株式会社は企業です。
企業は、事業を興し、発展させ、雇用を生み出し社会に利便性や娯楽などを提供する社会的公器です。
資本主義の根幹は、企業が投資のために銀行から「融資」を受けて、融資されたお金を設備投資、技術開発、人材開発、運転資金等に当てることで、お金が社会を駆け巡っていき、それが誰かの所得になり、またどこかの会社の投資の源泉となります。
資本主義は誰かがお金を借りないと成立しない社会制度です。
しかし、我が国は20年以上もデフレ経済という需要不足の状態に陥っています。
デフレ経済では企業は「儲からない」と判断し、経費削減を進め、雇用を縮小し、投資をも縮小します。
企業はお金を借りなくなります。
お金が借りない=投資や消費がされない=資本主義の否定
となるのです。
というのも、世の中のお金の総量が増えるということは、誰かがお金を借りたということだからです。
ご存知の通り、銀行預金というものは「誰かが銀行から融資を受けた時に生まれる」からです。
これが信用創造というものですが、銀行は現金を直接貸しているわけではありません。
通帳に、「記帳する」だけです。
これが行われない限り、世の中にお金が出回ることは、政治的意思によるぐらいしかなく、お金が新たに市中に出回ることはありません。
つまり、企業は「儲かる」と考えない限り投資はしないし、個人は、給料が今後増えると思わない限り消費をしないということになります。
実際にそうなっています。
名目賃金と実質賃金
企業の設備投資
ですが、企業だけを責められるものでもありません。
企業も生き残らなければいけないとなると、このような施策は仕方ないところもあります。
つまり、「入ってこないなら出るものも減らす」ということです。
ところが、通貨発行権を持つ政府も、企業のようになっているのです。
この記事では、株式会社化する日本と題して、我が国の政府が如何に企業となっているかを明らかにしたいと思います。
政府はNPO(非営利)組織である
目次
そもそもですが政府は非営利組織です。
非営利とは読んで字のごとく「利益を目的にしない」ということです。
ですが、何故か我が国の政府は、「政府債務が減少した!」とまるで手柄のように訴える政治家がいますが、裏を返せば「国民から所得を奪った!」といっているのと同義だということです。
非営利組織である以上、公のための機関ということになります。
政府以外の非営利法人は、環境問題や人権問題など、正に公の利益の為に存在するものです。
振り込め詐欺のツールとしての側面はさておき、元々の目的はこういったことになります。
要するに、政府というものは、特定の個人、組織の利益を図ってはならず、全体の利益、国民の利益になるための政策を施す義務があるのです。
ところが、様々な事情から全くその本来の目的を見失っているような状況です。
デフレ経済というのは恐慌ですが、戦後デフレを長期化させた国は、世界広しと言えども我が国のみです。
財務省中心の体制
亡国省とまで言えるであろう省庁ですが、我が国の予算は政府の経理部門である財務省が握っています。
財務官僚は、自らの出世が最大の優先順位です。
その為に緊縮財政を推し進め、財政健全化、プライマリーバランス黒字化目標なるものを推進し、果ては憲法にまで財政健全化を盛り込もうとしているようです。
その影響が国民の貧困化に繋がろうと、国民がいくら苦しもうと知ったことではありません。
私の叔父は、財務省のOBで既に定年退職しておりますが、現職当時からその雰囲気は垣間見えました。
我が国は、現在のように中国に侵略されるかもしれない、北朝鮮の脅威が現実化しているという事態になっても、政府支出を増やそうとはしません。
中国に弱みでも握られているのか、北朝鮮のミサイルは絶対に当てないと言える根拠をもっているのかと勘ぐりたくなってきます。
せめて軍事支出だけでも財政拡大して欲しいものですがしないようです。
因みに、移民国家の代表格シンガポールの軍事支出はGDPの3%です。国家予算の20%程です。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/singapore/data.html
我が国は1%です。トホホな状況です。
財務省のプロパガンダについてはある意味非常に勉強になるので是非確認してみてください。
このままいけば、我が国は必ず発展途上国化します。
何故なら、政府(財務省)が企業のようにコストカットを主張し、更に財務省の力が強すぎるので、いずれ道路はボロボロとなり、防災にも予算は付けず、日本中の至る所で、インフラが壊れるなどの事故が起きることになります。
