分断統治という言葉を聞いたことはあるでしょうか。
日本は未だ右派と左派、金持ちと貧乏人といったように国民がカテゴライズあるいは分けられています。
「人間社会なんだからそれが普通でしょ」
「能力差もあれば所得の差もあるし生まれも違うんだから」
と一見もっともらしい反論があると思いますが、この反論は半分正しく半分間違っているのです。
確かに人間社会だから人によって差があって当然と言えますが、その「差」というのは、人間が作った「価値観である」ということです。
誰かにその差に「価値がある」と思い込まされているとしたらどうでしょうか?
敗戦後、我が国日本はお金を宗教にしてきました。
良いところに就職して結婚して子どもをつくって車を買ってマイホームを買ってと、それが当たり前の社会だったわけです。
冷戦構造であったからこそそのような社会になったと言えますが、しかしその当時でも思想や信念に生きた人間もいたのです。
現在の日本は「自己責任論」が闊歩しています。
貧乏人なったのはその人の自己責任。
老後の蓄えをしなかったんだから自分が悪いと。
それを日本国民同士が当たり前のように思っています。
あまりにも冷たくなった日本人の大多数は完全に勝ち組と負け組という価値観に縛られているのです。
実は勝ち組負け組など存在せず、
「どちらも負け組である」
ことには気づきません。
しかしそのように考えることはできなくなっているのです。
これが洗脳ですが、この洗脳で「勝ち組負け組の価値観」を
プログラムされたのです。
これが分断統治の手法のひとつです。
この記事では分断統治について考えてみたいと思います。
分断統治とは何か?
分断統治とは簡単に言えば、
「支配階層が統治をしやすくするために、一般大衆の結束を分断して支配者層に反乱を起こさせないようにする統治手法」
と言えます。
この分断統治の前提となるのが、「貨幣経済」と「洗脳」です。
支配される側である一般大衆を「上級国民」と「低級国民」とに分けます。一級市民とか二級市民といった言われ方もします。
分けられた一般大衆である上級国民と低級国民は互いに憎しみ合う様になるのです。
例えば、上級国民は低級国民に対して、「あいつらより俺はマシだ。」と考えるようになり、当然に低級国民は上級国民を敵視するようになります。
こうなることで本来されるべきであろう支配者層に対する批判の矛先をかわすことができるのです。
支配者層としては国民同士で憎しみ合ってくれた方が安泰であるということですね。
貨幣経済で大衆をコントロール
他の記事でも書いていますが現代の中央銀行制度はこの世界の支配構造の最上位に君臨しています。
現代の貨幣経済システムは誰かが借金を背負うことで全体の総量のお金が増えるようになっている仕組みになっています。
信用創造といいますが、この信用創造にプラスして「利息」の存在が大衆を「金に飢えた獣」にするのです。
どういうことかというと、誰かの負債によって全体のお金の総量が増えていく仕組みですから、利息の分のお金は世界中どこにもないということになります。
世界中どこにもないのであれば、「誰かから奪う」しかありません。
これはよく椅子取りゲームに例えられます。
保守派と左派の活動資金が同じ出処というものもありますのでこれも典型的ですね。
社会を現代の中央銀行制度、貨幣経済システムで統治することで大衆を金持ちと貧乏人に分けることができるのです。
褒美でコントロール
褒美による統治があります。
一言で言えば「買収」「抜け駆け」と言えるかもしれません。
これは例えば、権力者が特定の低級国民に上級国民になることや特権的地位を褒美として与えることでその低級国民が権力者側に寝返るように仕向けることです。
現代でもそうですね。
竹中平蔵氏はパソナグループの取締役会長でありながら、政府に対し諮問委員会を通して自社の利益を図るように行動して、一般国民を「正社員」と「非正規労働者」に分断しています。
竹中平蔵氏の地位もこの記事のレベルの話で言えば、中ボス以下の下手人クラスということになります。
そうさせている表に出てこない人間が本当の敵であるということです。
自己評価を低くしてコントロール
セルフイメージという言葉があります。
要は自己評価のことですが、大衆の自己評価を低下させることによって大衆を分断させる手法があります。
江戸時代の士農工商穢多非人といった身分制度は正にこれを表しています。
当時のいわゆる部落民は服装や職業も限定され町人や武士との交際も禁じられていました。
社会からこういった扱いを受けていれば部落民はこのように思うことでしょう。
「俺は部落民だから…」
「俺は人間として低級だから」
「所詮俺は…」
といった自己に対する卑屈なイメージを持ち続け、「仕方ない」と下を見ながら生きていくことになります。
そうすることで、支配者層として最も警戒すべき階層である「失うものがない階層」の結束を阻止することができるのです。
生きていれば誰でも経験するかと思いますが、
「人間は、自分より下の人間を探すことで安心する」
という傾向があります。
支配者層はこの心理をうまく利用しているのです。
マスメディアの洗脳工作
マスメディアの洗脳工作によって大衆は「価値観」を植え付けられます。
正に「勝ち組負け組」という言葉も小泉政権時から使われるようになった言葉です。
お金を持っている者が勝ち組、貧乏人は負け組という価値観を植え付けられたのです。
特にテレビは洗脳に絶大な効果を持っています。
テレビを見ている時、人は現実世界から離れてイメージ、想像の世界に没頭します。
映画やドラマが完全な作り話だとしても泣いたり、笑ったり、驚いたりと体が反応します。
これは言ってみれば、架空の世界の情報が現実世界に影響を与えるということになります。
過去に「あるある大辞典」というテレビ番組の中で納豆ダイエットというテーマで放送した翌日、視聴者が納豆に殺到したということがありましたが、これは正に架空の世界の情報が現実世界に影響を与える典型と言えます。
彼ら彼女らに情報操作されている自覚などありません。
「良いことを聞いた」ぐらいにしか思っていません。
これらのことからテレビを始めとするマスメディアは視聴者の価値観を作り、また物事を考えるための基準を設定していると言えます。
まとめ
支配者層が統治を続けるためには、大衆がバカである必要があります。
愚民化政策の意図はここにあるのです。
支配者層は如何に大衆を分断させるかということに日々力を注いでいます。
大衆は数で圧倒的に勝るもののいつまでも大衆同士でいがみ合っているので、如何に分断統治に気付いて結束するかが鍵になります。
本当は
「全てがひとつ」
であるということに気付きたいものです
過去に書いた記事ですので合わせて参考にしてください。