前回、以下の記事を書きました。
フェイクニュース対策という言論統制〜1984年まであと少し〜
この中で、フェイクニュース対策と言論統制の関わりを説明しました。
言論統制が行われる社会というのは、言うまでもありませんが当然「国民への監視が強化される」社会でもあります。
最近の政府の態度は、なりふり構わずスピン報道を行い、国民の目からTPPやEPAの影響を逸らそうとしているように観えます。
TPP発効 牛肉輸入急増 実質5日で「半月分」 攻勢強まる恐れ
日欧EPA国会承認 82%で関税撤廃 経験ない市場開放 TPP11に続き 来年2月発効へ
日本のテレビ、新聞を始めとするマスメディアは完全に政権と一体化したと言えます。
「今日のニュース」に潜む問題とは?〜ヘッドラインニュースの罠〜
上記の記事を確認してから、テレビのニュースを観るとまるで見え方が変わります。
この記事では、監視社会が今後どのような過程を経て実現するのか、またどのような危険があるのかなど考えてみたいと思います。
段階的な法案成立
安倍政権になってから段階的に監視を強化する法案が成立しています。
特定秘密保護法からテロ等準備罪(共謀罪)、そしてこれから”スパイ防止法”が強行的に成立するでしょう。
この時、政府は法案の必要性をこのように説きます。
「国民の安全を守るためにはテロ対策が必要である」
といった「国民の安全を引き合いに虚構の取引を持ちかける」メッセージです。
「テロ」という言葉が頻繁に使われる様になったのは、間違いなく911事件以降です。
その後、「テロとの戦い」という言葉がマスメディアでも頻繁に使われ始め、アメリカ政府によるアフガン侵攻、イラク戦争に繋がり、当時小泉政権だった日本政府も、あろうことかイラク戦争に賛成したのです。
ところが、ご存知の通り911事件は茶番、自作自演テロであることは間違いのないことで、また中東への侵攻が、油田奪取、中央銀行創設、多国籍企業への所得移転などといった構図であったことはゆるぎようのない事実です。
今回も政権がフェイクニュース対策ということで、法制化は見送られているものの、ジャブを打ち、社会の様子を見ながら確実に一歩づつ進んでくるのです。
政権側に都合の良い法案については、このように二歩前進一歩後退といった素晴らしい戦略を立ててくるのです。こういうのはちゃんとできるということは、現政権は完全に国民の為の政府ではないということを教えてくれているようなものです。
先日は「政府のフェイクニュース対策」で次はこれです。
総務省 IoT機器に無差別侵入し調査へ 前例ない調査に懸念も
一気に来たなと言いたくなるほどの、大胆且つ攻撃的な手段でやってきました。
まさかこれほど早く行われるとは思っていませんでしたが、政府サイドの焦りも感じさせるほどです。
更に、以下のニュースもありました。
大丈夫なわけないんですが…
これらの数え役満を総合して考えると、「ジョージ・オーウェル構想1984年」と命名できるほどの事態です。
役満にはまだ足らないと思う人もいるかもしれませんが、日本政府はかねてから、スパイツールとして有名なXKEY SCOREを利用しているフシがあります。
「XKEYSCORE」とは元NSA職員のエドワードスノーデン氏の暴露から有名になった諜報機関のための監視ツールです。
スノーデン氏曰く、日本政府は「XKEYSCORE」の提供をアメリカ政府から受けているとのことです。
プライバシーか?セキュリティーか? ~スノーデン“日本ファイル”の衝撃~
「XKEYSCORE」はスパイのGoogleと言われるもので、目的は「多様な方法で集められた電子的な通信を集約すること」とのことです。
例えば、私の名前を検索すれば、私に関するオンライン上にある全ての情報が検索できるといったツールです。
全てとは、本当に全てと言えるものです。
住所や本籍はもちろん、各店舗の購入履歴、信用情報、交友関係、職歴、勤務先、行動パターンなど本当に全てです。
イメージがわかなければ映画「スノーデン」を観るとわかりやすいです。
現状、日本政府が秘密保護法や共謀罪、スパイ防止法、フェイクニュース対策、総務省のIOT無差別侵入、などを踏まえて考えれば、政権は「XKEYSCORE」を提供された時点では、使用は違法であるために使えなかったので、法律を変えて使用を合法化しようと考えたのだと想定できます。
