特定の誰かを持ち上げても何も変わらない〜救世主など存在しない〜

特定の誰かを持ち上げても何も変わらない〜救世主など存在しない〜

最近のニュース、報道、SNSのタイムライン等を観ていると誰かを貶して誰かを持ち上げるという構図を目にします。

民進党や共産党の誰々がバカでアホで、安倍総理は頑張っているといった主張が、保守や右、ネトウヨなどと言われる人達の主張で、一方の反安倍を一生懸命に叫んでいる人達もまた、政権批判しつつ特定の”誰か”を持ち上げて「救世主」を担ぎ上げて、なんだか誰を救世主にするか競っているように見えるほど滑稽です。

反グローバリズムを掲げる人達の中にも、「プーチン大統領は国際金融資本、グローバリストと闘っている」とか「小沢さん(一郎)が救世主だ!」と斜め上から特定の誰かを持ち上げています。

はっきり言いますが、特定の誰かを支持しても何も変わりません。

その特定の誰かが世論とは逆の少数意見だったとしても、手放しで信じるべきではありません。

というのも、”逆張り戦略”というものがマーケティング技術には存在しています。

ターゲットを明確化した上に逆張り戦略でマーケティング・ミックスを構築してそれが成功すると、

信者」と言われるレベルのファンが付いたりもします。

この辺りのことを頭に入れておき、理論や主張に賛同しつつも一定の距離を取るというのは非常に重要なことです。

そうしなければ、その”特定の誰か”の養分になる可能性が高いのです。

私は、いわゆるネットビジネスで成功した人達の信者を観てきましたが、率直に言って「奴隷」です。

但しその信者本人は幸せだったりします。

その時、その人は既に洗脳が完了していますから、自分の頭で考えることそれ自体が「素直でないこと」になるので誰かに指摘されても「認知的不協和」に陥ることでしょう。

経営者向けの自己啓発では必ずこの「素直」ということを最重要視します。

しかし、素直というスキルは非常に重要なものの「考えないこと」ではありません。

この「考えないこと」というのは自己啓発セミナーなどの講師やメンターは教えてくれないはずです。

何故なら、「操りづらいから」です。

これは程度問題である部分もあり、文章だけでは非常に伝えづらいところもありますが、端的に言ってしまえば、考えないことと素直であることは似て非なるものであって、自分の頭で考えることは素直でないということではなく自分の心に対して正直であるということです。

自由になるために奴隷になる」ようなことをさせられているというケースもよくあります。

このように特定の誰かを手放しで支持することは非常にリスクの高いことなのです。

更に言えば、お金、貨幣というものが存在し、それが社会の根幹である以上、その”特定の誰か”もそれに対する反対勢力も、金を出す者、富を持つ者に支配されます。

その金を出す者を一見すると全く違う主体に観えても、根本のところでは「全く同じ金の奴隷」であり、その者が出す金の奴隷も再生産されていくので、詰まるところ頂点からしてみれば「同じ」なのです。

旧約聖書には「借りる者は貸す者の奴隷となる」とありますが、これは貨幣を前提にすれば出資だろうが融資だろうが関係ありません。

金で人を支配できるということをこの言葉は教えてくれています。

資本主義経済というのは「全体の負債」が増えること、つまり誰かが借金をすることで規模が大きくなっていきます。

お金を借りて投資することで借りた分より多く回収する、また、延々と借り続けること(完済しない)で資本主義経済は成り立つのです。

誰かが金を借りなければ成立せず、また需要が無ければ金を借りて投資しませんから基本的にインフレであることが前提になります。

貨幣が存在し、貨幣が人を支配し、貨幣や富で欲望を満たせるという社会である限り、特定の誰かを、特に政治にまつわる人間を持ち上げることは非常にハイリスクであってもしかしたら無意味とすら言える可能性があるのです。

この記事ではその辺りを考えてみたいと思います。

神輿は必ず汚れていく

例えばある政治家を持ち上げ、選挙運動にも懸命に協力し、晴れて当選した候補が何年か経過した時に、それまでと変わらず支援する人というのはどのくらいいるのでしょうか?

政治家というものは一度当選すれば、当選することが目的にすり替わります。

いわゆる一年生議員は、様々な勉強会や委員会などの集まりに呼ばれたり、自ら参加したりしますが、当初は右も左も分からないという状態なので”先輩方”に色々と教わることになります。

余談ですが、そういった集まりには仏教系のお偉いさんが関係者としてよくいると聞きます。

奏功しているうちにその議員は、ある色に染められていきます。それがお金の色です。

政治家はお金が無ければ当選できないし、国会議員でなければ旨味にもありつけません。

更に、支援者の要望に応えることが政治家生命を短くするということがあった場合に、その政治家はどのような行動をとるでしょうか?

