「嘘」がこの世界に蔓延していること、嘘が世界を支配していること、こういったことは多かれ少なかれ、遅かれ早かれ多くの人が気付く真実です。
私は小さい頃に「嘘をついてはいけません」と教えられました。
ついてはいけない嘘というのは、
「誰かを陥れる嘘」
「自分だけが助かるための嘘」
と教えられました。
しかし同時に「嘘も方便」ということわざも教えられました。
許される嘘、ついても良い嘘というのは
「誰かを守るための嘘」
「誰かを傷つけない為の嘘」
「誰かを助けるための嘘」
と私の父は教えてくれました。
ところが、現代社会に蔓延している嘘というものは「自己の利益を確保するため」という動機が昔よりも一層強くなっているのではないかと感じます。
とは言え、人間である以上嘘をつくことは仕方ないとは思います。
そんなに人間は強くありませんし、全く嘘をつかずに家族や仲間を守ることはおそらく不可能でしょう。
しかし、嘘を嘘と見抜くことができなければバカを見てしまう現実もあります。
この記事では、「嘘はバレるまではテクニックであると考えられている」と題して、これを考えてみたいと思います。
陰謀論者も使っている情報操作
世の中には陰謀論者と言われる人がいます。
その人達は、普段大衆が目にしている現実とは真逆の角度から現実を観ているのですが、基本的には
”裏の取れない情報”がどうしても多くなる傾向にあるようです。
嘘というより不勉強なのかもしれません。
自己の立場を利用して立場のある人間から証言を聞いたということもあるでしょうし、むしろその証言者に利用されてる可能性すらあります。
何故なら、彼らの”予想”は大抵当たらないからです。
私もWikipediaを情報源として使いますが、もちろんそれが全てではありません。
また、情報の根拠としてお金を追うことに関連して”権利”を追うこともあります。
ここで言う権利というのは物権のことであり、所有権や留置権、抵当権、永小作権など、法で定められた法定担保物権のことを指しています。
例えば不動産の所有権移転登記や株主の株主を追ってみたりすることで権利関係を把握することができますが、ただ”そこまで”なのです。
物権を追っていくとおもしろいこともわかったりしますが、それでも裏を確実に取ることは非常に難しく、私もそうですが当然批判的になります。
いわゆる陰謀論者の話は「悪事の物的証拠」とまでは早々無く、基本的に状況証拠と権威のある肩書のある者の証言に終始します。
私自身も推測を状況証拠でこのブログに書くことをしていますが、推測はあくまでも”推測”なのです。
このブログでは、情報操作やプロパガンダの話題を多く扱っていますが、その理由はこういった陰謀論者系の人もこの、情報操作やプロパガンダの技術を利用するからです。
バレづらい嘘のつき方
例えば、「自己の利益になるバレづらい嘘」をつくためにはどうすれば良いでしょうか?
基本的にいわゆる陰謀論者は情報発信をインターネット、書籍、講演で行います。
一般社会で受け入れてもらえない説を唱えるわけですから、その説を信じてもらうためには、あるいは注目される為には、「ブッ飛んでる説」や「一般大衆に非現実的な現実を見せること」が必要になってくるわけです。
これはマーケ-ティング技術でも言われることです。
いわゆる「差別化」に近いものです。
例えば情報商材系のネットビジネスやマルチ商法の連中でも、その商材を販売する側はいつも背伸びしています。
大抵、高級車、タワーマンションからの景色、パーティーの光景、高級ホテルの一室、海外リゾート地の光景と自分、とこんな風に今や簡単に作れる動画や写真で、消費者の心理を揺さぶるのです。
私の経験上、そういう連中の実態はクレジットカードは枠いっぱいで利用できない、財布は綺麗だけど中身は空っぽ、ヒモみたいな生活をしているといったことが多かったのです。
どうやってそういう連中の実態を知れたのかというと、交友関係や身元調査などをしたことがあるからです。
