プロパガンダ、情報操作、偏向報道といった具合に我が国は民主主義であるにもかかわらず、肝心の「民」が置き去りにされる国です。
民主主義という政治体制は、表現の自由や知る権利等の「国民の自由」が前提になりつつも、マスメディアを運営する者も国民であるということ、更にマスメディアが「報道しない自由」を持つこと自体は民主主義国家としては論理的に必要なこととなります。
マスメディアは公共の電波を使っているからこそ、放送法という法律に縛られますが、まるっきり守ってはいないという状況であり且つ、それを取り締まる法律もなく、あったとしても「取り締まらない」ということが平気で起こります。
他にも問題なのはマスメディア批判をする人達の中には、単なる反サヨク、反自虐史観、狂気的な天皇礼賛、民族主義者とその団体がいます。
こういった人達が存在し、事実を伝えていたとしてもそれが彼らの主張にそぐわなければレッテル貼りや街宣、暴力、晒し行為等で反撃してくる組織もあります。
こういった人達は「日教組的な教育を変えるべき」と声高らかに叫びますが、その通りではあるものの、戦後70年以上経ってそれは余りにも楽観的過ぎますし「もう遅い」と判断できないその鈍さが我が国を亡国へ追いやるのだと常々感じるところです。
以前、こういったことをその筋の方に言ったら烈火の如く怒りだしたのでお話になりません。
こういった人達は決まって攻撃的で、日本という国を礼賛し、日本は素晴らしい、日本人は素晴らしい民族だと言い張るのですが、確かにかつての日本人は素晴らしかったと思いますが、現在の体たらくで今の日本人が素晴らしいと言えてしまうその認識は、ボンボンが親の遺産を自分の能力と勘違いしているようにしか見えません。
打倒反日、反共、竹島返せ、北方領土返せ、朝鮮総連に対する街宣などとこれまでずっと繰り返し街宣してきているはずなのになぜ変わらないのか非常に疑問でしたが、上の方ではガッチリそれもアメリカがしっかり繋げているということであれば合点はいきます。
彼らはアメリカ批判はしません。
我が国の国体を壊しているのは日米構造協議から始まる年次改革要望書や日米合同委員会でのアメリカの過度な要求であるはずなのに、何故か彼らはそこは華麗にスルーしてしまうのです。
そういう態度なのに「私は保守です」、「日本の未来を考えています」「現実的に考えています」と言いながら、結局は「日米同盟の強化」「親米路線」の流されてしまうのです。
彼らは当ブログを陰謀論の頭おかしい奴が書いていると必ず言います。
「事実をベースに考える」としながら、当ブログをサヨク勢力の持ってくる事実としてレッテル貼りをして、この情報には目もくれません。
自分に都合の良い事実しか採用せず、自分がその活動で食っていけるかどうかしか見ていないのではないかと感じます。
「事実をベースに」などと言っていたらその共同体の中で生きていくことができなくなってしまうから、事実をベースにと口では言いながら、都合の悪い事実は知っていても「自分の利益を害するから言わない」とこうなるわけです。
西部邁氏が生前、「言論は虚しい」と仰った意味はそういった側面もあるのだと思うようになりました。
こういった、反自虐史観主義や反日勢力の糾弾、反韓、反中をしていてももう何も生まれません。
とは言え、普通こういった人達は怖いと思うでしょう。
怖い目に遭いたくないから黙っていようとなるのが、明文化されない「言論統制」です。
右翼の大物である児玉誉士夫がCIAのエージェントだったということは有名ですが、ということは右翼勢力にCIAの資金が流れていたとしても不思議ではありません。
結局ビジネスなんです。
こうしておけば、事実を知っていても言えないという環境になりますし、また真実を伝えて頭おかしいと村八分にされるということまであるわけですから、これは最早、国民全体が民主主義を理解していないと言わざるを得ません。
少数の意見を弾劾することが民主主義であるという認識のような態度を日本人は取りますから、これはファシズム的な全体主義を想起させる極めて危険なものです。
「民主主義は全体主義になりやすい」と題してこれらを考えていきたい思います。
民主主義社会が機能するためにはマスメディアが民主的に機能することが前提となる
マスメディアが機能することが民主主義社会の前提となるということですが、マスメディアが機能するというのはどういったことでしょうか?