うやむやにするか、やったように見せかけるか、全くやらないかのどれかでしょう。

少し前、玄葉光一郎氏が「この選挙は候補者の人生がかかっている」といった言葉を発していましたが、これが正に本音であり、選挙は政治家の就職活動なのです。

こうなった政治家の頭の中は、政治家として、国会議員としてどれだけ利権にありつくか、利益を上げるかといった政治屋になり果てます。

あるいは懐柔され、恥ずかしい写真を撮られて政商の言いなりになったりもするでしょう。

竹中平蔵の情報操作手法〜政商の時代〜

考え過ぎでしょうか?

私に悪人の行動力があればそれぐらいのことは朝飯前です。

悪人が善人を汚していき、その持ち上げられた神輿はいつからかゴミのようになっていきます。

そのように汚された神輿は以下のことを利用されてその状態になっていくはずです。

「恐怖」

「恥」

「快楽」

理解できる気がしますね。

政治家や官僚という立場の者がこのようなことにことごとく

引っ掛かるのであれば、国民に平和ボケしているなどと偉そうに講釈垂れることはできませんね。

もしかしたらパソナの高級サロン「仁風林」でこんなことが行なわれているのかもしれませんが、なにもないことを祈るばかりです。

個人としての人間と組織に属した人間は別人である

誰でも、仕事の顔とプライベートの顔は違います。

仕事の顔となれば、急に凛々しくなるように見えるかもしれませんが、通常仕事の時の人間の顔というのは「組織の犬」であることが大半です。

それはあなたが期待した政治家も同じです。

いつか他の記事にも書きましたが、政治家は「必ず」期待を裏切ってくれます。

 

演説している時のその人と、当選してからのその人とは全く違う人間なのです。

どういうことか?

組織というものに属している人間は、トップ以外は組織を構成する歯車、「部品」です。

部品というものは”役割”以上のことをすることはできませんし、したとしたら組織全体の調和を乱すこととなります。

となると、神輿に担いだ政治家が国会議員になったら国会議員という組織、政党という組織、派閥という組織、立法機関という組織、三権という組織など、それら全てを複合した圧力を加えられることになります。

そこで一人前出るといった行動をすれば、我が国ことですから、出る杭は打たれる、出過ぎた杭は”抜かれる”といったことになるでしょう。

我が国の政治家で死んだり、殺されたり、逮捕されたりした人はその前にどういった行動をとっていたでしょうか?

田中角栄、小渕恵三、石井紘基、鈴木宗男、小沢一郎、中川一郎、中川昭一など怪しい末路を辿った方ばかりです。

【日本国内】死去した著名な政治家一覧

彼らのした行動は、組織の調和を乱すことだったのでしょう。

それが、国民の利益になったとしてもです。

この場合の国会議員が考える”正しい”組織の調和を保つということは、「国民の不利益が前提」となるのです。

その根拠が国家公務員法であり憲法であるとも言えるのです。

「タブー」はどのように作られるのか?

日本国憲法

国家公務員法

陰謀論といった反論(レッテル貼り)もあるかもしれませんが、私は現状の結果で判断すべきだと思いますし、ある程度の社会通念、常識、通義で考えるべきであって、社会学等の学問という土俵のみ考える必要はないと考えます。

最早その段階にはないのであってそんなことを言っている場合でもなければ時間もないのです。

組織に属している以上は組織の論理で動かなくてはいけないということなど社会人であれば誰もがそりゃそうだろうと思うところでしょう。

しかし、その状態の個人というのは心と金を引き換えに善悪の区別もできず、心もない「部品」としての人間でしかなくなるのです。

正に「奴隷化」するということです。

辛辣に表現していますが、これは組織維持、企業統治といったガバナンスの観点から言えば仕方のないことです。

コーポレートガバナンス

ひとつの組織内で誰もが自由な振る舞いをするということは、時が経つにつれ、確実に無秩序という状態に変わっていきます。

組織は一定のまとまり、組織内で共有される”モノ”が無ければ、組織維持は困難なのです。

この「組織内で共有されるモノ」とは、同じルールの場合もあれば、同じ目的、同じストーリー(思い出や苦労など)といったことです。

この組織をひとつの人格とみなすものが「法人格」というものです。

因みに労働者派遣法が規制緩和されることと、解雇規制の緩和が行なわれることは、この「従業員の部品化」、「奴隷化」を強化する法改正であることは理解しなくてはいけません。

