「労働は美徳」にある嘘


先日、ブラック企業問題を取り上げ、ブラック企業に対する対応を書いてみました。

5分で解る簡単にブラック企業を潰す方法

とても不謹慎であり、過激な内容だということは理解しておりますが、このように表現せざるを得ないと思ったので過激な書き方となってしまいました。


と言うのも、現在のブラック企業労働者はある種の洗脳状態にあるからだと私は判断しています。

過去の記事でも書きましたが洗脳には、「恐怖」と「繰り返し」が主たる手法で行われます。

それが、人間の脳に対する最も効率的なプログラミングだからです。



情報操作やプロパガンダでも「繰り返し」が行われるように、人間は繰り返し、ひとつの価値観を刷り込まれるとそれが、正しいと感じ、それ以外の価値観に対する行動に恐怖を感じ、行動しづらくなる傾向があります。

洗脳の解き方でも書いたとおり、洗脳を解くには非常に時間がかかるので、時間をかけないで洗脳を解くには、ショックしかしないのです。

だからこそ過激な表現にさせてもらいました。




ところで、私が日頃から疑問に思うことがあります。

それは、「労働が美徳である」という価値観です。

100%否定するわけではありませんが、100%肯定するわけではありません。

これもバランスが崩れれば、「奴隷」あるいは「怠け者」になります。



この記事では「労働は美徳ではない」と題してこの辺りを考えてみたいと思います。


美徳とは自分が心から受け入れられる状態でなければならない

そもそも美徳とは何なのかということがありますが、辞書では以下のように説明されています。

美しい徳行。道徳の基準にあった性質や行為。

コトバンク

ということになっています。



道徳的には見返りを求めて善行をすることは憚られますが、もし労働が美徳なのであれば、報酬や給料といった”見返り”は必要ないはずです。

しかし、何故か日本企業は働くことそのものが大切なことで給料は二の次と労働者に言い聞かせているような印象を受けるのです。

確かに、物を作ったり、お客様に何かしらのサービスを提供することで、お客様から感謝されたり、自分のしている活動をを肯定的に観られるようになって、自己イメージが上がるということはあるかと思います。




とは言え、いつまでも低賃金で長時間労働をし、結婚もできない、自分の時間もないという状況で「労働は美徳である」と言われても、「何が美徳だよ」という感情になるのは自然なことでしょう。



ということは、労働とは、労働そのものが美徳なのではなく労働によって得られる対価(所得や顧客からの感謝など)や、労働者の自尊心が満たされること、自己実現欲求が満たされることが重要なのではないかということです。

いくら好きな仕事でも、月10000円でできるかという話にもなりますし、一方では大好きな仕事で今は下積みをしているからという認識で、ギリギリ生きていけるだけの給料でも何とかなるという発想もできるでしょう。




結局のところ給料が低くても、そのことに自分が心から納得できる(言い聞かせるのではなく)のであれば問題にはなりませんし、心から納得ができないからブラック企業問題や長時間労働、残業代未払いなどの問題が出てくるのです。

こういった話をすると悪徳な経営者は、「ということは従業員に対する洗脳が足りないから問題が浮上する」と解釈することでしょう。

そんな企業は潰れてもらって結構ですが、ブラック企業経営者は本当にそう考えると思うので労働者の方々は是非以下の記事を参照してください。

5分で解る簡単にブラック企業を潰す方法

洗脳が行われる意味〜解き方〜

洗脳が行われる意味〜具体的手法〜



自分の時間は少ないけどお金も納得できるほど稼いで、結婚もできて、家族からも尊敬されれば、それでガタガタ言う労働者は組合貴族ぐらいのもんでしょう

そのような状況になって初めて、「労働は美徳である」と”思える”のです。

「衣食足りて礼節を知る」というのに近いものがあります。



したがってこれまで書いたように労働と美徳は関係ありません。


企業が徳を語るのは目的がある

ブラック企業経営者は組織を統治する目的から「標語」や「社訓」を設定したりします。

以下のようなものです。






従業員の大半がある程度洗脳されれば、最初はおかしいと思っても日々の業務に追われて段々と考えることをやめ、「流されて」いくようになります。

そもそも、管理する側、経営者側の立場はこの状況の実現が目的です。



”余計なこと”を考える従業員、つまり経営者側の意向に沿わないことを考える従業員は「異分子」であって経営者側にとっては都合の悪い存在ということになります。

企業で民主主義は必要なく基本的にはピラミッド型の組織形態になりますから、トップダウン方式で指示、命令系統をはっきりさせたほうが合理的です。

ただ、企業は”軍隊”とは違うということになっているので、「公平性」は演出しようとします。




公平性の演出とは例えば、「みんなそうだから」とか「ポジティブなマインドを植え付ける」ことで、誰もが納得して業務にあたっていると労働者側が”思ってしまう”ある種の全体主義です。




また営利目的で運営される株式会社が「徳を語る」とはいささかおかしいと言えます。

何故なら、営利目的である以上、利益追求とは「徳や倫理と競合するから」です。



言うまでもありませんが、業界の常識と言われる、消費者からしてみれば汚いやり方だと思うようなことは、日々行なわれています。

要は、「従業員を如何に安くこき使い、管理するか」ということに重点が置かれているのがブラック企業なので、徳を語るというのはそもそも、お門違いであるということです。


洗脳の多くは綺麗事

以下の記事でも書いたように洗脳は楽しいものや綺麗事だったりします。

洗脳はエンターテイメントの顔を持つ



これに加えて、「儀式」を行うことで、参加者を思考停止が加速していきます。

企業の言う儀式とは、「朝礼」や「抱負を言わせる」とかが該当するでしょう。




みんなの前で抱負を言わせるということは、「自分が言った」という事実がであがるので、できないは通りません。

言行不一致は一般的に「悪」とされる行動ですから、「自分が言ったことは守れ」と言われたら言い返すことが難しくなります。

儀式の参加者も、その場の空気や仕事なんだからとその人を非難するようになるはずです。

一言で言えば「怠け者の言い訳」と捉えられてしまうのです。





実際、怠け者や結果を出せない無能と言われる従業員はいることでしょうが、ここではシステマティックに従業員を管理する方法を書いていますので、別に無能や怠け者の味方をしているわけではありません。

先程の画像にもあったように、綺麗事が多く存在するのが洗脳ですので綺麗な言葉の裏にある意味を考える癖はつけておくべきでしょう。

元々、「悪」に嘘はありませんが、「善」には嘘があるものです。


まとめ

美徳というのは行動で示すのは非常に難しいものです。

どうしても美徳を達成したいのであれば出家でもした方が良い私は思います。

私は俗世に生きる以上、美徳など限界があると思っているので、「落ちているゴミを拾って捨てること」ぐらいで良いと思っています。

善行をしようと決めて行動すればいつか必ず無理が生じ、自分は利用されているだけと感じるようになり、社会に対する恨みが醸成されることは目に見えています。

無理をせず、自分の頭で考えて素敵な人生を送れれば、それは親やそれまでお世話になった人に対する美徳とも言えるのではないでしょうか。

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