マスメディアはマス・コミュニケーションという言葉の通り、大衆という不特定多数に対して適当な話題、事件や社会問題、政治問題、経済問題等の情報を大衆に提供し、権力を監視しつつ、大衆が政府に対して評価をするといった役割があります。
基本的にはこれがマスメディアの役割です。
陰陽で言えば、”陽”の面、「表向き」といったところでしょう。
実際はご覧の通り、国民が本当に知るべき情報はマスメディアは伝えず、且つ印象操作、情報操作、プロパガンダも行なわれます。
これはマスメディアに限ったことではありません。
オルタナティブメディアでもあり得ることですが、マスメディアよりもよっぽどマシということになってしまっています。
情報操作を仕掛ける者が困る5つのこと〜メディアの嘘に騙されない〜
マスメディアがこういった状態になり(元々なっている)、正確な情報を提供すること、マスメディアの都合による報道しない自由権の発動、政府からの圧力で報道しないということがあれば、民主主義制度を担保する機関としてのマスメディアは、”機能していない”ということになります。
元々そうであったのですが今までは情報を隠し通せたので表面化しませんでしたが、インターネットの台頭によって顕在化してしまったのです。
マスメディアは元々、民主主義を標榜し、国民に主権があると思わせたい支配者のツールであるという側面が”陰”の側面で本当の目的です。
陽の側面から見るマスメディアというものは、民主主義を達成させるために欠かせないものであり、マスメディアの機能が低下あるいは機能しないということになってしまうと、国民は何を”基準に”あるいは”規準に”または、”認知すること”すらできず、民主主義という政治体制が実現できなくなってしまうのです。
しかし、陰の側面から見るとマスメディアは大衆支配のツールでしかないので、これまで通り情報操作は行った上で、めくれてしまったマスメディアの実態を隠すためにネットに対してアプローチするだけです。
大資本でネット上の情報も管理できるようにしてしまえば(大衆の目に入る情報)、元々の目的である統治は達成できます。
その上、選挙の不正がマスメディアで取り上げられもしないので。したがって、我が国の民主主義は成立していません。
思い込みが全体主義を助長する
全体主義=絶対悪というつもりは全くありません。
個人主義も行き過ぎれば利己主義となりますし、全体主義も行き過ぎればこれはソ連になるでしょう。
要はバランスの問題です。
思い込みが全体主義を助長するというのは、こういうことです。
「民主主義社会では、マスメディアの情報が正しいという思い込みが大衆に存在しているために、全体主義の方向へ向かい易くなる」
ということです。
我が国は戦後GHQの支配の下、WGIPや3S等、ヨーゼフ・ゲッベルスが危惧していたことをそのまま受け入れてしまっているので、マスメディアに対する信用もまだまだ大きいです。
ヨーゼフ・ゲッベルスが警告したこと〜プロパガンダの天才が危惧した未来〜
特に団塊の世代は現在の10代20代よりもマスメディアに対する信用は大きいように思えます。
当然、マスメディアによる洗脳期間が長いのでそういった結果になるのは必然でしょう。
私に対して「テレビで言ってた」という言葉をを印籠のようにかざしてきたのはこれらの世代です。
もちろん例外はありますし、当ブログをご覧になっている方はまず例外でしょう。
しかし、マスメディアの議題設定効果の説明でしたように、マスメディアの報道する情報が正しいと思う人が多ければ、民主主義社会では、全体主義の方向に向かいやすくなることは避けられません。
如何にマスメディアが流す情報で、マスメディアが意図する方向に大衆を誘導させるかが問題であるということになります。
こうして考えると民主主義という政治体制は支配者が大衆にぶら下げた偽看板であり、欺瞞だと言えます。
