大衆洗脳機関であるマスメディアのことは、当ブログでも散々にからかってきましたが、未だに影響力を持ち続けるテレビ、新聞等は大衆をバカにした報道を続けています。
最近非常に気になった報道は、以下のニュースです。
ジャニタレの父親だから、「再就職」でも「天下り」でもないとでも言うのでしょうか?
まるで、社会貢献活動でもするかの如き報道です。
どうやらこれら二つの言葉は使われていません。
それにしてもよく似てます。
大体、長時間労働で言えば霞ヶ関のキャリア官僚の長時間労働もとんでもないはずです。
特に、国会会期中は不夜城とまで呼ばれるほどです。
霞ヶ関を訪れた際は是非見てもらいたいですが、庁舎のビルはそこそこ高い造りになっていますが、最上階でも窓は全開に開くのです。
だから、霞ヶ関では「人がよく落ちる」そうです。
落ちたら死ぬ高さの建物というのは通常、自殺防止用ということで、全開にはできないようになっています。
これは私の知り合いのキャリア官僚から聞いた話ですから真偽の程はわかりませんが、窓については事実です。
それにしても、このマスメディアがしっかり事実を事実のままに情報操作なしに報道するにはどうすれば良いのか?
またせめて、多角的な視点で報道してもらうにはどうすれば良いのか?
更に、「大衆」そのものを作り上げているのはマスメディアなのではないかと私は考えていますので、この記事ではこれらを考えてみたいと思います。
マスメディアのビジネス
マスメディアは日本では「瓦版」という物があり、これが新聞の前身と言えます。
引用:大江戸雑記
昔からプロパガンダが上手い今の中国に当たる地域では、8世紀前半唐の時代に「開元雑報」と言われる広報紙が確認されています。
引用:Wikipedia
これは日本で言う「官報」のようなものでしょう。
紙媒体では世界最古のものです。
欧州でのマスメディアの目的とは、支配者の訴えたいことを伝えるといった元々、大衆管理の意味合いが強かったようですが、我が国では、挿絵や春画なども盛り込んだ、今で言う週刊誌に近いと言えます。
いわゆるイエロー・ジャーナリズムですが、日本では欧米と違い、一般人が大衆に向けて娯楽と正確性の低い情報を瓦版といった形で得ていたようです。
マスメディアがビジネス化したのは、「広告」という概念が入ってきてからです。
”広告”とは
「企業が目的をもって大衆に対して訴えかける宣伝」
のことです。
テレビ、新聞等のマスメディアが「広告」が金になると気付き、企業の広告を流すことでビジネスが成立し、広告中心の経営、スポンサーありきの経営となったのでしょう。
となれば、大口スポンサーである企業が、何か不祥事を引き起こした場合やその業界で影響力のある人間の「鶴の一声」によって報道しない、あるいは報道しても一回のみであったり一定期間を過ぎればネット上の記事を削除するなどの方法が取られるようになります。
よくよく考えてみて欲しいのですが、大きなスクープがなぜ資本力が大きいマスメディアであまり出ず、フリーのジャーナリストがスクープを持ってくるのでしょうか?
