徹底した緊縮財政路線を突き進む財務省さんですが、この省庁はいわゆる「国の借金問題」を始め、「日本は財政難である」というイメージを社会通念にまで昇華させました。
財務省サイドとしては、「健全な財政」を確立することが我が国のためという主張になるのでしょうが、その為に我が国はデフレを20年以上脱せないという人類史上最悪の事態となっています。
なぜ、デフレを脱却できないのか、なぜ財務省はこれほどまでに緊縮財政を推し進めるのか、なぜ政治家に財政拡大を主張する者が現れないのか、非常に疑問でした。
なので、この記事ではそのあたりについて考えてみたいと思います。
財務官僚の目的は”出世”のみ
省庁の中の省庁と言われる財務省は、東大法学部卒で国家公務員総合職試験をトップクラスでパスしたエリート中エリートです。
彼らは、「お勉強」と「試験」という競争に頭一つで勝ち抜いてきた秀才達です。
学生時代の競争に勝ち抜いた人間が社会に出て考える事、目標とすべきことはひとつしかありません。
「勝ち抜くこと」
つまり、出世です。
正直、彼らの立場になってそのような人生を送れてたとしたなら私もこう考えるかもしれないという想像はつきます。
エリートこそ国家全体を考え、国家の未来を憂い、その為に官僚になったのではないかと思っていましたが、よくよく考えてみれば、我が国の教育には「国家観」を教える教育はありませんでした。
国家観のない官僚が国のことを考えて実務を行ったところでそれは、せいぜい「法に基づいて」、「規則だから」といったことが彼らにとっての「国のため」になるでしょう。
まして、戦後アメリカから輸入された「個人主義」という思想であれば彼らの中では「絶対個人主義」となっても不思議はありません。
激しい競争に勝ち抜いてきた人達が絶対個人主義をもっていたとして、彼らの自己イメージはどのようになるでしょうか?
私はこう考えるのではないかと思います。
「自分は選ばれた人間だ」
と。
確かに選ばれた人間でしょうし、そこまで辿り着くために不断の努力を積み重ねてきたのでしょうから、それ自体は大変素晴らしいことだと思いますし、努力の才能がある人達なんだろうと思います。
とは言え、ここに国家観がなければ、あるいは絶対個人主義とも言える思想を持っていたとしたら、それは、「優生主義」、「選民思想」に変貌します。
この思想に最も相性の良いイデオロギーは自己責任論を標榜する「新自由主義」です。
自己責任論は完全に優生主義の思想ですから、彼らも意識的にしろ無意識にしろ親和性を感じるでしょう。
何故なら、「自分は頑張ってきたんだから」となるからです。更に言えば「努力しなかったやつが悪い」
となるでしょう。
だとしたら、官僚が自己の利益を最大化するという目的(出世)を達成するために行うことはひとつしかありません。
それは、設立以来の省是である
「緊縮財政を実現し続けること」
となってしまうはずです。
それが出世への近道であり、更に”経済学的にも(予算制約式)”正しい、政治が新自由主義(構造改革)という路線であれば、常に緊縮財政路線を突き進むことが、正しいことになるのです。
高級官僚は留学費用を出してもらえるので、留学先でミルトン・フリードマン筆頭のシカゴ学派の経済学を叩き込まれれば緊縮財政の発想はより強固になること請け合いです。
私にはさっぱりわからない価値観ですが、エリート中のエリートがこのように「自分の出世」のみを考える背景にはこういったことがあるので、財務省に期待しても絶対に財政拡大の方向に向かうことはあり得ません。
国の借金問題が財務省の生命線