広告の問題や経営上の問題もあるので一概には言えませんが、概ねこのように言うことはできるでしょう。
民主主義を本当に達成させるのであれば、情報操作はする意味がありません。
大衆側に付いているわけですから、そんなことしてたら信用問題になる情報操作は裏切り行為でしかなくなります。
表向きは大衆側に付いているということだったのに最近になっマスメディアの実態が公になってマスメディアの本当の目的、立場がバレてしまったということなのでしょう。
マスメディアは議論、論争を隠す
マスメディアの情報操作手法については以下の記事を見ていただければわかると思いますが、書いてなかったことがあります。
それは
「マスメディアは世界で行なわれている議論を隠す」
ということです。
現在で言えば、グローバリズム批判は欧米でも中東でも起こっていますが、マスメディアの反グローバリズムについて議論することはありません。
「グローバリズムは善」という前提から議論がスタートしています。
「朝まで生テレビ」という番組でも、前提がグローバリズムは善で、アメリカ追従路線、ネオリベラリズムは既定路線で話が進んでいるので、見る価値などありません。
時間を返してほしいです。
政治を題材としたエンターテイメントと成り下がりました。
あんなにいくらでも嘘をつける環境での議論を観たところで混乱するだけです。
まあこのように、議論を隠すということが行なわれます。
他には今でも知らない人が多いようですが、ナチスのホロコーストの件で、マルコポーロ廃刊事件というものがあります。
「『ガス室』の真実」第一章(「マルコポーロ」廃刊事件) 西岡昌紀
「アウシュビッツのガス室でのホロコーストは本当にあったのか?」という議論ですがこれは当時激しくユダヤ人の怒りを買い、マルコポーロは廃刊にまで追い込まれました。
日本人の感覚だと、自分が被害者であることを殊更に強調するようなことは憚られるのであまり理解はし難いですし、廃刊にまで追い込むか?という疑問はあります。
私の先祖が政府によって虐殺されたとなれば、当然その当時の政府に対して憎悪や怒りは醸成されることでしょうが、ここまで根拠を提示されれば自分の目で見ていないので、「もしかして騙されたのかな?」と自分の認識を少しぐらいは疑うとは思います。
私が、虐殺された(とされる)ユダヤ人だったとして、子孫ががそれをネタにお金を稼いでいたり、被害者として一企業の雑誌を廃刊に追い込むのだとしたら、非常に悲しく思いますね。
シオニストにはタルムードを信仰している人も多いので奥にどのような目的があるのかわかりません。
ことの真偽はどうあれ、こういった議論があるということを日本のマスメディアは隠す傾向があるのです。
逆に、報道しているときでも以下のようなこともあります。
「各マスメディアが足並みを揃えて特定の話題を報道しているときは、「隠したいこと」がある」
といったことがあります。
例えば、911事件で大騒ぎになった時に可決された法案は「愛国者法」です。
現在は失効しましたが、代わりに修正版とも言える自由法が成立しました。
ショック・ドクトリンという惨事便乗型の法案提出の成立まで持っていきそれを国民に気付かせないようにするという手法はこれまで何度も行なわれてきたことです。
ところでSTAP細胞での小保方晴子さんはマスメディアから全力で追い込みを掛けられていましたが、あの当時の可決された法律は何だったのでしょうか?
まとめ
マスメディアの実態が暴かれた以上、既にマスメディアの問題から国民の意識の問題にシフトしています。
私は我が国の国民性には欠点もあると思っていますが、(無意味な同調圧力や奴隷根性)、自分を未熟だと考えて自己を磨き続ける傾向なんかは世界に誇れると自負できる思いです。
しかし、その自負すら壊されそうな現状を見ると、日本人はもう日本人ですらなくなってしまうのかと危惧しておるところでございます。