もちろんメリット、デメリットはありますが、デフレ下で行う政策ではありません。

なぜ日本で「解雇規制の緩和」が進まない? 倉重弁護士「硬直した議論はもうやめよう」

企業が労働者を解雇しやすくなるということは労働者の交渉力は低下します。

労働者の立場を守るのは基本的に「制度」と「個人の能力」しかありません。

企業がロビイングや回転ドア(有識者会議)等によって制度上の労働者の力を削ぎ落とすということ実際に行なわれることで、企業は労働者に対して強気に出られるようになります。

一方の労働者は解雇されたらどうしようと不安になるためにとても反抗する気にはなれないでしょう。

いくら人手不足と言っても、業界に偏りは見られますし未だに外資や大企業のコスト削減圧力は収まりません。

派遣会社に登録して、どこかの企業に派遣されたところで、数ヶ月毎の更新や、最悪の場合派遣契約ですらない場合があるので保障など全くありません。

それが怖いとなれば、正社員という立場にしがみつくことが一般的に「合理的な判断」となってしまうことは想像に難しくありません。

雇用のミスマッチといった問題もありますが、それはデフレを脱却してからでも遅くはありません。

同一労働同一賃金」、「非正規”という言葉を無くす」という言葉にも欺瞞があります。

現在の非正規の待遇が世の労働者の大半であり且つ、外形を整えれば、それは「正規雇用」と言えますし、「同一労働同一賃金」と言えますが、どちらに合わせるかについて言及してないところを観ると、確実に労働者の賃金は上がらない方向に向かっていくでしょう。

少し脱線しましたが、「個人の組織としての人格」が強化されれば我が国はジョージ・オーウェルの、「1984年」の世界にまた一歩近づくことになります。

この世に嘘を全くつかない人間などいない

これは言うまでもありませんが、人間は嘘をつく動物です。

「知能が高い人ほどウソをつく」 虚偽検出のプロが語った、”ウソ”の科学

男性は1年に平均1092回ウソをつく、女性は728回。男と女のウソベスト10

平均的な人間は、1日に10~200回はウソをついている!?それがストレスになっている!?

思いやりのある嘘や、他人を傷つけないための嘘もありますが、こと金が絡むと人は組織の為にとか、国の為にと大義を騙りつつ自己利益に結びつく嘘をつくようになります。

国のため、会社のため、組織のため、家族のためと言いながら、嘘をつかなくては生きていけないという状態を人は、「仕方ない」、「社会というのはそういうものだ」と諦めます。

嘘をつかなくては生きていけない社会で、誰かを持ち上げても結局その人も腐っていってしまうのであれば、誰かを救世主のように担ぎ上げても何の意味もないということです。

繰り返し裏切られ、認知的不協和で自分に間違っていないと言い聞かせて自分の心に嘘をつくようになることは火を見るより明らかです。

もちろん持ち上げられた人だって好きで腐っていくわけではないでしょう。

そのような構造に社会は構築されてきたのです。

国民のためにと政治家になり、国会議員になり、いざ支援者の為に頑張るぞと思ったら、よくわからない圧力を受けたり、嫌がらせされたり、身に覚えがないことでマスコミが攻めてきたりと、それを観て支援者もマスコミを信じるし、となれば腐って当然です。そりゃ絶望もします。

社会というのはストレスを生み出すように設計されているのです。

何故でしょうか?

それは人間が「利益の為に嘘をつくから」です。

更に本質的な理由もありますがそれは別の記事で書きたいと思います。

「自分」が変わることでしか希望は見出だせない

私の話は非常に暗いと私自身読み返してみてもそう思います。

希望がなくては生きていけないということも尤もではありますが、私は、「絶望の中からしか希望は見出せない」と考えています。

よく、「日本人は落ちるところまで落ちないと目が醒めないんだ」という意見がありますが、そんなことはありません。

何故なら、目が醒めていない人間は落ちていることにも気付けないからです。

日本国民の目を醒ますには、絶望に絶望を重ね、3S政策、WGIPで狂った日本人でも感じられるリアリティのある絶望を感じさせないことには目が醒めるなどいうことはあり得ません。

