我が国は三権分立という司法、立法、行政がそれぞれ独立しているということになっています。
しかし実際の三権分立とは「三権複合」といった具合に司法は、政治や世論から圧力を掛けられれば結論を変え、行政は立法機関である政治家をうまいことコントロールし、国民にとって有益な政策を行わないようにしたりします。
なんのことを言っているのかわからないかもしれませんが、司法で言えば、統治行為論という近代法の法理というパッケージに包んだ米国からの圧力という見方もできますし、またこのことから日本が植民地であるという見方もできます。
更に、国賠訴訟で国家が国民に敗訴することはほぼありません。これは元裁判官である生田暉雄弁護士や、「絶望の裁判所 (講談社現代新書)」を上梓された瀬木比呂志氏が仰ることです。
司法においては、三井環氏が告発した検察庁の裏金問題、あるいは生田暉雄弁護士が暴露している最高裁判所の裏金問題、東京地検特捜部が何故か「CIA」の研修を受けそれがエリートコースだったりと問題はいくらでもあります。
裁判所という場所が最早、欺瞞になりつつあるという状態なのです。
これは国家の非常事態でありますが、それが報道されることはありません。
「第四の権力」と言われるメディアが報道しないということは、このメディアという権力も「四権複合体」となっていることの覆し難い事実です。
とは言え、第四の権力と言われていたメディアですが、私は、どうもこのメディアの幹部、主にマスメディアの大物幹部が政治の舞台に身を移すということは、とかく聞いたことがありません。
電通の成田豊氏、NHKの海老沢勝二氏、読売新聞の渡辺恒雄氏、正力松太郎氏、フジテレビの日枝氏ととにかく有名な人は多くいますが、政治の舞台に転身した人はいません。
これだけ能力があったり、強欲だったり、売国奴だったりする人達が更なる力を求めずメディアという業界にい続けたのには理由があります。
それは、「メディアは”第四の権力”ではないから」です。
つまり、メディアは三つの権力よりも強い「第一の権力」だということを彼らは認識していたからこそ、メディアの立場にい続けたのです。
わざわざ、今の立場よりも、自ら弱い立場になる人間がいるでしょうか。
いたとしても相当な変わり者でしょう。
したがってメディアは第一の権力なのです。
この記事では、メディアが第一の権力である、あるいは”あった”理由を考えてみたいと思います。
特定の人間のイメージを作ることが出来る
例えば、今は「貴乃花親方」がやたらとテレビに取り上げられていますが、スポーツ紙で使われている彼の写真にしても、テレビで使われているシーンというのは、常に、
「貴乃花親方のイメージが悪くなる使われ方」です。
この構図を観ると、なんでこんなことになったのかの発端を知らない私でも、
「貴乃花親方は何か大きな権力に挑戦しているのかな?」といった推測ができます。
とにかく、現状マスメディアは懸命に貴乃花親方をこき下ろしている様子がうかがえます。
現在のマスメディアに”信用があるのであれば”視聴者は「貴乃花親方は悪い奴だ」というイメージになることでしょう。
それは、政治家だろうがタレントだろうが全く同じです。
ベッキーは叩くけど、身内は叩かない、政治家は叩くけどスポンサーは叩かない、ジャニーズは叩かない、バーニングも叩かない、電通も叩かないといった、「弱い者は叩くけど、強い者は叩かない」論理がマスメディアということです。
俗っぽい言い方をすれば安パイしか切らないんです。
上層部でNGがでなければ報道するのがメディアです。
業界政治と言ったりしますが、ある業界が他の業界の影響を与えることなどいくらでもあることですが、ことメディアの場合”情報を扱い公共の電波を利用している”特性上、影響が甚大なのです。
これからみても、そもそもマスメディアが事実を報道する機関ではないことがご理解いただけると思います。
人の人生を終わらせることができる
まだ憶えている人もいるかと思いますが、オウム真理教を批判して殺害された坂本弁護士一家は、TBSの失態によって殺されました。
オウム事件でTBSが犯した不祥事とは?これは許せないんじゃないですか?