要は、マスメディアが「広告料」という利益に支配されているということなのです。
スポンサーからの広告依頼を増やす、その為には部数を伸ばさなければならない、部数を伸ばすためには事実かどうかに関係なく視聴者や読者が「おもしろがる”視点”」あるいは「興味のある”視点”」で記事を書くようになるのです。
なので、戦後は加害者意識を植え付けられた国民に対し、自虐史観的な記事を書くことで読者の興味を惹き、「反省」、「軍部の暴走」から始まり、調子に乗っていわゆる「南京大虐殺」やいわゆる「従軍慰安婦問題」をセンセーショナルに報道していったのです。
これは何のためかと言えば、「お金のため」それ以外にありません。
これがマスメディアのビジネスの基本的な考え方です。
違うと言われても結果がそうなので、仕方ありません。
マスメディアは広告が命
前段でも書きましたがマスメディアは広告が”命”です。
広告を出してくれるスポンサーがいなければ番組を放送することも、新聞を発行することもできないということになれば、いつもマスメディアが向いている方向は「読者」ではなく「広告主」となります。
これは構造的にどうにもなりません。
マスメディアを見て情報を得てもバイアスがかかり過ぎているのでマスメディアの意図したイメージを視聴者、読者はその情報を得ることになってしまいます。
これは、主義や思想、主張が対極にある新聞社であっても同じことなのです。
例えて言えば、同じ水槽の中で生きている違う種類の魚程度でしか変わらないということです。
産経新聞がAという記事を書こうが、朝日新聞がAに対するBという記事を書こうが、いずれにしても大衆の思考はマスメディアが発信した意図のある情報操作で印象付けられてしまうのです。
私はとにかく自分の頭で考えることを推奨していますが、二人の種類の違うバカの話を聞いても、バカな話しか聞けないということでしょう。
しかし、そのバカには「権威」と「金」が付着しているので非常に厄介なのです。
この構造がある限りマスメディアは読者や視聴者が本当に知るべき情報は絶対に報道しません。
今は多くなっているようですがスポンサーを叩いて効果があるのはマスメディアの資金源を断ち切らせる良い方法ですが、しかしそれで次にマスメディアが行うことは、
「できるだけ経費を掛けずに当たり障りのない情報を流す」ことぐらいでしょう。
ネットニュースをワイドショーで扱うぐらいですから、やる気ゼロです
未だに情報操作的な報道をしているところを見ると本質的にマスメディアを考えるならば、
「元々、マスメディアは国民の知る権利を守るものではない」という認識を一般人が持つことです。
メディアも所詮、企業である
マスメディアが企業であるということは、利益を追求する集団ということになります。
各メディアはそもそも、利益を追求するものですが、マスメディアは”大衆”を利用して広告で金儲けする集団だということです。
ビジネスとして考えれば別にそれは悪いことではありません。
それに限定的なターゲットを対象にしたメディアもあるでしょうから、一概に悪とは言えません。
ここで「CSR」つまり「企業の社会的責任」を考える必要があるのです。
マスメディアは国民の知る権利を守るという大義名分があります。
この大それた理念を守るためには反権力的である必要があります。少なくとも”国家観”は必要です。
と言うのも、権力は必ず腐るものだからです。
その腐る権力をマスメディアが監視し、大衆に拡めて権力が腐ることを阻止する、あるいは腐る速度を遅らせるという意味合いがあるのです。
超重要な国家機密や安全保障上の問題で公開できない情報も当然ありますが、それすら疑われてあるコトないコト言われるというのは既に政府と国民の間に信頼関係は存在しないということになります。
政府と国民の間を取り持つ役割であるのがマスメディアの本当の役割です。
したがってマスメディアは政府側についてもいけないし、国民の方にもついてはいけません。
本来は常に客観的に事実を事実のままに報道し、多角的な意見を大衆に周知することそれだけで良いのです。
マスメディアが「自分の頭で考えてください」と真に伝えたことはかつて一度もありません。
少なくとも私の記憶にはありません。
CSRを真に考えているマスメディアは恐らく皆無でしょう。
本気でマスメディアが政府を糾弾することはありません。
行動原理は利益に繋がる「数字」と「保身」のみです。
財務省の「国の借金プロパガンダ」を糾弾できない理由は保身のためです。
本当にマスメディアが社会の公器であり、国民の知る権利を守ろうとするのであれば警察や検察、裁判所の裏金問題などの実態をこれでもかと報道するべきですが、そうしないのは保身のためです。
やはり「国家権力」は恐ろしいのです。
警察、検察はその気になれば誰でも逮捕することができます。
軽犯罪法という法律を見ればわかりますし、他には企業の便宜的に行なわれる手続き的習慣を「犯罪」とすることができるのです。
未だに被疑者の取り調べが可視化されないこと、つまり密室で行なわれていることも考えるとわかりやすいのではないでしょうか。
