我がブログでも、プロパガンダや情報操作、洗脳に関する記事は多く取り扱って来ましたが、よくよく振り返ってみると、プロパガンダを仕掛けられた場合に対するカウンターアクションについては具体的には書いてなかったように思えます。
悪意のあるプロパガンダに対してのカウンターは「真実をより大きな声で言い続けること」ではありますが、実はこれだけでは不十分なのです。
プロパガンダ、情報操作の世界というのは、善悪や倫理、道徳など一切無視される世界です。
何せ、無かったことを「事実」に昇華させ相手国から何かを引き出そうとする活動でもありますので、「何でもあり」と考える敵と、「道徳、法律の範囲内で」と考える自分であれば、100%敗北します。
100%敗北するということは、個人であれば「倫理を守ることで個人の誇り、尊厳を守った」で済みますが、国家レベルになると、「他国からの侵略を赦す」つまり、「自国のあらゆるモノを奪われる」ということになります。
そんなことにならないために、国家安全保障を行うセクションで各国が鎬を削るのですが、我が国はご存知の通り富国も強兵も他国任せで来たものですから、戦前の意識のほうが遥かに良いと言えます。
なのでこの記事では、プロパガンダに対するカウンターについて考えてみたいと思います。
悪質なプロパガンダの具体的対応策
目次
正確な事実をより大きな声で繰り返し伝える
まず大前提として「無いことの証明はできない」ということを念頭に置いておく必要があります。
これは、いわゆる”悪魔の証明”というものです。
例えば、東京都でカマキリが”いること”を証明せよという問であれば、都内のどこでも良いからカマキリを捕まえれば事足ります。
しかし、東京都にカマキリが”いないこと”を証明せよとなったら、東京都中を捜索しなくてはいけないわけです。
これが悪魔の証明です。
無いことの証明はできないという前提でこの問題を考える必要があるのです。
これを踏まえて、言いがかりにも似た、例えばいわゆる南京事件やいわゆる従軍慰安婦問題を考えると、実際には無いと思っても、朝日新聞が敵側に付いたりとか、日本全体の空気が加害者意識で蔓延しているとかもありましたが、無いことの証明には恐ろしく時間が掛かり、国内的には嘘だったとなっても、日韓合意などをしたことで、対外的には「事実だった」と認めてしまっていたりもします。
本当に当時の日本人の方々からしてみたら最低最悪の子孫ですが、骨抜きにされるというのはこういうことだと認識しなくてはいけないということでもあるのです。
さて本題ですが、このように明らかな悪意のプロパガンダや言いがかりを付けられた場合どういった対応が考えられるでしょうか?
まずよく聞くタイプで聞こえの良い、
「正確な事実をより大きな声で繰り返し伝える」
ということです。
非常に倫理的で真っ当で且つ誠実な対応策です。
実際、保守という人達からよく聞くタイプの策です。
確かにその通りで、これを行うことは非常に大事でありますし、「日本人の心」を大事にする人達にとっては感情的にも受け入れやすいかと思います。
とは言え、この手法の欠点は結果が出るまでに時間がかかるのと、コストが相手のプロパガンダよりも余計にかかるというデメリットがあります。
実際、このデメリットがなければ、いわゆる南京事件もいわゆる従軍慰安婦問題も打ち消すことが容易かった可能性があります。
現実問題、我が国は日韓合意の為にご先祖は対外的には強姦魔に認定されました。
嘆かわしいことです。
それまでに日本国内で肯定派と否定派の言論戦が繰り広げられていましたが、結局このような事態になった原因というのは、「正確な事実をより大きな声で繰り返し伝える」”だけ”だったからです。
正々堂々という態度で行うことは非常に美しく、綺麗で、当人も厳しい闘いをしていることでしょうし、非難するつもりは全くありませんが、結果が「ご先祖様が強姦魔」では、仕方がありません。
これは日本国民ひとりひとりの問題です。
矢面に立ち論戦を繰り広げた弁士、評論家、学者等の方々の力にならなかったのは一般の日本国民だということです。
非常に狂った国です。
ご先祖様を強姦魔にしようとする日本人が大半だったのですから。
とは言え、この結果から考えると、いわゆる従軍慰安婦問題の真実が広まったものの、敵のプロパガンダ戦略には完全に敗北したことは否めないのです。
目には目を「やられたらやり返せ」
非常に辛辣な表現で大変恐縮ではありますが、このプロパガンダ戦においては、必ず「やられたらやり返す精神」、つまり”目には目を”で行なわなければいけないのです。
綺麗事で、法律や倫理、道徳を守ってプロパガンダに対する対策を考えても、徒労に終わるだけです。
と言うか、国を守ろうとする人間が法律や倫理、道徳を守るという綺麗事で守ろうとする時点で非常にナンセンスなことです。
国を守るというのは、大抵の場合「外圧」、つまり「外国からの侵略」から守ることですが、文化も考え方も常識も歴史も、ましてや法律も道徳も、倫理の基準も違う敵を相手に、日本国内で通用する常識のみで闘うことって果たして「本気」と言えるのでしょうか。
別に違法行為、不道徳を推奨するわけではありません。
私が言いたいのは法律や倫理、道徳を守ると言いながら、国を守るとか大層なことを言っているが、本当に守りたいのは、「自分自身」ではないのか?