50億円を越える大きな金額の投資案件を持ち込んだ人間だったのでその場合に相手の身辺調査をすることは基本中の基本なのです。
以前、M資金詐欺という詐欺事件がありました。
これは、国家に関わるお金で現在でも極秘で運用されているといったストーリーで巨額(100億円単位)な資金融資を語る手口です。
もちろん全部嘘です。
しかし未だに横行しています。
陰謀論をネタに陰謀を企てて金を騙し取るといった話です。
これに騙されるのは有名人や大企業重役など要人と言われる人が多いのです。
普段は陰謀論をバカにしている人達という感じですが、彼らでも騙されるのです。
この詐欺は、騙される側の承認欲求やプライドの高さや社会的地位が仇となる詐欺です。
またGHQがその詐欺ストーリーに登場するため何か尤もらしいのでしょう。
他に、詐欺師はこういった手法も使います。
詐欺師は偽名を使う場合「三文字の苗字」を使いたがります。
心理学者の内藤誼人氏曰く三文字の苗字には、「立派な印象」を与えるのだそうです。
神宮寺、二階堂、竹之下、安慶名、飛鳥井、安曇川、一法師、など色々ありますが、なんとなく
「いいとこの人」のイメージは醸し出します。
人を信用させる方法などいくらでもありますし、それらを利用して注目される上にバレづらい嘘をつくには、「背伸びすること」と「ブッ飛んだ話をして、相手を非現実に引きずり込むこと」が重要になってきてしまうのです。
ヒトラーも言うように、「大衆は小さな嘘より大きな嘘のほうが騙されやすい」ということです。
こうして判断能力を奪っていきます。
いわゆる陰謀論をやっている人の中には「天皇」の悪事について語る人が多くいます。
かなり「ブッ飛んだこと」を書いています。
悪事ではないにしても、「天皇はすり替わった」といったいわゆる”明治天皇すり替え説”、「田布施問題」が有名です。
悪事については、大東亜戦争を引き起こした昭和天皇はスイスの銀行に金を隠したとか、赤十字と皇室が繋がっており、大衆から献血として血をもらう一方で、献血された血を販売しているとか、様々語られるのです。
そういった話を聞いてみたり、読んでみたりすると確かにそうかもしれないとは思わなくもないのですが、だからといってその真偽はどうやって判断するのかということに毎度思うのです。
仮に事実だとしても、2700年続いている我が国のトップがこれまでの歴史の中で清廉潔白に国を継続させることなど出来るはずがありません。
余談ですが、最近、大企業でも不正が続々と発覚しておりますし、裁判所や検察庁の裏金問題、警察のニセ領収書問題、企業の不正を挙げればキリがなく、官の不正もいくらでもあるのですから、一個人がそれも国家のトップである天皇を断罪する資格はあるのかという気にもなります。
多かれ少なかれ誰でも悪事はやっているのです。
これは、人間である以上仕方ないということでもありますが、だからといってほっといても良いということではありません。
要はバランスであると私は思います。
善悪のバランスが悪に90傾いているなら真ん中に近づけるべきだと思いますし、善に寄っているなら60とか70ぐらいに近づけるべきと考えます。
私は「善」が世界を支配することは国家の破滅を招くと考えていますし、現実問題不可能でしょう。
人類はまだ「善」を使いこなせません。
話を天皇の悪事を糾弾する人に戻しますが、質が悪いのは天皇や神道、仏教などの他の思想や宗教を「悪魔崇拝」、「悪魔崇拝者」と決めつけ、そこから更に特定の宗教に誘導するという手法が取られています。
悪魔崇拝が存在することは私も知っていますし、悪魔崇拝者にバチカンが乗っ取られている節もあるぐらいなので、それは事実でしょうが、そこから飛躍し裏の取れない情報を状況証拠からそれを「真実」として流布し、
「神はイエス・キリストのみである」とカトリックへの入信に誘導します。
これでどのような結果が生まれるでしょうか?
