最近、浜田宏一内閣官房参与がシムズ理論に感銘を受けたとして宗旨変えをしたという報道がありました。
簡単に言えば、デフレ脱却の為には、金融政策だけでは不十分であり財政政策も行わなければならないことを認めたということでしょうか。
私ももちろん金融政策の効果を一切否定するわけではありません。
金融政策がなければここまで円安にはならなかったであろうし、消費増税で金融政策の効果を打ち消された可能性は大いにあります。
ポール・クルーグマンやスティグリッツなどの経済学の重鎮、更にはバリバリのグローバリストであったローレンス・サマーズまでもが主張していましたが、何故ここへ来てリフレ派の長である浜田参与が宗旨変えをしたのか非常に不思議です。
しかし、自分の意見を変えることは勇気がいることですのでその点については学者として、一人の人間として賞賛すべきことだと思います。以前に浜田参与についてこのような記事を書きました。
恐らくですがこの浜田参与の宗旨変えの理由はシムズ理論が主流派である新古典派経済学とスティグリッツなどが言っていたケインズ”的”な理論の間をとったような理論だったからなのかなと感じます。
要はシムズ理論には新古典派経済学の「均衡」という概念が絶対視されているところでもあります。
私自身、財政均衡、プライマリーバランス健全化については無駄であり、少なくとも我が国のようなデフレ経済下で全面に押し出す政策ではないと思っています。
「基礎的財政収支が健全化された!」などと政府が言ったところで、それは国民の所得が減ったことを意味するわけですから笑えないギャグとしか言いようがありません。
それをデフレ下で国民の所得が下がっている時にやるのですから本当に国民をバカにしているんだと判断せざるを得ません。
シムズ理論を調べてみて思ったのは「物価水準の財政理論」とのタイトルからも見て取れますが「均衡」の概念はあるように思えます。
浜田参与からしてみても均衡という概念が覆された理論を受け入れることは学者生命にも関わること、更にそれを受け入れることは浜田参与にとっては過去の自分を全否定する理論に与してしまうという感情があったように思えるのです。
均衡の概念は主流派経済学では「核」の部分です。
均衡を否定しないシムズ理論であれば受け入れられると思ったのでしょう。
恐らくご本人もデフレ脱却をするためには金融政策だけでは不十分だとわかっていたはずです。
それはインフレ率が証明してくれていますので、内心穏やかではなかったことでしょう。
いずれにせよ、浜田参与のような権威のある方が柔軟に考え方を変えられる方で非常によかったなと思います。
さて本題ですが、この浜田参与の宗旨変えについての報道は比較的主要メディアでもされていたように思えます。
何故、これまで財政出動を悪としてきた主要メディアや特に財務省、経団連などにとって都合の悪いことを報道したのか?
主要メディアの通常営業なら「報道しない自由」が発動してもおかしくないのではないかと感じたところです。
私なりに考えてみたので参考になれば幸いです。
主要メディアの論理とは何か?
言わずもがな主要メディアの論理は「金」と「安全」です。
つまりテレビでは視聴率、新聞、雑誌などでは部数、その先にスポンサーの広告料が目的です。
少し前には朝日新聞の「押し紙」と言われる新聞配達店に必要以上に発注させ、あたかも発行部数が多いかのように広告主に見せかけていた詐欺事件が発覚しました。
次に安全ですが、この場合の安全とは
「権威や権力に逆らわない」
ことです。
例えば、日経新聞の社長の経歴は基本的に財政研究会キャップ出身です。
財研キャップとは財務省の記者クラブがあり、そこの日経新聞の責任者がそのまま社長になります。
そうなることで財務省がレクチャーしたことをそのまま記事にします。
すると財務省の御用メディアが完成してしまうのです。
これが出世コースとなれば「権力に逆らわないことが自己の利益」となります。
まあ日経新聞の記事を読む限り、浜田参与の宗旨変えの記事も財務省寄りの記事であることは間違いありませんが、この場合、徹底的に無視を決め込んだほうが、財務省としても日経新聞としても利益だったはずです。
では何故、報道したのか?
ひとつは、日経新聞の人間が浜田参与にインタビューしたことです。
日経新聞ともあろう大手誌が自分で内閣官房参与にインタビューしといてその記事を掲載しないなんてことが許されるはずがありません。
そんなことをしたら更に大きな問題になることは火を見るよりも明らかです。
しかし、インタビューの内容が日経新聞や財務省側の主張とは相容れません。
日経新聞側はこの時どう考えたのでしょうか?