と、保守とかサヨクとか言われる言論人を観てて確信的にそう思いました。
サヨクの言論人など論外ですが、保守の方々も威勢の良いこと言ってる割には、結局、消去法を演出しながら時の政権に誘導するので非常に悲しく思います。
話を戻します。
目には目をでプロパガンダに対する対応をしなくてはいけないということは述べましたが、具体的にはどうするのかということを以下に記します。
レッテル貼り
「事実」はこうして作られる〜既成事実化〜にも書きましたがレッテル貼りをしまくることです。
これは、「対象のイメージ形成」に役立ちます。
繰り返し
レッテル貼りも繰り返し行います。
しかし、レッテル貼りだけではなく、以下の戦術全てを敵が諦めるまで繰り返すのみです。
同じことを繰り返すことはボルシェヴィキのプロパガンダ戦略でした。
ここにナチスの宣伝相ゲッベルスは危惧したのです。
ヨーゼフ・ゲッベルスが警告したこと~プロパガンダの天才が危惧した未来~
敵のネガティブキャンペーン
「堂々と嘘をつく」という手法も書きましたが、例えばいわゆる従軍慰安婦問題の時であれば、敵からのプロパガンダを仕掛けられた時点で、ベトナム戦争中の韓国軍の行い(ライダイハン)を全世界に発信するべきだったのです。
その時知らなかったとかどうとかは問題ではありません。
戦争というものは必ずと言って良いほどそういった兵士による略奪や強姦が起こります。
我が国のご先祖様くらいそういったことが個別で処理できるほど件数が少なかったのは。
一部、白馬事件というのがあったようですが、その兵士は厳罰に処されています。(冤罪説あり)
このように大抵の戦争、戦闘行為中に起こること、”有り得そうなこと”をもっともらしく世界に発信することが重要だということです。
日本人の心理としては非常に辛いところではありますが、グローバリズムはこういったスキルが尚更必要になるイデオロギーであることも付け加えておきます。
話をすり替える
話をすり替えることも上記の記事に書きましたが、これは朝日新聞というちり紙や外で寝る人用の布団を製造している企業に学べます。
この反社会的勢力は慰安婦問題など存在しない事が証明されると、「女性の人権問題」に話をすり替え、感傷的な空気を作ろうとします。
いつも弱者を装います。
同和問題が典型ですが、弱者を武器に強者まで押し上げて、不公平な社会を作り上げることまでできるのです。
覇権国に影響力のあるメディアで発信する
例えば、日本外国特派員協会などで情報発信をした上で、欧米(主にアメリカ、イギリス)の世論に影響力のあるメディア(CNN、BBC、ニューヨーク・タイムズ等)から発信するように心がけます。
もちろん、ネットやラジオ、新聞、テレビ、あらゆるメディアを使いまくります。
これには非常にお金がかかります。
一個人や、一企業が支払えるレベルではありません。
だからこそ、情報操作、プロパガンダは国策でしかあり得ないのです。
重箱の隅をつついて事件を作り100倍にスケールアップして情報発信する
完全にヤクザな方法ですが、敵は無いことを「あった」と言って世界に発信するレベルですからヤクザ以上です。
そんなヤクザな連中の対応には、相手の揚げ足取りを執拗に繰り返し、ちょっとした不注意、過失レベルの失態や失敗を、大袈裟に取り上げることが必要です。
自国の敵国をとんでもない国だと世界に思わせ、相手の口を封じていきます。
重箱の隅をつつく”ネタ”は「何でもあり」です。
相手の弱点をとことん攻める
相手の弱点を徹底的に調べ、特に敵国が自国に依存している
資源エネルギーや食糧、部品、技術、などの輸出を停止させちゃいます。
安全保障上の問題があればWTO違反にもなりませんのでやることをチラつかせていきます。
弱点は見つけるのもそうですが、プロパガンダの場合は「相手の弱点を作る」ことも重要なので、その辺りも踏まえて戦略を構築していくべきでしょう。
中国のチベット弾圧は有名ですが、法輪功や天安門事件などは中国国内では情報統制されているので、その情報をばら撒いてやれば良いのです。
その情報を中国国内でバラ撒かれれば、中国人はヘタレではないので暴動が発生するでしょう。
その暴動にさらに燃料を投下することでさらに我が国に対する中国の態度は変わっていくことでしょう。
敵の攻め方を非難し弱者を装う
先程も書きましたが、弱者を装うのは常套手段です。
私生活でもいますよねこんな人。
これは、「弱い者は助けなくてはいけない」という「常識」や「通義」を利用します。
助けを求められた人間は社会的な批判を回避するために助けるという選択を取りがちになりますが、助ける対象が本当に弱者であるかどうかの確認はされない傾向にあります。
非常に厄介なことです。
まとめ
正確な事実をより大きな声で繰り返し伝える
目には目を「やられたらやり返す」
レッテル貼り
繰り返し
敵のネガティブキャンペーン
話をすり替える
覇権国に影響力のあるメディアで情報発信する
相手の弱点をとことん攻める
敵の攻め方を非難し弱者を装う
といったところですが、他の記事でも書いたので複合的に利用すれば良いかと思います。
とは言え、なんで私のような個人がこんなことを書かなければいけないのかという疑問も感じます。
この記事で書いたことは、非常に不道徳ですし言わば悪いことです。
でも、政府もやらなければ日本国民は関心すら無い場合も多くありますから仕方なく書いているだけです。
普通こんなことは諜報機関や外務省の仕事ですし、あるんだか無いんだかわからない程の誇れない実績を積み重ねているエリート様を中心に行ってほしいと思います。