このように人の人生を終わらせることができます。
といってもこれはイレギュラーな方で、通常一般人を執拗に報道し続け、ノイローゼにさせてみたり、自殺に追い込んだりといったことが、マスメディアのデフォルト、オーソドックスな方法です。
かつて、東京都足立区綾瀬で「綾瀬女子高校生コンクリート殺害事件」というのがありました。
当時の報道は非常に激しいものだったようで、友人を伝ってその時の状況を聞いたことがあります。
「本当の意味で被害者や遺族を殺すのはマスコミだ」とさらっと言っていたことを憶えています。
コンクリ事件と検索すればすぐに出てきます。
映画化もされましたので非常に有名な事件ですが、事件の内容は筆舌に尽くし難いものなのでここでは説明しないことにします。
そもそもテレビに出て全国に自分の顔が映るということに耐えられる人など早々いません。
そういう意味でテレビに出て仕事する人は凄いのです。
見世物と言えばそれまでですが、元々、芸能とは見世物ですし、歴史的な背景もそれほど明るいものでもありません。
余談ですが歌舞伎業界が皇室の真似事かなにか知りませんが世襲で代替りしていることが私にとっては気にいらないと個人的にはそう思っています。たかが100年、200年ほどの歴史で皇室の真似事をするのはいかがなものかとかとも考えたりします。
市川海老蔵氏には悪いんですが、最近は市川海老蔵氏が三又又三氏に見えて仕方ありません。
適宜、都合に合わせて情報を歪ませることができる
いわゆる「従軍慰安婦問題」やいわゆる「南京事件」など、その時の社会の空気や背景から、それが視聴率や部数を伸ばせるネタであれば、いくらでも情報を曲げて報道しますし、決して公平、中立性を保つことはしません。
これはテレビの話です。
新聞は立場があっていいですが、テレビはそれができないように放送法で規定されています。
現在は、いわゆる「国の借金問題」、いわゆる「プライマリーバランス黒字化目標」、いわゆる「財政破綻問題」、いわゆる「人口減少で衰退する」など数え上げればキリがありませんが、メディア側の都合で情報が歪められているのです。
例えば、財務省とJTの関係を報道したテレビ局はどれほどあるのか、抗がん剤の本当の効果を報道する大手メディアはあるのかということです。
これらは恐らくメディアではタブーの事柄でしょう。
タブーに手を付けるというのは付けられた方からしてみると、「他人の米びつに砂撒くような真似しやがって」となります。
だからこそ、真実を追うジャーナリストが死ぬんです。
日本医師会、官房機密費、統一教会、公安警察、東京地下発電所や変電所、皇室と金正恩と拉致問題の関係などいくらでもあります。
フランスの神学者であり哲学者であるリギョールが明治33年3月に出版した「秘密結社」の中で批判している団体のことや、リギョールとリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーとの関係がどれほど日本に大きな影響を与えたのかということをマスメディアで語られることはありません。
マスメディアがなぜ情報を歪ませる必要があるのかと言えば、基本的に以下の目的です。
「視聴率や部数などの”利益”」
「操作された情報を流すことで不利益を避けるという”利
益”」
「情報を流さないことによって得られる”利益”」
です。
メディアの弱点
メディアの弱点は
「お金と法律と権力」
です。
メディアは基本的に違法行為を是としているようですが、違法行為というのは、メディアのとっては、「問題になるまで違法ではない」のです。
問題になったら「違法」であり、問題になっていない違法行為は「違法状態」であるだけで見て見ぬ振りをすることができるのです。
なので、マスメディアの違法状態を晒し上げて、コンプライアンスを大義名分としながら、資金源を断つ「スポンサー叩き」が有効なのでしょう。
権力に対して弱いのももっともではありますが、権力は表向き民主主義制度を敷いている以上、国民の世論が重要となりますので、国民が大暴れすれば権力の態度も少しはマシになり、そのマシになった権力の態度はメディアにもいくらか波及することでしょう。
日本国民にも政府という権力にも、他の権力にも全く期待はしていませんが。
まとめ
メディアに関する記事はこれまで書いてきましたが、このメディアが第一の権力であるという認識が拡まらないければ、小手先のメディア叩きや政府批判をしていたところで根本的な問題は形を変えて残り続けてしまいます。
参考までに過去の記事を参照してください。
情報操作を仕掛ける者が困る5つのこと〜メディアの嘘に騙されない〜
多くありますが、この第一の権力について大衆が理解することは非常に重要なことです。
北朝鮮がミサイルを発射したというニュースが報道されても実際にミサイルを見た人間はどれほどいるのか?
「メディアが報道すればそれは真実」といった欺瞞はもう終わりにしていただきたいのです。