根拠のない情報への接し方


根拠の薄い情報」、「デマ」、「風評」、「流言」など一般に根拠のない情報は溢れています。

情報化社会において情報の信用度、確度はその情報の真偽を判断する上で重要な要素であることは言うまでもありません。

しかし、逆に「根拠のある情報」とされる科学的データによる情報、権威が公表する情報と呼ばれる情報は現在どれほど信用に値する情報なのでしょうか?


ご存知の通り、官公庁のデータ改ざんや政府の詭弁が大きく報道される中、”信用できる”情報、”根拠のある”情報の客観的確度は失墜している状況です。



このような社会になれば当然、「何を信じていいいかわからない」という感情が芽生えるのは当然です。


だからこそ、公文書改ざんは重罪に設定されますし、混沌とした社会を生み出した要因として非難されるのです。

というわけでこの記事では「根拠のない情報への接し方」としてこのあたりを考えてみたいと思います。


根拠のある情報など存在しない

いきなり何を言い出すのかとお思いになるかもしれませんが、これは大事な考え方です。

根拠のある情報とはこれまでは、権威や科学的根拠を元にした情報でしたが、それらの情報が根拠のある情報ではなかった、その情報を判断するための科学的根拠は操作可能ということがはっきりしたということを前提に考えます。

これまでは、


「根拠の薄い情報=与太話、妄想、噂など」


という認識でよかったのですが、現在は、


「根拠の薄い情報=考察、思考の材料」


というように変更を強いられていると言えるのです。


これはある意味では、人類が成長するよい機会とも言えます。

と言うのも、民主主義システムというものは本来、



「自分で考え、自分で判断し、自分で行動する社会システム」

だからです。


ところが、他の記事でも書いたように民主主義システムは誕生以来、成立したことがありません。

常に財界が献金という投票で政治家を支配し、その政治家は国民に対し欺罔行為を行い、一般大衆はその欺罔行為に騙され、「救世主」と持ち上げる。

そして、その救世主が偽物とわかると大衆は新たな救世主を求め「権力が作り出した救世主」を崇めるようになります。


基本的にこの繰り返しでした。




しかし、現在の状況は救世主を求めることができないということを大衆に対し事実として突きつけているといった状況になっているのです。

これは、大衆が自ら考え、判断し、行動する良い機会と言えるのです。

一般に「根拠のある情報」といった場合には、以下のような要素で語られることが多いものです。


「研究機関が出したデータを元に導き出した情報」


「大学教授や専門家、国際機関などの権威が公表した情報」


「官公庁が公表している統計データ」


「国会議員が発言した情報」


基本的にはこれらの情報は学術的な要素や情報発信者の責任に基づいて出されていることになっていますから、「信用できる」ということになっていたのです。

ところが、以下のことを考えてみるとこれらの情報が根拠のある情報(事実)、と言えるのか疑問になってきます。



「研究機関が出したデータを元に導き出した情報」

ーその研究機関の運営資金がどこから調達されているのか?

その運営資金を捻出する組織(企業、資産家、財団等)にとって都合の悪いデータは出すことができるのか?



「大学教授や専門家、国際機関などの権威が公表した情報」

ーその大学教授の所属する大学で行われる研究費はどこから支払われているのか?

国際機関が出す情報が、その国際機関で影響力のある人物が

ある目的を達成させるために結論ありきの情報を出すことはあり得ないのか?



「官公庁が公表している統計データ」

ー官公庁に所属する人間が時の政権(内閣人事局)や上官に人事権を握られている場合、政権、上官にとって都合の悪い統計データを出すことができるのか?

出した場合に左遷、失脚、出世の芽を摘まれるといったことは発生しないのか?


「国会議員が発言した情報」

ー自分の発言に責任を取るのか?(取らない)


このような疑問が出てきた場合、「何も信用できない」となるのは自然なことでしょう。

現在のこの状況は、このようなことを考えないと信用に足る情報は得られないという現実を映し出しています。


つまり、「根拠のある情報は存在しない」ことを前提に考えることが、この混沌として現実に立ち向かう為の解決策となり得るのです。


根拠のある情報も根拠がない情報も大差はない

根拠が薄い話、ない話というのは、一般的に「誰が言ったか」を要素の大枠とします。

一般人が言うことには「権威による信用」はありません。


その一般人が発信する情報の背景は、その人の情報量や経験などを基に「情報を発信」します。

その情報はその情報発信者のコミュニティでのみ拡散されます。

しかし、どこまでいってもその「情報」は噂、与太話、良くて「公然の秘密」止まりです。



となると詰まるところ、「公になっていない情報」が根拠のない話、薄い話ということになる


では公の情報とはなんでしょうか?

それこそ、テレビ、新聞などのマスメディアで公表された情報ということになります。

マスメディアは「議題」を社会に設定する機関である



例えば、以下の記事の情報も書籍化した物からの情報や公文書館の情報から取り出した情報でも「根拠がない情報」と社会は認識するでしょう。

歴代日本人スパイが大物ばかり〜アメリカに媚びた日本人〜


今時、マスメディアも誤報や情報操作、プロパガンダも露骨に行うので、根拠が薄いとか根拠がないとかそういったことは問題ではないということになります。

マスメディアが「嘘でも報道してしまえばそれが真実」と言っています。

TBS社長【井上弘】語録


となれば、一般人が発信する情報もマスメディアが発信する情報も情報の信用度のみに焦点を当てれば「大差がない」ということになってしまうのです。


数字、データが信用に値するのか?

