

インフラは現代人の為に先人達が作った「豊か」の基盤

蛇口を捻れば水が出ること、スイッチを押せば電気がつくこと、東京から全国どこでも一日かからず行けること、これはよくよく考えてみると本当に凄いことです。

江戸時代はこんな生活が出来たのでしょうか?

当然できなかったのです。

今現在私達が使っている道路やガス、水道、電気などの設備を構築したのは誰でしょうか?

間違いなく現代人ではありません。

私は生まれた頃から今のように電気ガス水道が使えた世代です。

人生のスタートが既にプラスから始まっているのです。

ですが、こういったことを言ってもほとんどの人がピンときていないようです。

やはりどうしても当たり前、当然という認識があり、環境に対する感謝は特に無いようです。

先人達が額に汗し、アニマルスピリットを持った投資を行い、血みどろになって造ってくれた言わば 先人達からの「贈り物」だと私は思っています。

だからこそ今、自分は豊かに暮らすことができるし、好きなことも出来るのです。

先人達はリスクを負って未来の日本人に贈り物を届けてくれました。

現代人は未来の日本人のことを考えているでしょうか。

ボロボロの道路や通行料を取られる橋、異様に高い電気料金やガス、水道料金、食事は化学合成で作られた食べ物と言えないようなもの、このような未来ができたらそれこそ、将来世代への負担です。

今だけ、金だけ、自分だけという意識は亡国に繋がります。

逆に未来の日本人のためにすることが未来の人類に対する貢献に繋がるでしょう。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

国家カテゴリの最新記事