いわゆる”国の借金問題”が省是を達成するのに最も有効な情報操作、プロパガンダになっているところを見ると、彼らにとって一番困ることは、
「実は国の借金問題など”無い”」
ということが、大多数の国民に知られることです。
何故、財務省がメディアを使って、御用学者を飼って、国税という警察権力を使ってまでこの嘘をバラ撒くかというと、間違いなくそれは、「財務省の急所」だからです。
本人たちが最も我が国に財政問題などないということを理解しているので、嘘をつき続けなければ、あるいは国民が騙され続けてくれなければ、彼らの存在理由が揺らいでいきます。
彼らは国民はバカだと思っていますから、仮にこの国の借金問題が嘘でしたと財務省がはっきり認めて、国民を貧困化させているのは財務省ですと認めてしまったら、感情的に極端な発想をする国民は「財務省を解体しろ!!」などといった世論が生まれてしまうのは想像に難しくないでしょう。
その情緒的で極端な発想をする大衆の習性を利用して、財務省は国の借金プロパガンダをしてきたわけですから、この嘘だけは地球滅亡の日まで暴かれるわけにはいかないのです。
政治家でも、この国の借金を信じ込んでる奴がいますが、彼らの場合、勉強不足かあるいは知っていても、その問題には触れたくないと思っている可能性が非常に高いです。
と言いますのは、政治家には白い金、グレーな金、黒い金、赤い金など様々な色彩のお金が出入りします。そこに国税がきたら?と考えたら夜も眠れません。
先程、財務省は国税という国家権力を使うと書きましたが、このような資金集めをしている政治家が、いわゆる国の借金問題を嘘だと糾弾するということは、政治家生命に直結してしまうことになるのです。
だから、政治家にも期待は出来ません。
誰でも多かれ少なかれやましい部分はあるのですが、政治家というものは清廉潔白である建前があるので、どんなに小さい金の問題でもそれをネタにメディアで叩かれたら政治家としては生きていけなくなってしまうのです。
ところが、財務省サイドは自ら仕掛けたこの国の借金プロパガンダを嘘だと認めています。
以下は財務省のホームページに掲載されているものです。
1.
貴社による日本国債の格付けについては、当方としては日本経済の強固なファンダメンタルズを考えると既に低過ぎ、更なる格下げは根拠を欠くと考えている。貴社の格付け判定は、従来より定性的な説明が大宗である一方、客観的な基準を欠き、これは、格付けの信頼性にも関わる大きな問題と考えている。
従って、以下の諸点に関し、貴社の考え方を具体的・定量的に明らかにされたい。
(1)
日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか。
(2)
格付けは財政状態のみならず、広い経済全体の文脈、特に経済のファンダメンタルズを考慮し、総合的に判断されるべきである。
例えば、以下の要素をどのように評価しているのか。
・
マクロ的に見れば、日本は世界最大の貯蓄超過国
・
その結果、国債はほとんど国内で極めて低金利で安定的に消化されている
・
日本は世界最大の経常黒字国、債権国であり、外貨準備も世界最高
(3)
各国間の格付けの整合性に疑問。次のような例はどのように説明されるのか。
・
一人当たりのGDPが日本の1/3でかつ大きな経常赤字国でも、日本より格付けが高い国がある。
・
1976年のポンド危機とIMF借入れの僅か2年後(1978年)に発行された英国の外債や双子の赤字の持続性が疑問視された1980年代半ばの米国債はAAA格を維持した。
・
日本国債がシングルAに格下げされれば、日本より経済のファンダメンタルズではるかに格差のある新興市場国と同格付けとなる。
2.