その頃にはもうそれを直す”技術力”がなくなっていることでしょう。
正に企業と同じです。
コストカットを繰り返した結果、提供するサービスの質が落ちていき安かろう悪かろうの商品やサービスしか提供できなくなるのです。
国家にとって大事なのはお金ではありません。
「生産力」です。
その生産力を削っていく政策がデフレという需要不足下で行われる緊縮財政ということになります。
我が国は、デフレ経済20年で、各地方の建設会社が倒産しました。
その数、数万社に上ります。
http://www.mlit.go.jp/singikai/kensetsugyou/soukai/03.pdf
各地方に、その土地を知っている建設業者がいなくなり、更に技術の承継ができなくなります。
それは、その建設業者が倒産し、無くなってしまった地域で自然災害が発生して、復興を必要とする時になっても「出来る人も会社もありません」という事態になってしまうということです。
だから、我が国はこのまま行けば「発展途上国となる」と私は言っているのです。
考えてみれば当たり前ですが、実際そうなった時に復興に入ってくる企業は恐らく、”外資”でしょう。ベクテル社あたりでしょうか。
そういった会社が入ってきて、一般競争入札によって莫大な仕事と利益を手に入れるのです。
ベクテル社が工事するところは何故か地震が多いので地震が発生するかもしれません。
地方交付税の削減とビジョンによって変わる予算
地方交付税が削減傾向にあることはご存知の通りだと思います。
2年前には「PFI、20万人以上の自治体で原則化 諮問会議が提案へ 」
といった報道がなされました。
因みにPFIというのは、例えば橋や道路といったインフラを作る際に民間の資本を入れて、出来上がったら「通行料」を取るといった制度のことです。
要は、「インフラを民間企業に売り払う」ということです。
これは、企業で言えば、「事業譲渡」とも言えるものでしょう。
企業では、事業が倒産や組織再編などによる結果、他社に事業の一部売却などが行われることがあります。
これは正にそういった話です。
政府は、通貨を発行できるので前提が全く違うというのに一体何を考えているんだと思わざるを得ません。
メリットを受けられるのは、そのインフラ事業に参加できた企業だけで、一般国民は必ず割を喰います。
これぞ、「レントシーキング」という竹中平蔵の主要ビジネスです。
再エネ賦課金もレントシーキングの結晶です。
また、各自治体は成長ビジョンを政府に出し、それが評価できれば地方交付税を手厚くするといった
「成果主義的」に予算を配分するということになっています。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2015pdf/20151201018.pdf
参議院
逆を言えば、成果を出せないなら地方の縮小も致し方なしとはっきり言っているのです。
正に株式会社の論理です。
「採算取れないからこの部署の予算削るわ」
企業ではよくある話でしょう。
しかし、国家となれば話は全く変わってきます。
そもそも地方交付税というのはなんのためにあるのかということです。
我が国は47の都道府県がありますが、言うまでもなくこれら都道府県は「日本国」です。
地域によって人口や産業、インフラ環境などが全く変わってきます。
ということは、各都道府県ごとに「生産力」が変わってくるのです。
生産力が違うということは、投資に差があるということになります。
その差を埋める目的で地方交付税は存在しています。
言うまでもなく「東京」が日本一所得を稼ぎやすい都市です。
所得を稼ぎやすいところに人は移動します。
企業も商圏として所得を稼ぎやすいところに拠点を作ります。
これを放っておくと、一部の都市に、企業も人口も集中してしまうことになります。
そうなっていしまっては、地方は若年層は都市部に、高齢者はそのまま、企業も出て行くとなってしまうと立ち行かなくなっていくのです。
その地方は行政の運営ができなくなります。
果ては、病院がない、食料を買えるお店がない、学校もない
何もない、といった「人が住むところ」ではなくなってしまうのです。
そうならない為に、政府が地方に
「これだけあげるから運営の為に好きな様に使って活性化させてください」というのが地方交付税です。
地方はそれを使い、道路を整備したり、企業が投資しやすい環境を作ったりして、都市部との生産力の差を埋めるのです。
逆にそれをしなければ都市部だけが発展していくということになりますが、いざ自然災害が都市部で発生した場合、都市部の人間は誰に助けてもらうのでしょうか?