まして、個人主義的発想で戦後教育を行ってきたのですから、絶望を感じるのも正に”人それぞれ、主観”となりますから国民全体に絶望を感じさせることなどどうあっても不可能です。

 

その絶望を感じた時に日本人は自分自身を変えるという選択をしなければ生きていけないことになるでしょう。

311の大地震の日に生まれた人もいます。

マイホームが建った日に津波で家が流された人もいます。

最愛の人を亡くした人だっているのです。

私だって絶望するでしょうし、心は乱れに乱れることでしょう。

しかし、それでも生きていかなければいけないとなればそのような絶望の中でも僅かな光を希望にして前に進まなくてはいけないのです。

これは他人がどうこうという問題でなく「自分が変わること」で見える光です。

何故か他人を変える、社会を変える、流れに乗っかる、そういった感覚では「希望」は観えないのです。

希望に”見える”だけなのです。

結局、自分が変わることでしか世の中は変わらないし、希望も観えないのです。

 

絶望した時に、自分が変わることなく見える”希望”は恐らくショック・ドクトリンです。

まとめ

特定の誰かを持ち上げても何も変わらないという意味はご理解いただけたでしょうか。

自分のレベルが上がれば、それまで凄いと思っていた人がそんな風に思えなくなったり、間違っていたと気付いてしまうこともあるかと思います。

しかし、認知的不協和や自分が信じたいものだけ信じるというのであればそれは最早、質の悪いカルト宗教と何も変わりません。

以下のようなパターンを私はよく観ます。

1義務教育等で自虐史観を学んだ。

東京裁判史観

2しかし、実際の第二次大戦は日本の自衛戦争、アジア解放の戦争だった。

大東亜戦争の目的

大抵の人がここで考えるのを止めてしまいます。2の時点の内容が真実だと思いこんでしまうのです。

サヨクからウヨクに転向し、反サヨクになるだけで止まってしまいます。

それからは、自己愛的な愛国心と民族主義的に凝固まってしまい、ただただ自分達の意見に沿ぐわない意見を攻撃し、自己の主張と意見、根拠を盲信してしまうのです。

更に、認知的不協和も合いまって、自分の知らないことは陰謀論と断じ、自己の思想に都合の悪い事実は排除していきま、そこから先には進めなくなるのです。

 

そもそも立場によって物事の見方などいくらでも変わるということを見落としている可能性すらあります。

例えば以下のような情報を保守の人はサヨクが施したプロパガンダと断じ、サヨクは安全保障を考えないからただただ日本政府の批判材料にします。

東条英機と関東軍と満州統治とアヘン売買の密接な関係ーYouTube

 

国家規模でアヘンを扱い、阿片王とまで言われた里見甫が三井物産、昭和通商という陸軍商社をからめ、また昭和通商には陸軍中野学校の出身者がいたことも有名なことです。

 

 

サヨクも保守も現在の価値観で当時を語ることが問題であってそのレベルでは同じ穴のムジナなのです。

綺麗事で国防はできません。

私自身、このことを批判するつもりは全くありません。

現在でも、CIAが麻薬ビジネスを行っていることは公然の秘密です。

Obama Flees After Massive Drug Bust Aboard Lady Michelle Vessel In Caribbean

 

よくあることです。

しかし何故、保守もサヨクもそんな発想というか思考回路になってしまうのか?

それは、大半の人間が変化と刺激に耐えられないということと、混乱することへの恐怖、洗脳が強いということ、視野が狭いということです。

思考停止」が深刻なのは我が国の場合、戦後日本人的なサヨクよりも、保守と言われる人達かもしれません。

サヨクがおかしいのはわかりきっているのにも拘らず、なぜ未だに相手にしているのか。

私にはとりあえずお花畑のサヨクを叩いていれば、アメリカの属国であることは大ピラにせずにやり過ごせると思っているのではないかと感じてしまいます。

何故そんなわかりきったことを言わずに、威勢の良いことだけを叫んで教育を変えるべきだの、日米安保の強化、安全保障を強化すべきだの言っている保守の人達こそ、日本国民に眠っていて貰いたいのではないかとも思ってしまいます。

彼らは世の中には表と裏、光と影という二元論で説明できると考えているのでしょう。

ところが世の中はそれほど単純ではなく、二元論で説明出来るのであれば、世界はとっくにユートピアを築けています。

私達は誰か他人を持ち上げて何かを変えようとするのではなく、自分が変わることで何か出来る範囲で社会に影響を与えることが最も重要なことなのです。

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