こうすることで日本国民を分断させることができます。
これを信じてしまったら国民は一層バラバラになり、戦後からの個人主義の意識に拍車を掛けます。
そして、自分は日本人ではない「地球市民だ」となります。
結局はグローバリズムを推進するという結果だけが残り、読者から金を掠め取るだけの活動になるのでしょう。
皇室批判をしたいのであればすれば良いと思いますが、皇室が無くなれば、海外から凄い国とは思われなくなるでしょうし、また自由に海外に行くことも出来なくなるでしょう。
我が国を作ってきたのは皇室だけではなく、一般の先人の努力です。それは絶対に否定できるものではありませんし、神道、仏教、儒教が融合したいわゆる神仏習合が起こり、武士道が生まれたことを考えるとそれまで悪魔崇拝の分派くらいの認識にならざるを得なくなります。
よくよく考えてみて欲しいのですが、何かの出来事を後知恵で考えればどのようなストーリーでも構築することができるのです。
皇室という権威が日本人をまとめている最後の砦です。
たかがインターネット検索や書籍を大量に読んだくらいで世の中の真実を見ることなど到底不可能です。
それでよく自分は真実を言っているなどと言えるのか私には非常に不思議でならないのです。
この手の陰謀論者というのは、真実を拡めて大衆を覚醒させるとは言うものの、仮に大衆が覚醒した後に今よりもひどい「大混乱」が起こることには一切言及しないのです。
真実を拡散すること自体大事ですが、わざわざ国民を分断して、国民のナショナリズムを破壊することは、結局のところ、大衆がそれを知ったとしても大衆に幸福が訪れる結果にはならないことは明白です。
テレビや新聞などの既存のマスメディアもひどいですが、段々とインターネットも侵されてきていると感じます。
「嘘」を倫理的に捉える必要が無いと考える人達
このブログでは主にメディアの嘘や情報操作、政府の情報操作を書いていますが、彼らは詐欺師と同じように「嘘を平気でつく上に堂々とつく」のです。
以前にも書きましたが以下の記事で細かい既成事実化、プロパガンダの手法を説明しています。
つまり、為政者や支配者層は嘘を悪と思っていないと言えます。違う言い方をすれば私達一般人が教えられる「嘘をついていはいけません」は彼らからしてみれば全く逆で「悪」の可能性があるのです。
時の支配者が一番怖がるのは、反逆、クーデターです。
支配者が国民全体の教育を施します。
それを義務教育などと言いますが、支配者からしてみれば大衆が正直であることは都合が良いのです。
ということは、「嘘をつく」という概念を支配者は倫理的に捉えてなどおらず、単に「テクニック」だと思っているのではないかということです。
大衆に嘘をついて騙そうとするのはいつも、社会的の地位の高い人間、あるいは組織です。
国会議員、官僚、大学教授、弁護士、検察、警察、マスメディア、コンサルタント、大企業、銀行などでしょうか。
おそらく今回の衆議院選挙でも、誰が当選しようと何も変わりません。
国民はまた、「身を切る改革」という言葉に惑わされ、自分の身を切ることになるでしょう。
彼らは自分が当選すればあとは知ったことではないのですから、いくらでも国民にとって耳触りの良いことを言うのです。
言うだけですが。
政治家が当選すれば気持ちよく忘れるのは毎度のことです。
マニフェストが我が国の構造的に守られない部分もあると理解はしていますが、政治家もそれを知っているからこそ以下のような発言が出るのでしょう。
先日、玄葉氏が言っていました、この選挙は「候補者の人生がかかっている」と本音を言っちゃったのです。
彼らにとって選挙など就職活動のようなものです。
知るかよという話ですがひどすぎて笑うしかないという程です。
大臣経験者がこのくらいにしか思ってないのですから、我が国の国民のことなど、ましてや安全保障のことなど考えるはずがありません。
だから変わらないのです。
改革という言葉が叫ばれるようになって何が良くなったのか知りたいものです。
いつも、国民が彼らの嘘を許容する結果になります。
国民も国民で政治家がどんなことを言っていたのか忘れてしまいます。
我が国に「嘘はバレるまではテクニック」と考えている連中がいるのは確かです。
ところが、深刻なことに「日本では嘘はバレても大丈夫」となっていること、これは最低限、是正しなければ亡国まっしぐらでしょう。
いわゆる国の借金問題という嘘、人口減少で衰退するという嘘、消費増税を社会保障費に使うという嘘、日本は独立国であるという嘘など我が国に蔓延している嘘は必ず亡国に至ります。
デフレの国で増税する国なんて過去に一度もありません。
未だ、財務省の国の借金プロパガンダに騙されている人が一人でも減ってくれることを切に祈っています。