アメリカではありません。
被災しなかった他の地域に住む日本人です。
東日本大震災でも顕著でしたが、外国人は母国に帰っていきました。当然です。
自分の国ではないんですから。
もちろん、他国からの支援もあるでしょうが主となって復興に赴くのは日本人しかいないのです。
しかし、新自由主義的な自己責任論では、「自然災害が来るような場所に住んでいるのが悪い」、「自分も被災していない地域に逃げれば良い」、それができないということは、あなたに落ち度があると、こういった論調になるのです。
というか、自己責任論ではならざるを得ません。
現在では、「地方が不便なことを認めればいい」という言説もあるので、甚だ悲しい想いをしている今日このごろです。
一民間企業に対してであれば、この理屈も通るかもしれませんが、国家全体の個人全てに自己責任の方向で舵を切るのであれば、それは単なる、不平等、弱肉強食です。
短期主義を地方行政にも押し付ける我が国はもはや、国家の体をなしていません。
まるで株式会社ですね。
国際競争力重視の政策 規制緩和等の構造改革
我が国では、成長と謳いながら行われることは、バブル崩壊から散々行ってきたのは「規制緩和」ばかりです。
その割に規制緩和をしても経済成長はおろか、格差が拡がるだけの結果になっています。
過去に規制緩和についての記事を書いていますのでご参考までにお読みください。
政府も企業は国際競争力を「強化しなければならない」と言います。
その本質は「人件費を上げないこと」です。
企業が国際競争力の強化という時は、単に人件費を上げずに途上国の賃金で労働者を雇用あるいは、外注することです。
それ以外に考えられません。
何故なら、我が国は未だにデフレです。直近のインフレ率は以下の通りです。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFL28HJV_Y7A720C1000000/
6月のインフレ率(対前年比)は、CPI+0.4%、コアCPI+0.4%、コアコアCPI(食料(酒類除く)エネルギーを除く消費者物価指数)は▲0.2%となりました。
ということは、まだ国内全体の需要、内需は低いままということです。
この状態で、企業が生き残っていく方策として考えられるのは、「海外に物やサービスを売る」、「コストカットをする」、「生産拠点を人件費の低い国に移す」などになります。
その前提で、国内においての「国際競争力の強化」ということの意味を考えれば、「人件費を上げないこと」にならざるを得なくなります。
だからこそ派遣労働の範囲が拡がり、竹中平蔵のビジネスになっていくのです。
我が国のバブル崩壊後の構造改革は基本的に規制緩和で行われてきたのです。
国民は政府の従業員なんだから、今後も安く使うし、保障も削っていくからよろしくと言わんばかりです。
まるで株式会社です。
グローバリズムを推進
グローバリズムに関して言えば、グローバリズムというイデオロギーは、そもそも国家をなくそうというものです。
つまり、世界から国家を無くし、共同体を破壊し、一つの政府の基、個人が個人の責任で生きていくということです。
それが、ニューワールドオーダーだということだけ書いておきます。
これまでの国家と呼ばれていたものは、世界政府の管理する自治省ぐらいの扱いになるでしょう。
国家が世界政府の地方自治体のようなイメージでしょうか。
グローバリズムに関しては過去に多くの記事を書いていますので是非、参考にしてみてください。
まとめ
これまで書いたように、私から観ると、我が国全体が「株式会社」になっていくように見えるのです。
企業というのは、軍事から引用される言葉が多かったりします。
つまり、ビジネスというのは元々「戦争」なのです。
そのようになる企業に歯止めを掛けられるのは政府しかありません。
しかし、我が国では歯止めを掛けるどころか、企業と政府が一緒になって、同じ方向に進んでいるのですから、もうどうにもならないところまできているのです。
これが、資本主義の成れの果てなのでしょうか。
私には日の丸が汚れていくような気がしてなりません。