学術的に、ベイズ統計やDNA鑑定、ベル曲線(正規分布)、ポアソン分布、世論調査など様々な手法が存在します。

https://to-kei.net/


これらは詰まるところ、

「学術的権威を持たせた恣意的情報」

となります。


どのような学術や技術も使うのは人間です。

人間の営みの中で、様々な人間関係やしがらみ、利益、支配構造などの要素は切っても切れない関係あります。

誰もが「生きていく」必要があり、それを阻害する活動を自ら行うことはほとんど無理難題と言えます。

だとしたら、自身の生存活動に当たり障りのない統計データを、「結論」、「結果」として発表することは、それが真実でなくともある意味では人間として当たり前の行動となります。

このようなことを考えた時に、科学やデータを根拠と盲信することは危険なことです。


ご存知の通り「科学的根拠」とされたことが数年後には全く違う結論を「科学的根拠」で発表されたりします。

科学的根拠はあくまで「参考程度」です。


執拗に根拠を求める人間は、明確な根拠があったところで何もしない

私はこれを何度も経験しました。

実際にネット世界でも根拠を欲しがる人は多いですしルール化している面もあります。


しかし、いくら科学的根拠を備え、提示しても、相手が認めざるを得ないとなった状況になっても、「受け入れない」という現象に阻まれるのです。

身近な言葉で言えば、「陰謀論」、「トンデモ説」、などのレッテルを貼られておしまいということになります。


なぜ、このような現象が起こるのかと考えた時、私の中である結論が生まれました。

それが、「多くの人間は見たくないものは”見たくない”」ということです。


それを事実として受け入れたら、心安らかでいることはできなくなります。

つまり苦しいのでしょう。

それを事実として受け入れたら、「絶望感」に打ちひしがれると思ったら「まやかしの希望」にしがみつくこともある意味では人間らしいと言えます。

今回の参議院選挙でもそれは如実に現れていました。

「大衆に希望を運んでくる者は、「希望」と書かれた絶望行きのチケットを手渡してくる」

ということです。


認識と解釈

これまで書いたように、結果としてどのような情報も情報の受け手の認識と解釈に依存します。

情報を正確に理解し、認識することは非常に難しいことです。


認識はできても理解ができないなんてことはザラですし間違った解釈も当然に生まれます。

これらのことを踏まえると情報という物は結局、「自己に内包する知識や情報、性格に依存する」というように思えます。

一言で言えば、「自分の心が決める」ということです。


情報をどのように認識し、理解し解釈するのも自分次第です。

その情報を真実と思うこともデマだと思うことも自由なのです。


問題は、それまで真実と思っていたことが間違いだと気付いたときにどのような行動が取れるかということです。


これまで正しいと思っていたことが間違いだと気付いたときにそれを間違いと認めることはとても「勇気」のいることです。

多くの場合この「勇気」がある人はそれほど多くありません。


ビジネスで情報を扱う人は尚更自己の言説を変えることはありません。

ビジネスにおいてそれはご法度ですので、それをした場合ビジネスが成立しなくなります。


四書五経の論語の中にこのような言葉があります。


「義を見てせざるは勇なきなり」

故事ことわざ辞典


信じるに足る情報はどこにあるのか?

一言で言えば、

「その情報で物質的利益にならない者が唱える言説」

です。


金持ちやテレビに出ているような人間の唱える言説は全滅と言っていいでしょう。

福沢諭吉も言っていますが、「最も恐れるべきは、貧にして知のあるもの」です。

天は人の下に人を造る


もちろんそれだけではありませんが以下の記事も合わせて参考にしてみてください。

どうしても「根拠」が欲しい人は何も観えなくなる

根拠のない情報の蓋然性

情報操作はなぜ起こるのか?〜メディアの構造と金の流れ〜

嘘を見抜く方法〜正確な情報の掴み方〜

何を信じればいいのかわからなくなった時に




京都アニメーションの事件では多くの方が亡くなり非常に悲しい想いがあります。

被害者の方へご冥福をお祈り致します。

私はdアニメストアがちょっとした生き甲斐になってるほどにアニメが好きなので非常に辛いところです。


アニメ業界のスタッフはブラック企業も真っ青になるほど大変な環境で制作しているところがほとんどですから、本当に悲しく思います。



この事件の報道を聞いた時、私は秋葉原通り魔事件を思い出しました。

あの事件は曰く付きの事件で権力犯罪の可能性があると私は思っています。

下衆の勘ぐりと思われるかもしれませんが直感としてそう感じたのです。

誰か言うかなとは思いましたがやはりいるものですね。

京都アニメーション集団放火殺戮事件でささやかれるCIAの黒幕説。

選挙前に事件が多いのは世界的に共通していることではあるのですが…

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