以上の疑問の提示は、日本政府が改革について真剣ではないということでは全くない。政府は実際、財政構造改革をはじめとする各般の構造改革を真摯に遂行している。同時に、格付けについて、市場はより客観性・透明性の高い方法論や基準を必要としている。
としています。
このように実際は彼らが国の借金は嘘であることを一番知っているのです。
「ん?おかしい、ということは財務省が嘘をついているんじゃなくて、学者やメディアなどが間違えているだけなんじゃないのか?」
といった反論が出て来る可能性があるので予め応えておきます。
学者やメディアが勝手に間違えているなら、財務省は国の借金問題で危機を煽る人間や組織に対して、この格付け会社に行っているように是正を求めることが出来ますが、何故か一切やりません。
むしろ、国の借金で破綻する、ハイパーインフレになる、とか言っている人間ほどメディアの露出が多く、正しい主張をしている人間ほど露出が少ないのはどういうわけだということになります。
財務省が本当に国の借金問題を問題としているなら、この格付け会社に意見書を送ることもおかしいですし、また、この意見書の方が正しいのだとしたら、国内で国の借金で破綻すると主張する者に対して対処をすべき義務が財務省にあるはずです。
財務省は表向き、国の借金問題は識者やメディアが勝手に言っていることという建前を作りたかったのでしょう。
正に、ヘーゲルの「正・反・合」です。
エリートは正しいこと、間違っていることを同時に行うという良い例です。
デフレを脱却できない理由
これまで観てきたとおり国の借金などいうものは特定の集団の利益のために図られた「計画」あるいは「策謀」です。
その策謀に国民がハマり自らの首を絞めるという結果になっているというのが現状です。
デフレの時というのは自殺者が増えます。我が国の場合変死者、行方不明者も増えます。
デフレを放置するということは、政府によって国民を死に追いやる結果をもたらします。
我が国はデフレが解決できないものだから、最後は自己責任論に落ち着くという、ある意味世界で最低の考え方を持った国になってしまっています。政府の責任放棄以外の何物でもありません。
いくら危機が起きようと、いくら絶望しようと日本人は変わりません。
それは、阪神淡路大震災と東日本大震災で見事に証明されました。
復興を財源の議論から初め、構造改革を更に進め、今や毎年その日にNHK辺りが「あの日を忘れない」みたいなタイトルで適当に垂れ流しているだけです。
眠っている人間にいくら絶望や危機があったとしても「気付かない」ままなのです。
其の上、「絆」という言葉を使う欺瞞ぶりには悲しみを通り越してほとほと呆れました。
そもそも20年もデフレを脱却できない国など人類史上我が国だけです。
これは、我が国の経済政策担当者のレベルが世界でもトップクラスに低いということの証明でもあります。
歴史上、大恐慌と言われる事態は発生しました。
その時に行った対策と同じことをすれば良いだけなのにそれをしないのです。
公共事業をやり過ぎて国の借金が膨らんだという嘘つき識者、というかバカ、というかチンピラ連中が自分のことだけを考え、国民を貧困化させることと引き換えに自己の利益を図ったのです。
仮に政府が10兆円を使えば、最低でも10兆円の需要が増えます。つまり、名目GDPは上昇するのです。
それで国民が豊かになり、デフレが解消できるのにしないのは、もはや財務省や政府云々と言うより、日本国民が愚劣だからに他なりません。
デフレの時には、デフレ対策つまり今行っている金融緩和に財政出動をすれば事足ります。
少子化問題も結婚が増えれば改善されていくでしょう。
結婚している夫婦は子どもを作る傾向にありますが、結婚していない人は当然に子どもは作りません。
資料出所:21世紀政策研究所「実効性のある少子化対策のあり方」、厚生労働省「毎月勤労統計調査」
結婚しない理由の「経済的な問題」を解消するだけで結婚は増えるのですから、長期的な所得向上が見込める政府からの支出がなければ個人の所得は上がらないままです。
したがって、デフレを脱却するためには国民ひとりひとりが知識をもって行動するしかありません。
デフレを脱却できない理由も結局ここに落ち着きます。
まとめ
財務省は恐らく日本のために正しいことをしていると信じて国の借金プロパガンダを振りまいています。
というか言い聞かせているだけかもしれませんが。
よくよく考えてみると、勉学でトップクラスをひた走って勝ち抜いてきた人生ということはそれだけ、「与えられた知識」を莫大に吸収してきたということです。
ここで言う与えられた知識とは、「絶対に正しいと感じる教科書に書いてある情報」のことです。
それが情報操作であることに気付くことはありません。
気付いたとしても、それまで必死に覚えてきた知識がデタラメばかりでしたとなったら、一体自分は何をしてきたんだ?ということになるので、認めることはプライドの高い人間ほどありません。
財務省の緊縮財政路線は報道のとおり、更に進んでいくことになるでしょうが、財務省の人事権は政権にありますのでそこで挽回するしかないでしょう。
国民を貧困化させることが日本のためならば、「日本のため」とは一体なんなのでしょうか。