ついでに、体内インプラントの「ICマイクロチップ」が推奨されていますし、推奨する団体も存在しています。
この協会は世界各国に存在するようで、これは日本支部といった扱いのようですが、アメリカではトランスヒューマニスト党なる政党もあります。
人間のロボット化、ロボットのニンゲン化双方のテクノロジーが同時進行で発達していっています。
マイクロチップを体内にインプラントすれば、「人間の完全な家畜化」は実現します。
抵抗も思想も、考え方も全て管理され、死期もコントロールされることになるでしょう。
二度と人間らしさを表現することはできなくなります。
人間らしさとは、「自身の魂に従った意思による行動」のことです。
人間は自分の魂、心に従い、自身の意思による行動をした時に初めて価値を持ちます。
なぜなら、人間というのは生まれてから、ありとあらゆる「社会的条件付」に支配されます。
言い方を変えれば、社会による、その時の為政者による洗脳を受け生きていきます。
自らの判断と思っていることが、実は誘導されていると気づける人はそういませんし、また、自由意思とは為政者が設定した枠内での自由意思ということに気付ける人もそうはいません。
現実に、それらの社会的条件付に左右されずに自身の意思で行動するということは、魂、心に従った意思による行動しかありません。
これがどれほど難しいことかと日々考えてしまうほどです。
自由とは自分の意志を貫くことです。
逆に言えば、意志、意思を貫かない人間には自由を語る資格がないということになります。
自由を貫くことは非常に不自由を伴うことになるというパラドックスがありますが、その先にあるものが、果たして”誰の為のユートピア”なのかはその人にしかわからないのです。
「瑞穂の国の資本主義」の正体
「瑞穂の国の資本主義」という言葉を使って、我が国日本国民の生活基盤を財界に売り払う政策を推進してきた現政権ですが、この瑞穂の国の資本主義とは一体なんだったのかは総括すべきことでしょう。
TPP、EPA、水道を民営化など結局、政権は財界の傀儡政権であることが明らかになりましたし、また野党も財界に抑えられ、マスメディアも政権の広報をして活躍している状況です。
簡単に表現すれば、
「一般国民を騙し、財界に対して、一般国民の生活基盤をビジネスチャンスとして提供し、法治国家でも、民主主義国家でも、独立国家でもないことを証明した」
政権であると言うことができます。
そしてこの明らかな監視体制の強化を観れば、グローバル資本主義におけるコーポラティズムが共産化を生み出していることが誰の目にもわかります。
一般国民は強化された監視体制の下で平準化していき、意思も持たず、個性も持たず、ただ生きている人間の形をした家畜に成り果てます。
しかし、これは「”財界や政府”にとっては自由である」ということは見落としてはならないことです。
彼らにとっては国民との”しがらみ”から解き放たれ、国民に対する責任から開放され、自由となります。
だからこそ、グローバリズムという考え方と新古典派経済学と同期した新自由主義は、「個人」を考え方の前提とし、「自己責任」と「弱肉強食」を推奨します。
政府の自己責任論は、単なる国民に対する責任放棄でしかありませんが、それでも逃げられない「上がり続ける消費税」を収め続けさせるという政府の政策は、最早、国家テロとまで言えます。
弱者を抹殺する。 不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思い…
とは言え彼らにとってはひとつの「自由の形」なのです。
これこそ、以前に記事にした「自由の独裁」なのです。
しかし、少し嬉しいニュースもありました。
東洋大、竹中平蔵氏批判の学生に「退学」勧告? 立て看板とビラ配布
東洋大学の学生が竹中平蔵氏への批判を大学構内で行ったということですが、こういったことは最近では非常に珍しく少し嬉しくなりました。
こういった事実が報道されることにも違和感を感じなくもないのですが、純粋な意見として彼の行動は賞賛に値すると思っています。
自分の思ったことを言えない社会で良いはずはありません。
和をもって尊しとなすは自分を殺すことではないのです。