「報道したくないが報道しなければ問題になる」
「報道せざるを得ないなら、ネガティブキャンペーンを張ろう」
「これで財務省の顔も立つし、日経新聞の利益も立つ」
かなりうがった見方ですが、恐らくこの程度の論理のように観えます。
実際これだけの記事であれば当然日経新聞としての利益にもなります。
でなければ、その後のこのインタビューについてのネガティブな報道の説明がつきません。
このように我が国のメディアに国家観はありません。
企業経営者にもほとんどいません。
最近アパホテルの南京事件の否定を主張をする書籍を客室においていたことで、ちょっとした騒ぎになりましたがああいった経営者はごく一部です。
経営コンサルタントとして活動し、実感したことです。
「国家のこと(全体)など微塵も考えていない」
その集合体が経団連なんだと…
個人的にショックを受けたことでした。
メディアが報道しない記事の特徴
以下の二つに当てはまっていればまず報道しないでしょう。
「メディアにとって都合の悪い情報」
「体制側にとって致命的な情報」
メディアにとって都合の悪い情報とはどんなものでしょうか?
例えばあなたは、東京ディ◯ニーランドに対してネガティブな報道を見たことがありますか?
ジャ◯ーズのネガティブ報道を見たことがありますか?
ゴールドマン・◯ックスのネガティブな報道を見たことがありますか?
最近過労自殺の話題で変わってきましたが、これまで電◯のネガティブ報道を見たことがありますか?
財務省のネガティブな報道を見たことがありますか?
ト◯タのネガティブな報道を見たことがありますか?
あっとしても非常に微々たるもののはずです。
つまり現代もまだ何かしらの「力」が社会を支配しているのです。
それが金なのか、武力なのか権力なのか組織によって違いはあります。
この力に逆らうことがメディアにとって都合の悪い情報ということで「報道しない自由」が発動するのです。
次に体制側にとって致命的な情報ということですが、基本的に主要メディアは政府に対して、左翼的な言わば批判的に報道します。
しかし、本当に政権が転覆するようなあるいは、世界がひっくり返るような情報は一切報道しません。
例えばこんな記事です。
エリザベス女王やフランシスコ ローマ法王、ベネディクト16世が5万人にも登る幼児虐待し性暴力、最後には殺すという残虐非道な行いをし、それがベルギーの国際慣習法裁判所で、懲役25年の有罪判決が出されたということです。
これは2013年の話で知っている人は知っていると思いますが、マジョリティの人は知らないようです。
私はカトリックではありませんし、カトリック圏の歴史を観れば、なるほどやっぱりぐらいにしか感じませんでした。
またこういった映画もあります。
教会の闇を暴いたドキュメンタリー映画ですが、一般のカトリックにとって衝撃的であることは間違いないでしょう。
このようなヘビー級の情報は主要メディアは扱わないのです。
扱うとしたら、海外の世論に火が尽き、日本のメディアの海外支社から報道しても大丈夫となった場合や直接間接問わず、海外(主にアメリカ)から圧力がかかった場合です。
したがってメディアの政権批判や体制批判の報道はほとんど茶番なのです。
彼らに政権を本気で批判して戦うつもりなどないのです。
ちょうどいいところで批判して核心には触れず、適当なところで仕事しましたとお茶を濁す。
しかも彼らはエリートです。自分のエリート人生を棒に振るようなことなどするわけがありません。
流石に言い過ぎかと思われるかもしれませんが、メディアがまともならインターネットにこれほどメディアが報道しない事実が出回るはずもないのです。
主要メディアからしてみれば、インターネットにある情報はメディアが取り上げた記事を個人が違う角度で分析したり、主要メディアの質を上げるために存在すべき情報チャネルであるべきです。
ところが、インターネットに出回る情報は嘘も多いものの、メディアに対する批判、嘘、プロパガンダ、メディアが隠している情報などが非常に多く見受けられます。
インターネットは私的な電波ですがテレビは公の電波を使用しています。にもかかわらずこの体たらくではと考える方は私だけでは無いはずです。
公の電波を使う以上「嫌なら見るな」は通用しないのです。
以上二つがメディアが報道しない記事の特徴です。
まとめ
主要メディアの論理は「金と安全」であり具体的には、
「メディアにとって都合の悪い情報」
「体制側にとって致命的な情報」
を流さないことで自己保身を図っています。
おまけ
最近あった非常にわかりやすいプロパガンダ記事です。