他には国税という警察権力は企業にとっては相当怖いはずです。
マスメディアが財務省の「国の借金プロパガンダ」を糾弾できない理由はここにもあるのです。
「公共の利益を考えてそんな目に遭うくらいなら、数字だけ追っかけていればいいや。とりあえず面倒なことは起こさないようにしよう」
これで「企業の事なかれ主義」が完成します。
企業は 大きくなると大抵の場合、「官僚制組織」となります。
したがってマスメディアは情報を扱うただの利益集団だということになります。
マスメディアが”大衆”を作った
この世界はマスメディアやその他のメディアが作ってきた世界と言えます。
大衆にとってはマスメディアが作った世界が真実の世界となります。
彼らにとって実際がどうなのかは問題ではありません。
マスメディアが取り上げれば問題でないことも問題になりますし、重大な問題もマスメディアが取り上げなければ問題にはならないのです。
マスメディアの報道如何で社会の動きが変わるというのであればそれはもう立派な「権力」でしょう。
メディアが第四の権力と言われる理由はここにあります。
マスメディアは社会に対し「空気を作る力」を持っています。
それを一般的に「影響力」と言います。
影響力があれば、何を言っても信用されるということなので信用する人を「誘導」することができてしまいます。
これに企業の広告が付着すれば、マスメディアはメディアそのもので「大衆」を生み出し、広告によって「消費者」を生み出すようになったのです。
朝日新聞や毎日新聞、琉球新報、沖縄タイムス、しんぶん赤旗だけがダメだと思っている人もいるようですが、日経新聞も産経新聞も同じです。
ターゲット層が違うだけでやることは基本的に同じなのです。
まとめ
マスメディアのビジネスは広告を売ること
マスメディアは広告が命だということ
マスメディアそのものが「元々、マスメディアは国民の知る権利を守るものではない」
ということになります。
マスメディアに関しての情報操作やプロパガンダは他の記事でもいくつか書いてきましたが、結局のところメディア側にはメディアの都合や事情があり、個人も組織で動く以上マスメディアの体質が自浄作用で変わることは決してありません。
いつか当ブログで書きましたが、現在の状態がいくらひどい状態で改善する方針を打ち立てる人間が内部に現れたとしても、「これまでと違うやり方に対する不確実性」が組織内で恐怖が醸成され、結局これまで通りということになっていくのです。
大衆を大衆たらしめるのはマスメディアの本質を大衆が理解し「考える個人」が増えていかないことには、我が国に未来はありません。
当ブログで紹介している財務省の嘘や主流派経済学の嘘もマスメディアによって垂れ流されている現実は一刻も早く是正されなければなりません。
番外
先日、スパコン開発の第一人者であるペジーグループの斎藤元章社長が逮捕されました。
約4億円の助成金を騙し取ったという詐欺の容疑で東京地検特捜部が逮捕したとのことですが、私は堀江貴文氏の時と同じような違和感を覚えています。
報道のされ方、東京地検特捜部が動くこと、スパコンという技術に対する助成金約4億円の金額の低さ、サイバーダイン、日本アジア投資株式会社が出資を引き上げていること、ご本人の人間性、斎藤社長が逮捕されたことでアメリカ、中国にとって非常に利益であること、などを考えるとなにか胡散臭いのです。
斎藤元章社長は私のようなバカに対しても優しい言葉でかつわかやすくお話してくれる方で、非常に謙虚な方です。
仮に助成金4億円を騙し取るというのは、私から言わせれば「少なすぎる」し、そんな頭の悪い方ではないのでは?と思う次第です。
また助成金を騙し取るという作業はそれほど簡単なことではありません。というのも「詐欺」という犯罪は金銭あるいは財物を騙し取る”犯意”が必要な犯罪です。
要は騙そうとする意思のことですがこれを証明することはかなり困難なはずですし、メディアの報道も既に「国から助成金を騙し取ろうと画策した人間」というキャンペーンをしているところを見ると、ライブドア事件の時と似た違和感を感じるのです。
実際のことは当事者しかわかりませんが残念です。
http://www.jaic-vc.co.jp/jentrepreneurs/l3/Vcms3_00000250.html
https://www.cyberdyne.jp/company/IR_detail.html?id=6489
税金を騙し取ったということになるのでしょうが、私にはそれを言うのであれば御上も身を正さなければいけないのではと思う次第です。
そう言えばNHK裁判もマスメディア的には”合憲”ということで落ち着いたようです。
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=87281
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/281/087281_hanrei.pdf